中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

来年は飛躍の年になるといいですね。

2015年12月31日 15時56分51秒 | 活動日誌

 今年もお世話になりました。新しい年に大きな期待をこめて、今年を終わろうとしています。

 私としては、県の常任委員を降りたことで変化した活動と生活のパターンが、一定の落ち着きを見せた年でした。同時に、残された人生をどう生きるか、何ができるかを模索しました。

 これから1年、1年が大切になってくるのかなあ・・・自分の立場でできることを精一杯頑張っていこうと思います。地元に根を張る活動で、党を強くすることも願いです。子どもたちのためにも、もう少し何かできそうだ。保育園の先生のお手伝いで、実践的を通して先生方との交流を深めていきたい。

 また、新しい楽しみも、大いに巾をひろげれてゆきたいと思いますね。

 この10数年の候補者活動は、やってきたことも縮小せざるを得なかったですから。合唱、山、朝の散歩・・・。映画を見たり旅に出たりは、それなりにできましたが・・・。

 「早苗さん、この頃は絵を描かないね」とHさんに言われて、「そうだ、描きたいなあ」と思いました。来年は時間を作りたい。でないと、一昨年、夫にプレゼントしてもらった顔彩を使わずにあの世に行くことになりかねません。

 孫との経験も広げたい。

 などなど、希望を膨らませますが、希望を持ってもいいような戦争のない社会をつくることですね。

 さて、そろそろ、お年とりの準備です。

 皆さん、お元気で来年をお迎え下さい。来年を飛躍の年にするように、力を合わせましょう。

 写真は、私の住む団地のそばから見た山。

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雪の結晶もサンゴ礁も人間の力のおよばぬ世界

2015年12月30日 20時03分37秒 | 活動日誌

 雪の結晶、きれい。今朝、久しぶりで見ました。自然はこんなに美しい造形物をつくる。人間の力の及ばぬところですね。

 朝、孫が教えてくれたんです。「ゆきのけっしょうだよー!!」って。

 降ってくる雪を両手を広げて受け止めて、ママに教えてもらったんでしょう。孫のダウンコートの模様もゆきの結晶です。彼女は興奮気味でした。雪の花を初めて見たんだから。

 沖縄のサンゴ礁を思いました。サンゴ礁も素晴らしい自然の造形物。それを破壊して平気なんて、傲慢極まりありません。人間も自然の一部ではありませんか。しかも自然の恵みで生かしていただいている存在ではありませんか。

 頂点に立った生き物だからと好き放題するなんて、必ずしっぺ返しが来ます。いや、もう来ていますよね。

 雪の結晶を見れてよかった。何かほっとしました。

 

 さて、私は、汗の結晶もほしいと、今年最後の訪問活動にでました。今日は滝沢しんいち市議とともに。今年のお礼と共に、来年もお世話になりますとご挨拶。やっぱり、生活苦が迫ってきます。

 

 八百屋さんに買い物に行ったら、さんざんあれこれを見繕った結果、みかんを選んで買ったおばあちゃんがいました。ところが、会計の時、お財布を探っていましたが「あの、お金が間に合わないので・・・」と、袋に詰めてもらったみかんを置いてゆきました。

 私は、胸がつぶれそうでした。

 私の買い物かごは、レンコン、ニンジン、レタス、セリ、大根、ユリ根、ホウレンソウ、・・・・一杯なんですよ。

 新しい年、変えたいね政治。

 

 

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我が家の雑煮のできるまで、ぜひ見てね。

2015年12月29日 13時46分53秒 | 活動日誌

 

 雑煮のしきなの準備ができたので、いまから訪問に出かけます。その前に・・・・

 我が家の雑煮のできるまでのご紹介です。我が家では、ずっと、私の田舎の作り方ですごしています。

 

大根、ニンジン、ゴボウを線きりにします。これで大根2本分。1回で1本分は使うので、まずは一回目。

大きな寸胴鍋でゆでます。2本分しか入らないので何回も煮ることになります。

ゆであがりました、冷まします。

冷めたら、ボール状に握って、干しざるの上に並べます。

これを、カチンコチンに凍らせます。

ところが、この頃は外では凍ってくれないのです。今晩は寒そうだから出してみますが、だめな時は冷凍庫です。しかし、自然に凍らせたほうがおいしいのですが。

だし汁に使う分だけ入れます。そこにおもちを入れて、上にかまぼこ、イクラ、セリを飾ります。かまぼこは、板カマ、ナルト巻の他にカステラかまぼこという石巻特有の黄色のかまぼこを乗せるのですが、この頃はそこは省略です。長野にないからね。

さて、出来上がりのきれいなお雑煮は、正月にご紹介しましょうね。

あなたの家のお雑煮は?おしえて!!

さ、短時間でも、訪問に出かけることにします。

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地元の訪問活動。

2015年12月28日 20時29分08秒 | 活動日誌

 冠雪した飯縄山、陽だまりのタンポポを見ながら、原田さんと後援会の栗岩さんと3人で、地元の訪問活動でした。歩けば歩くほど、署名は集まります。赤旗も購読者が増えました。

 「赤旗はいいとわかってるんだけどねえ。読みたいけど、節約に節約で厳しすぎます」

 「職場でノルマがあって、結局、自腹を切って自分で買っています。給料が足りない」

 「暖房費も削っている」

 そんな厳しい声を聴くたび、そんな中で購読を約束してくださった方には心から感謝です。同時に、皆さん、年越しができるのだろうか、ひもじい人はいないだろうか、暖も取れずに震えている人はいないだろうか・・・と、反貧困ネットの活動に期待をかけます。

 私の孫は、十分な食事をとり、十分な正月を予定されています。

 でも、クリスマスプレゼントはおろか、おもちさえ食べればない子がいるとしたら(確実にいるのです)、心に寄り添てくれる大人がいない子どもがいるとしたら(いるのです!)、十分であることが申しわけないとさえ思ってしまします。

 こんな不平等はあってはなりません。

 私は、亡き父の言葉を時々思い出します。

 晩婚で60才過ぎても子どもが小さかった父、無年金者で、学歴もなくまじめ一本で働き続け貧しい家庭を支えた父が、私が大学生の時、職場で機械に巻かれ、右腕一本失いました。労災になり、障がい者年金が支給されることになりました。

 その時の父の言葉は「右腕一本で死ぬまで保障された。安いもんだ。まだ左腕がある」でした。なんで??おかしいよ。こんな理不尽はなくさなくては。

 私が党員として生きることを、いつも励ましてくれる言葉です。

 思い出しながら、寒くても、頑張らなくっちゃ、と思いました。

 

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須坂市議補選支援・訪問活動

2015年12月27日 20時52分09秒 | 活動日誌

 午前中は、年明け早々に行われる須坂市議補選の応援に行ってきました。

 午後は、原田さんと歩く予定が急きょ変わって、滝沢市議との行動となりました。2千万人署名のお願い、赤旗の購読のお願いなどで、フルフルふるえながら回りました。寒かったですねえ。

 署名も集まったし、赤旗購読者が少し増えたので、心はそれでもあったかくなったけど。

 

 須坂市議補選の共産党の候補者は、宮坂あやみさん、35歳。3人の子育てママです。一番下のお子さんは2歳。

 前市議の土谷ふみえさんの娘さんです。「苦渋の選択だった」と本人の弁ですが、最後の決め手は「母の涙」だったそうです。

 「子どものためには戦争はやらせない。子育てできる優しい政治を」と、てもしっかりしたママさんです。

 

 今日の私の仕事は、女性戦線で力を発揮してあやみさんを押し上げるための作戦会議をすることでした。

 1月10日が公示日です。年末年始で猫の手も借りたいとき、特に女性は大変です。でも、そこを押して大仕事を引き受けてくれたのですから、皆さんすごいなあ、女性の底力を見ました。

 補選ではありますが、議会では10対9で、戦争法に反対する勢力がかろうじて勝っていたのが、そのうちお一人が亡くなられて、9対9になっています。

 平和の1議席を取り返す選挙、そして、参議院選挙での野党共同にも、大きな役割を果たす選挙になることでしょうから、とっても大事。

 あやみママ、頑張って!(^^)!

 

 

 

 

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「沖縄県民のたたかいに連帯する長野県民のつどい」に行きました。

2015年12月26日 20時53分10秒 | 活動日誌

 

 この集会は、写真家の石川文洋さん、もと八十二銀行頭取の茅野實さん、信州沖縄塾の伊波敏男さんなどの呼びかけで、実行委員会が作られ開催されました。

 翁長県知事が、国に提訴しました。辺野古埋め立て承認承認取り消しの効力の回復を求めた、当たり前の提訴です。国である沖縄防衛局が「私人」だなんて、誰が考えても無理な論理、こじつけではありませんか。

 時を合わせたかのように、今日の集会。

 会場は満員。

 講演したのは、元自民党席の県会議員で、昨年の衆議院選挙でオール沖縄で沖縄4区から無所属で当選した仲里利信衆議院議員です。

 「オール沖縄」の思いが、ズンと伝わるお話しでした。

 戦争の前には、保守も革新も、考えの違いも立場の違いもない。「命どぅ宝」は誰もの願いです。

 まして長野県は、松代大本営の建設ゆえに戦争を長引かせ、沖縄地上戦に突入したのだから、沖縄とは切っても切れない絆があるのです。

 オール沖縄、オールジャパンですね。沖縄の心はわが心です。

 

 さて、今晩は一日遅れの我が家のクリスマスパーティ。

 私にもプレゼントがきましたよ。そのひとつはねえ・・・これです!!!石巻からです!!!ああ、生き返りますう~。

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これはすごい!「べらぼう歌留多」

2015年12月25日 20時32分50秒 | 活動日誌

 

 夫が「おい、いいものだぞ」と、素敵なプレゼントを持って帰りました。制作委員会作品の「べらぼう歌留多」。絵は、同じ団地の版画家岡澤喜実雄さんの版画です。

 かるたを一冊の本にしているところも魅力。しかも、第一集です。続きを期待できます。

 かるた制作のきっかけは、戦争法をめぐる国連の一連の動きだったそうです。

 岡澤さんのお連れ合いが、もと公立保育園の園長先生をされていたこともあり親しくさせていただいておりましたが、岡澤さんからの、なんとまあ、素敵なプレゼントでしょうか。

 おりしも今日はクリスマス。

 私はクリスチャンではありませんが、心のこもったプレゼントはうれしい。

 昔、子どもたちが「お手伝い券」「肩たたき券」のプレゼントをくれた、それと同じくらいにうれしいプレゼンとでした(^^♪

 

 

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住民自治協議会と懇談、午後は6団体との会議。

2015年12月24日 21時15分45秒 | 活動日誌

 保育園移転問題で自治協議会と懇談。

 午後は、6団体との事務局会議。とてもいい会議が持てたと思います。共産党の英断を評価していただきました。それに、非常にまじめに統一を考えていらして、戦いの共同に信頼が深くなったとの思いがしました。

 

 さて、今朝、夫が言うのです。「昨晩、ぼくは寝ていたが、おいて帰ったね」あら、そうだった?

 今日の会議であったKさん、「ゆうべ、中野さん盛り上がっていたね。『地底の歌』を最後までみんなで歌ったね。それで『桜合唱団』を作ることになったの、覚えてる?」昨夜の後援会の忘年会のことです。

 えええーーー、あ、そういえば!!

 あー、思い出してきた!!記憶にないことが、いっぱい思いだされてきました。

 とてもやばいことですね。今朝、「あ、パジャマ着てる。化粧落としている・・・」と。

 こんなこと、びっくりポン。けど、歌いまくっただけで、そう迷惑はかけていなかったようで、ホッ( ;∀;)

 みんな、大声で歌いまくったんだって!(^^)!

 世の中はクリスマス・イブですね。

 

 

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お餅つきでした。

2015年12月24日 09時15分23秒 | 活動日誌

 昨日は共産党上野後援会恒例のお餅つきでした。

 近所のお子さんたちもやってきて、こどもはキャーキャーと楽しそうに大騒ぎ。

 杵をもって一人残らずペッタンコ、ペッタンコとやって、これも楽しそうでした。それを見ている大人がもっと楽しそうでした!(^^)!

 子どもがいると誰もがニコニコになり、最高ですね。

 夕方から、忘年会。意気高く来年を迎えるぞ、との熱気と楽しさに満ちた忘年会でした。忘年会の写真はないの。とる暇がないくらい、飲んでいたのよ。うそ!(^^)!

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映画「杉原千畝」をみる。会議。

2015年12月22日 20時15分55秒 | 活動日誌

 石坂ちほさんと連れ立って映画「杉原千畝」を見ました。近くのイタリアンで昼食をとりながら、ちほさんと久しぶりのおしゃべり、くだらないことからくだることまで、おしゃべりは元気のもと!!

 そのあと3時から、2000万人署名と連合政府と参議院選挙についての会議でした。

 

 映画「杉原千畝」は、千畝の研究家の白石人仁章氏の本に、比較的忠実だったと思います。インテリジェンス・オフィサーとしての苦悩も浮き彫りにされていました。

 ただ、最初の白系ロシア人の女性との結婚は明確にえがかれていませんでし、同士であり恋人のような存在で出てくる彼女のその後の動向も、真実かどうかはわかりませんでした。

 いずれにしても、国家を敵にまわしてもユダヤ人を救った行為は、あの時代、大変な生き方を選んだ人でした。

 シンドラーはドイツにはたくさんいたという話は昨日しましたが、誰に知られることもなく歴史に埋もれた人にも、権力に抵抗して命がけで戦った人はたくさんいたことは、人間への信頼と希望です。

 昨年、アウシュビッツを中心にドイツ・ポーランドの旅をして心に深く刻まれたことは、そのことでした。

 

 

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