中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

ホタルガイド当番の日です

2021年06月29日 08時38分01秒 | 活動日誌
おはようございます。
しとしと雨・・・・
 
今晩はホタルガイドの当番です。
雨はいやだなあ。
方には雲マークになっていますが、晴れることを願います。
 
雨でもホタルは出ます。
 
土京川は川辺のあちこちに樹木の枝がちょうどよく垂れさがって茂っており、その下で飛ぶことができる環境があります。
 
 
幼虫が上がるためのちょうどよい土の土手があり、自生のカワニナも生息しています。
 
 
土京川は、ホタルの生息には素晴らしく良い環境なのです。
 
 
35年間、住民が守り育ててきたことが最大の値打ちです
 
もう一つのホタルそのものの値打ちは、すべてここで完結している自生のホタルだという事なのです。
 
 
ホタルの観光地では、ともすると、どこからか連れてきて放つこところもあるようです。
カワニナもそうですね。
 
 
すると遺伝子の異変も起きるので、好ましくありません。
 
 
価値ある土京川のホタル、皆さんに見てほしいような、来てほしくないような・・・・(^◇^)
 
地元のみなさんが下駄ばきで来るくらいがちょうどいのでは・・・と思っているのです。
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市政も変えたい

2021年06月25日 16時52分33秒 | 活動日誌
学校も保育園も、プールが始まりました。
 
一昨日は、お孫ちゃん1の、背丈が伸びたので新調した水着に名前を縫い付けました。
 
 
最近はデザインのいい水着がありますね。
 
セパレーツでひざ上までのパンツ型。
 
 
昔は足の付け根まで出るワンピース型ばかりでした。
 
 
学年も上がると「あれ、いやだった」と娘が言う様に、確かに。
 
 
ラッシュガードもビーチサンダルも用意しています。
 
 
昔より暑さが厳しからプールサイドは焼け付くようだし、日焼けによる皮膚癌が問題にされているから、懸命な対処だと思います。
 
 
それにしても子どもが大好きな水遊び。
 
 
夏休みは学校のプールだけでなく、市民プールも大活躍します。
 
 
我が家のそばの北部市民プール廃止は、住民の大きな運動で当面ストップさせました。
 
 
ところが市は福祉施設の削減の方針は持ったままなので、北部市民プールか、城山の市民プールか、どちらかをなくそうと狙っています。
 
 
老人憩の家もNPOに譲ってしまったし、一番守らなければいけない子どもやお年寄りに、いじわるな市政。
 
 
「子どもには最善のものをあたえなければいけない」との児童憲章の理念のかけらもない。
 
子どもの権利条約の実行も頭には、まったくないのですね。
 
秋は市長選があるのです。
 
市政も変えたい。
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日常が戻る

2021年06月24日 22時30分31秒 | 活動日誌
月曜日からここ3日、我が家は全滅でした。
 
おまごちゃん2の風邪がうつされたとばかり思っていました。
 
 
しかし、回復は早く、嵐は3日でおさまりました。
 
今日は、お孫ちゃん2の登園許可を得るために小児科を受診しました。
 
 
お孫ちゃんの便検査をしてもらいました。
 
 
結果、「ノロはマイナスです。 一日1~2回だったら軟便でも大丈夫、登園してかまいません。 梅雨時とか便が緩くなることがあるんですよ。 おしりもただれていませんし、問題ありません」と証明書をかいてくれました。
 
 
え、なんですって!!
 
 
「先生、おとなの熱などの症状は? 」
「それは、別ルートかもしれませんね」
 
 
え、なんですって! 
 
 
お孫ちゃん2は、濡れ衣を着せられたってわけ?
 
 
では大人はどこから? だれがもってきた?
わからない。
 
 
でも、コロナではないし、みんな治ったから、まあ、いいとしておきましょう。
 
 
私は明日から通常の生活に復帰です。
 
 
そうそう、小池都知事も体調不良で入院しましたね。
コロナ対策と五輪、業務はさぞ大変だろうからなあ・・・とお察しします。
 
 
でも、国民、都民をしっかり守る立場で政治判断・行動していれば、心労の質が違っていたと思いますよ。
 
 
苦労を都民と共に分かち合うどころか、真逆の立場にいることが大きなストレスになっているのかもしれませんね。
 
都議選が間近なのにねえ??
 
 
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医療生協総代会、地道に地域活動を

2021年06月19日 21時41分18秒 | 活動日誌
医療生協の総代会でした。
 
久し振りに会う方々がいっぱい!!
「元気?」「うん、何とか生きてる!」とあいさつを交わす嬉しさ!!
 
 
党論では厳しい意見も出ました。ありがたいこと。
でもことなく討論は続き、議案は採決されました。
 
 
職員は1000人を超え、組合員約6万人、総代だけでも263人出す大所帯です。
様々な矛盾が起きて当たり前と言えばあたりまえのところもあります。
伝達や意思疎通が難しくなりますから。
 
 
然し、矛盾の多くは、その根本にある、政府の医療政策から来ていると思います。
 
 
中央病院から遠い千曲市から、ぜひ診療所を作ってほしいとの長年の悲願が、今回も発言されました。
 
 
これはだれもが願っていることなのです。
 
 
しかし、医師がたりません。現在ある病院と診療所さえ四苦八苦で回しているのですから。
 
大体、日本は100床当たりの医師の数は17・1人です。
アメリカはどうか、85・2人です。
イギリスは? 100・2人です。
 
ひどすぎて目が点になります。
 
 
その病床も、公立病院の統廃合で半分近くまで減らされつつあります。
 
中央病院だけでなく、日本中医師がいません。
 
 
もう一つの不満は「組合員なのに、ほかの病院へ行ってほしいと言われた。見捨てないでほしい」との病院を信頼しての声でした。
 
 
患者が過剰でこなせない。
 
 
午前中の外来が終わらず、昼食を3時4時に食べている始末です。
しかも、外来で終わるわけではなく、そのあとに雑務がついてくる。
 
 
一度外来の待合で、私の隣に座ったおじさんが私に怒りをぶつけてきました。
 
「9時から9時半までの予約に、なんで15人も入れるんだ!みれっこねいだろう!見れる人数を入れればいいんだ!!そうは思わないかい」と。
 
 
だから「症状が安定している方はお近くの町医者へ、しかし、事態が変った時はいつでも来てください」との方針を取るようになりました。
 
 
が、なかなか真意が伝わりにくいし、なじみの先生から離される不安も勿論わかりますね。
 
 
政治を変える闘いをするしかない。
 
そしてそれを支える大事なことは、地域活動だと思います。
 
地域の要求に根ざした活動を地道にやってゆく。
医療生協の原点です。
 
 
ここも困難だらけですが、でも、一歩一歩、あきらめずにやっていこうと思った総代会でした。
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上田の別所線開業100周年

2021年06月17日 21時22分05秒 | 活動日誌
「潮流書き込みノート」が2冊目に入りました。
 
5月15日に始めたので、ちょうど一カ月になります。
 
書けなかった日は5日ほどあったのですが、2日分まとめて書くなどして、結局、書き写ししなかった日は1日だけでした。
 
習慣になると、書かないと忘れ物をしたような気持ちになります。
 
 
今朝は、上田の別所線が取り上げられていました。
 
開業100周年にふさわしく、上田の農民運動や山宣碑、無言館も紹介され、民衆の運動の地でローカル線を守るために頑張っている住民のすがたもえがかれました。
 
 
先日、山本虎雄碑、山宣碑を訪れたばかり、無言館にも何度も足を運んでいますし、よくよく存じ上げている市会議員の渡辺さんの言葉まで紹介されましたから、長野県民として誇らしく思いながら、書き写しました。
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冷たい政治はたくさんです

2021年06月16日 21時42分29秒 | 活動日誌
国会が閉会しました。
 
最後まで、なんて国会だったんだろう。
 
土地利用規制法も、強引に通してしまった。
 
 
しかし、野党のコロナ初め諸問題の、とりわけ共産党の神髄をついた論戦には大きな拍手です。
 
 
私らは、腹が立って「もう見たくない」と思えばテレビのスイッチを切ればいいが、国会はまさに戦いの場だ。
 
無能な菅政権につきあうストレスはいかばかりか。
 
 
長野市政の政治スタンスも、まったく国と同じです。
 
 
台風災害で住宅を失い、悩み迷い苦しんだがやはり暮らしてきた場所に住みたい、と願っている人に、復興住宅は作らない、どうしてもというならトレーラーハウスを買ったらどうか、との態度だったとのこと。
 
余りの冷たさに、愕然とした。
 
我が地元の上野にも仮設住宅がある。
 
 
仮設住宅のみなさんの思いはどうなのか、元市議で相棒である原田さんとお聞きしに行こうとなりました。
 
総選挙も、9月初めの解散になるかもとの予想。
 
冷たい政治は、もうたくさんです。
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卒寿にしてなお精力的な小山さんに学ぶ

2021年06月15日 21時34分52秒 | 活動日誌
小山仁郎さんの個展を観賞しました。
 
緻密な友禅草木染にはいつも感歎していますが、今日もまた。
 
 
着物だけでなく、屏風やキャンバスに描かれた作品に、引きこまれていきます。
 
例えば「砂丘」という作品をみていると、我が身が今、砂丘にいるかのように想像が膨らんでくるのです。
 
 
私は特に、ここ数年の作品に感銘を受けました。
 
 
卒寿に向って衰えない創作意欲に圧倒されます。小山さんのアトリエを何度も訪ねるときにも、それは感じました。
 
とくにコロナになってからは「私は高齢です。持病もあります。感染したら死亡するでしょう。
だから、命との戦いで描いています」と言われた言葉の重みを実感しています。
 
 
私は卒寿まで20年を切りました。
小山さんのように頑張りたいなと、元気をいただきました
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マスクとコミュニケーション能力

2021年06月14日 20時38分33秒 | 活動日誌

H保育園の発達相談日。

午前中の仕事を終えて、昼休みは全てのクラスをのぞいて回りました。

 

午前中に発達相談をしたあの子、この子は、仲間の中でどうすごしているかなあ・・・と。

 

どのクラスも給食の準備中で、給食の準備にかかる先生のほかに、もう一人の先生は絵本や紙芝居を読んであげています。

 

あれ!K先生は、マスクを外して紙芝居を読んでいるではありませんか。

K先生の表情がかもし出すオーラは、天賦の才能か、と思うほどでした。

これはどの子も安心しきって甘えることができるなあと。

 

ところで、先だってのお孫ちゃんの運動発表会の時、「ああ、あそこにいる」と一生懸命手を振ったのに、目があっても応えてくれない。

 

「あれ?」

ようく似ていたのですが、違ったのです。マスクのせいです。

 

大きなマスクは顔を隠してわからなくするだけでなく、表情もいまいち、読み取れないものですね。

 

私は保育園の子どもたち、コロナのせいでえらい目に会っているなと思います。

 

乳幼時期は大人の顔の表情を見て笑顔を獲得し、笑いから情緒もそだて、意欲も生み育ててゆく、その出発の特別に大事な年代なのです。

 

おとなの笑顔は、決定的に大切なものです。

 

でも今、保育園では、先生はマスクをしています。

 

午前中はコミュニケーションがとりにくいお子さんともお付き合いしましたが、私もマスク。

 

私は外来者ですからなおさら、園の基準を守らなければ。

 

園児だけではない。

 

マスクではないけれど、人との接触の不足。

「短大の学生は、一度も大学に行かずに卒業ですよ」と言われて、「あ、ほんとだ!」と。

 

人間関係の希薄さをどうやって穴埋めしてゆくか、大きな課題だと思います。

 

 

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山本虎雄碑を訪ねて

2021年06月10日 21時03分54秒 | 活動日誌

山本虎雄碑の建設委員会委員長代行の金井忠一さんの案内で、青木村にある山本虎雄碑を訪ね、そのあと別所まで移動し、山宣とタカクラテル碑にも足を運びました。

山宣碑は何度か訪れていますが、今回は山本虎雄との関係で、とても新鮮で感銘もありました。

 

友人の石坂千穂さん、橋本なち子さんと一緒に行きました。

 

金井さんのおかげで、スムースに行動でき、また青木村の歴史も再確認し、山本虎雄碑の建設にかかわってのいきさつなども知ることができました。

 

また、金井さんの政治革新への変わらぬ情熱にも、今日も圧倒されてきました。

 

山本碑は初めは山宣碑の隣に建設したかったそうですが、場所が狭かったため、活動の拠点であった青木村に決めたとのこと。

 

一環して農民運動と民主運動のため身をささげた山本虎雄が、1930年に青木村巡回産婆の設置をも実現していました。

驚きでした。

1986年にタカクラテルが死去するとタカクラテルの顕彰碑建設委員長として銅板説明文も書いています。

1989年、86才で山宣規約改正委員会の会議中に急性心不全で死去しています。

 

小作争議も応援指導し、治安維持法で検挙もされる経験をもち、1946年には日本共産党に入党しています。

 

山本虎雄碑の文字は、村長自らが書いたものでした。碑のある土地は、青木村共産党村議が提供したとお聞きしました。

 

青木村は栗林一路などの文化人を生んだ村でもあります。

満蒙開拓団に、誰一人送らなかった村でもあります。

 

地方自治体の合併が大規模に進められた時、長野県はとどまった町村が多くありました。

 

青木村もその一つです。

 

村の入り口には「義民の村 青木村」の大きな看板が立っています。

 

革新と文化の誇り高い村に、感銘を受けました。

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山本虎雄を学びに青木村へ

2021年06月10日 06時04分46秒 | 活動日誌
おはようございます。
 
今朝はテンポを早くして働いています。
 
友人の石坂千穂さんと橋本なち子さんと3人で、青木村に行くからです。
 
山本虎雄の石碑が建ちました。
見学に行ってきます。
 
 
石碑設立委員会の委員長・金井忠一さんが案内して下さるという、特典付きです。
 
 
山本虎雄は農民運動の先駆者でもあり、山宣の埋もれて隠されていた石を掘り起こした人でもあり、民主化運動の貢献者ですね。
 
 
戦争中、満蒙開拓団・青少年義勇軍を日本一、大陸へ送った長野県ですが、青き村からはひとりも送っていません。
 
山本虎雄の力も大きかったと聞いています。
 
学んできます。
 
どこかにでかけられるって、うきうきしますね。
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