月末は、党員、赤旗の動態の〆の日ですから、党の勢力を減らして来月を迎えるわけにはいきませんから、増勢のために力を尽くす日となっています。まして、今は、大運動の期間中です。来年1月に予定された24回党大会までの目標をやりぬくために、毎月の努力が必要です。
党が大きくすることが、暮らしも平和も守る確かな力となるのですから、党勢拡大は私たちの国民への責任なのです。今日は、長野市内の各支部のみなさんと4ラウンドの取り組みで、赤旗本誌1部、日曜版3部の購読をお約束できました。
スポンサーに遠慮して書くことも制限される一般紙と比べると、赤旗の魅力は雲泥の差ですばらしい。私は、本当にみんなに読んでいただきたい。
政治面だけでなく、「女性の目、アラカルト」や、連載小説「早春の庭」(稲沢潤子)は、私のお好み。
「女性の目・・・」は、ちょっとした記事なのですが、世界のそれぞれの国の風習の違いを感じさせてくれる、貴重な記事だと思います。どうやって取材を、と思います。海外特派員を10人も出して、国際記事に力を入れている赤旗の、脇の魅力でしょうか。
「無理して靖国神社の参拝をやるべきではない。」
「すごい税金だ。小泉には腹が立つ。」など、今日も、怒りの声が一杯でした。
さて、目標というものは何でも、少し頑張ればいいという水準のものではないと私は思います。目指すものに向かう方針ですから、多少無理が出て当然です。
あまり努力しなくても達成できるものは、わざわざ「目標」と言うでしょうか。
何の取り組みでも、みんなが少しずつ力を出せば、かなりなことが出来るはずです。でも、何の取り組みでも、いつでもそう理想的にはいかないことが多いのも真実です。
で、私はこう思っています。「目標」と言うのは、最終的な結果に現れる数や具体的な事実だけではないと。
それも大切です。でも、もうひとつは、どれだけ力を合わすことが出来たか、その経過が大切でここで、そこが含まれての目標なのだと思います。また、そこが座ってなければ、目標は達成できません。よしんば達成しても、本当の底力にはならない。そして力は、人それぞれ、個性、得意、条件・・・・一律ではありません。
例えば、病気で寝ていて何もできなくても、そこにいてくれるだけで元気を与えてくれる方もいます。心がひとつであれば。
娘の高校時代の文化祭の、彼女のクラスの取り組みを思いだしました。
学校の調理施設に限りがあるため、入札?制度となった模擬店に、娘のクラスが応募しました。「焼きそば」のつもりが、誤ってただの「そば」と書いて提出して、それが落札されてしまったのです。
さて、当日、「日本そば」を粉から打って、切って、うでて、仕上げるまでにいたる苦労は並大抵ではありませんでした。
まずは、「焼きそばでないならやらない。日本そばなんてめんどくさい。」との意見続出、それをまとめてやると決まっても、みんな乗らない。一部のクラスメートのとり組になっている。
しかし、最後は、こうです。文化祭の一週間前から、娘は非常に帰りが遅くなりました。準備のためですが、その準備の中身は、みんなで専門家に教えてもらったそばつくりの予行演習に費やしたのです。一週間、毎晩先生に試食してもらって、本番に備えたのです。
たたみやテーブルの用意や、そろいのTシャツの準備もありました。娘は、「お母さん、選挙のときに事務所に臨時に敷いた畳はどこでかりたの?ただ?」「長テーブルはどこにいけば貸してくれる?」など、よく聞いてきました。
当日の前の晩、娘は寝つけませんでした。「お母さん、うまくいくだろうか。」と不安で一杯でした。準備してきたからこそ、心配がつのったのです。
当日は、200食を完売、行列がならぶほどの評判になりました。娘は打ったそばを切る役でした。汗をぼたぼた流し、昼ごはん抜きで、手にたこが出来るほど、切りまくり、「くらくらした」そうです。
ずっと待っていたお客さんが後回しになって苦情がでたり、会計の間違いやなんだかんだとトラブルが沢山あって、大変だったと言っていました。
父が、「湯で具合がとても良かった。うまかった。」と誉めたところ、彼女は言いました。「切り方が良かったからうまくゆだったんだ。粉がちゃんと練れてなければ、うまく切れないんだ。みんな、がんばったんだよ。」
私は、この彼女の言葉に感動しました。集団の力はすごいな、すばらしいクラスだなと。
父も娘の言葉に驚き、「そうだな、その通りだ。一人ひとりすごいな。」と、応えていました。
一仕事終えた娘は、翌朝遅くまで、死んだように眠り続けました。
私は、今とりくんでいる大運動で、娘の取り組みに似た、みんなで取り組む感動を味わいたいなと思っています。
党が大きくすることが、暮らしも平和も守る確かな力となるのですから、党勢拡大は私たちの国民への責任なのです。今日は、長野市内の各支部のみなさんと4ラウンドの取り組みで、赤旗本誌1部、日曜版3部の購読をお約束できました。
スポンサーに遠慮して書くことも制限される一般紙と比べると、赤旗の魅力は雲泥の差ですばらしい。私は、本当にみんなに読んでいただきたい。
政治面だけでなく、「女性の目、アラカルト」や、連載小説「早春の庭」(稲沢潤子)は、私のお好み。
「女性の目・・・」は、ちょっとした記事なのですが、世界のそれぞれの国の風習の違いを感じさせてくれる、貴重な記事だと思います。どうやって取材を、と思います。海外特派員を10人も出して、国際記事に力を入れている赤旗の、脇の魅力でしょうか。
「無理して靖国神社の参拝をやるべきではない。」
「すごい税金だ。小泉には腹が立つ。」など、今日も、怒りの声が一杯でした。
さて、目標というものは何でも、少し頑張ればいいという水準のものではないと私は思います。目指すものに向かう方針ですから、多少無理が出て当然です。
あまり努力しなくても達成できるものは、わざわざ「目標」と言うでしょうか。
何の取り組みでも、みんなが少しずつ力を出せば、かなりなことが出来るはずです。でも、何の取り組みでも、いつでもそう理想的にはいかないことが多いのも真実です。
で、私はこう思っています。「目標」と言うのは、最終的な結果に現れる数や具体的な事実だけではないと。
それも大切です。でも、もうひとつは、どれだけ力を合わすことが出来たか、その経過が大切でここで、そこが含まれての目標なのだと思います。また、そこが座ってなければ、目標は達成できません。よしんば達成しても、本当の底力にはならない。そして力は、人それぞれ、個性、得意、条件・・・・一律ではありません。
例えば、病気で寝ていて何もできなくても、そこにいてくれるだけで元気を与えてくれる方もいます。心がひとつであれば。
娘の高校時代の文化祭の、彼女のクラスの取り組みを思いだしました。
学校の調理施設に限りがあるため、入札?制度となった模擬店に、娘のクラスが応募しました。「焼きそば」のつもりが、誤ってただの「そば」と書いて提出して、それが落札されてしまったのです。
さて、当日、「日本そば」を粉から打って、切って、うでて、仕上げるまでにいたる苦労は並大抵ではありませんでした。
まずは、「焼きそばでないならやらない。日本そばなんてめんどくさい。」との意見続出、それをまとめてやると決まっても、みんな乗らない。一部のクラスメートのとり組になっている。
しかし、最後は、こうです。文化祭の一週間前から、娘は非常に帰りが遅くなりました。準備のためですが、その準備の中身は、みんなで専門家に教えてもらったそばつくりの予行演習に費やしたのです。一週間、毎晩先生に試食してもらって、本番に備えたのです。
たたみやテーブルの用意や、そろいのTシャツの準備もありました。娘は、「お母さん、選挙のときに事務所に臨時に敷いた畳はどこでかりたの?ただ?」「長テーブルはどこにいけば貸してくれる?」など、よく聞いてきました。
当日の前の晩、娘は寝つけませんでした。「お母さん、うまくいくだろうか。」と不安で一杯でした。準備してきたからこそ、心配がつのったのです。
当日は、200食を完売、行列がならぶほどの評判になりました。娘は打ったそばを切る役でした。汗をぼたぼた流し、昼ごはん抜きで、手にたこが出来るほど、切りまくり、「くらくらした」そうです。
ずっと待っていたお客さんが後回しになって苦情がでたり、会計の間違いやなんだかんだとトラブルが沢山あって、大変だったと言っていました。
父が、「湯で具合がとても良かった。うまかった。」と誉めたところ、彼女は言いました。「切り方が良かったからうまくゆだったんだ。粉がちゃんと練れてなければ、うまく切れないんだ。みんな、がんばったんだよ。」
私は、この彼女の言葉に感動しました。集団の力はすごいな、すばらしいクラスだなと。
父も娘の言葉に驚き、「そうだな、その通りだ。一人ひとりすごいな。」と、応えていました。
一仕事終えた娘は、翌朝遅くまで、死んだように眠り続けました。
私は、今とりくんでいる大運動で、娘の取り組みに似た、みんなで取り組む感動を味わいたいなと思っています。