中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

原稿滑り込みセーフ、終日2日の集会のお誘い。「原発つどい」

2011年08月31日 20時46分48秒 | 活動日誌

ごうやは今年は不作でした。連作のせいだと思います。

 

 今朝は4時起き。「民主長野」のエッセーの締め切りなので、全く手をつけてなかったから、今朝書くしかありませんでした。実際には、1日、2日送れても勘弁してもらえそうですが、いずれは時間を取らなくてはなリませんから、向こうへやっても同じこと。

 玄関で新しく買った靴を見ていたら「『靴』というテーマで書いてみよう」と思い立ちました。追い詰められるとひらめきも早い。近いうちアップしますから、読んでみてください。

 途中弁当も作って食事もし、洗濯物も干しましたが、必死で向かったので、9時にはできあがりました。「ホッ!」

 急いで「編集局」にメールで送ってから事務所へ。

 終日、9月2日の原田さんの集会のお誘いでした。今日はジャンジャン、電話で勝負しました。全体では120人以上になったかな。

 W支部のの目標は75人、65人まで確認しましたから、ここは今日中に達成したかったけど、6時30分からのK保育園支部の「つどい」の時間がせまりましたので中断して「つどい」に車を走らせました。

 長野中央病院の河野ドクターを招いての「原発つどい」です。河野ドクターは福井の出身、原発銀座の県です。それなのに、電力は全部関西に流れて福井では使っていません。事故が起きれば被害だけはまっ先にひどく受ける、おかしな話。

 河野ドクターは高校生のころから関心を持ち、新聞部に入って調査活動などで活躍してきました。医者の立場での話も織り交ぜながら、放射能に焦点を当てた話でした。今人気のドクターですが、診療で忙しいのに、快く来てくださってありがたい。

 原田市会議員の市政報告と決意挨拶の後、河野ドクターが到着するまで間があいて、急きょ私がつなぎでお話しすることに。原田市議は次の仕事で話の後抜けましたしね。15分ほどありました。

 2日のお誘いもあるし「つどい」の参加はどうしようか、とホントのところ迷っていたのですが、場つなぎの仕事が急に入って「来てよかった」と思いました。それに支部長さんに「何人くらいになりましたか。もう少し初めてのかたにも声をかけましょうか」なんて、「激励」していたものだから、責任もありました。若い保育士さんたちが10人以上来てくれました。すごいことです。河野ドクターのわかりやすい話に、質問も出ました。

 保育士さんはみんな、子どもたちへの影響を心配しています。「雨にあたると影響が出ますか」「畑の野菜は大丈夫でしょうか」などなど・・・。

 昼寝を30分ほどしましたが、今日はさすが疲れました。お休みなさい。

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選対会議のサンドイッチで訪問。虫さされとのたたかいの行動。

2011年08月30日 21時57分44秒 | 活動日誌

 

 

 つりふねそう

 仙台と盛岡の市議選で共産党候補者が全員当選、代表選挙で内輪もめ中の民主党は仙台で5人落として議席は2減となりました。投票率が落ちていることは気になります。政治へのあきらめを感じますが、でも自民、民主への幻滅の表れであり、新しい政治への要求のひとつの表れであると私は思っています。

 仙台、盛岡に続く県都の市議選が長野市です。正直、プレッシャーを感じますね。と同時にエネルギーにもなっています。

 今日は午前中は市議選全体の選対会議、夜は原田選対の会議で、選対会議のサンドイッチ、はさんだ物は訪問活動でした。

 9月2日に、元南光町長の山田兼三さんの応援で原田ブロックの決起集会が行われます。山田元町長は、80-20の歯の運動を全国に広めた人でも有名です。原田ブロックだけでなく、他の候補の街頭からの応援演説や集会の応援に入ってくださいます。ありがたいことです。このお誘いが中心の行動になりました。

 蚊との激しいたたかいの訪問でした!!7箇所もやられてしまった!かゆーい!!掻かずに我慢して、セロテープ治療。どういうわけか、刺されたところにセロテープを貼ると、かゆみが収まるのです。かゆみ止め成分が入っているのかな。

 むし暑かったせいもあってか、どこのお宅の玄関先でも蚊が飛んでいます。手で払いながらの対話、でも、蚊を見つけた時には大概、すでにやられた後なのですよね。パチンっとたたいて真っ赤な血を見ると、「もう!」いやだ。

 でも蚊ならまだ良かった。一緒に行動したKさんは、ガの幼虫に刺されてしまって、手が腫れ上がってしまった。私が、訪問先のお一人暮らしのSさん宅で柿の木の枝にアメリカシロヒトリの巣を見つけたので「切ってあげよう」と言いました。まだ小さかったので今ならチャンスと。

 ところが労働したKさんが枝についていた幼虫にやられてしまったのです。黄緑色の青虫です。「ガ」ですかね。

 悪かったなあ・・・。私は口だけ。Kさんは「Sさんは喜んでくれたからね」と慰めの言葉を言ってくれました。。

 虫とのたたかいの訪問でしたが、2日の宣伝、原発ゼロ署名もしてもらえ、原田さんの支持も訴えられて良かった。

 カメラがまだ修理できません。正確には修理できるかどうか、調べてもらっているのですが2週間から3週間かかるそうです。

 だから写真はふるいのばかり、リアルタイムでなくて魅力に欠けますね。

 

 

 

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東北地方選、勝利!教員時代の友人との再会

2011年08月29日 21時01分20秒 | 活動日誌

 午前中は常任委員会。午後は地元に帰りました。

 テレビでは民主党代表選挙のニュースでもちきりでしたが、世間では冷ややかですね。野田新首相に変わっても、政策に代わり映えはない、と誰もが思っていることだと思います。

 むしろ、「震災で大変なときに、復興支援もまじめにやらずに勢力争いをしているときか」との怒りの声が多い。

 盛岡、仙台の市議選では、住民の答えが出ました。全員当選、故郷仙台では1人増やして7人の議員団に!!やりました。

 さて、私の今日の大きな出来事は、千葉県流山市での教員時代に、共に教師をしていた先輩の安藤先生ご夫妻と再開したことです。

 安藤先生ご夫妻は、松本でのサイトウ記念コンサートにお出でになって、その帰り足にわざわざ寄ってくださったのでした。

 話題は当時の仲間のこと、最近の様子、などなどつきることがなく、夕飯をいただきながらとても楽しい時間を過ごせました。「遠方より友きたる  また嬉しからずや」ですね。気分がさっぱりしました。

 そうですね。槍の写真ですが、この山を見ているような気分になれました。つまり、違う環境の方と話すと、客観的に自分を見れる作業にもなりますね。

 あ、そうだ! 「民主長野9月号」の原稿の締め切りが明後日です!大変だ!!! テーマがまだ決まっていない・・・!

 

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訪問行動の日曜日

2011年08月28日 18時18分26秒 | 活動日誌

 

 一日、訪問活動でした。

 市民会館建設では、みなさんの怒りは大変なものです。「どんなに反対しても、結局やられてしまう。浅川ダムもそうだ」と、身勝手な市政に憤りを現します。

 でも、住民投票条例の運動が生きており、共産党以外のオール与党が賛成した予算案も、設計の段階までで、建設は今度の選挙で選ばれる議員にゆだねられていることをお知らせすると「どうしても共産党にがんばってもらわなければ」と、後援会のお誘いにも、快く応じてくださいました。

 90才になる男性が語ってくれました。

 「私の兄弟2人は、広島の原爆に合いました。あれほどひどい目にあったのに、なぜ原発を推進してきたのか。福島原発事故で、今度は孫が被害にあっている。恐ろしことです。私は戦争の時、一歩の差で出撃は変更になり、今生きていられる。生きていることは大事だ。子どもは大事だ」と原発ゼロの署名をしてくださいました。「がんばっていただきたい」

 みなさんの期待に添えるように、がんばろう。

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訪問活動、原田市議候補親戚の集会

2011年08月27日 21時19分34秒 | 活動日誌

 

 今日も原田ブロックシフト。土曜日です。今日は12人の部隊でA地区に入れたので、お互い励まし会えました。全体を見れば私は原田ブロックだけに集中できないな、と思いますが、当面は地元は大事です。

 夜は、原田さんの親戚後援会の集まりでした。共産党を代表して、石坂県議と私が出席させていただきました。本来なら、上野後援会の会長は夫なので夫も出席して欲しかったけど、諏訪での仕事で出張です。私は2人分で参加しました。

 今日はいささか疲れました。よって、これで終わりです。せめて花の写真でも・・・いままですでにアップしたものですが・・・。

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神戸今朝人さんの葬儀でした。

2011年08月26日 17時09分48秒 | 活動日誌

朝夕は秋の兆しです。庭の萩。

 

 神戸今朝人さんの葬儀でした。葬式は生き様を現すと言いますが、たくさんの弔問客と沢山のメッセージ、幅広い方の出席と、お別れ会では神戸さんとの出会いや学び、エピソードが縦横無尽に語られ、心のこもったお別れができ、神戸さんの人生がいかに意欲に満ちていたか、あらためて知らされました

 妻の神戸直江さんのお礼の言葉は、ここで2番煎じしても徒労、とても伝わるものではありません。

 長年、共にたたかってきた同志として妻として、感傷に流されず核心を突いたすばらしい、感動的な挨拶でした。

 神戸さんは貧農の小作人の息子、貧しさが骨の髄まで染みこんでおり、だから党員として最後までたたかい通したと、辰野事件や浅川ダム裁判闘争にも触れて、彼と自分の生き方と重ねて語った直江さんのりんとした姿に、私は心打たれ、泣けました。筋金入りの党員の姿でした。

左端は私。直江夫人を囲んで。野々村市議と林名誉役員と。

 神戸さんのように、最後まで革命のために力を注ぐ生き方は、口で言うほど生やさしくはない、そう思います。そうしたい、でも私にできるのだろうか、そうしたい。いったい、死ぬまでに私にできることって、なんなのだろう・・・・今日はそんな思いがめぐった葬儀でした。

今日の「信濃毎日新聞」でも大きく取り上げました。

長水地区委員会の出河さんと。

 この蓮の花は、宮崎市会議員が、自宅の畑から取ってきてくれたものです。美しい蓮でした。

 

左から野々村、原田、佐藤市議候補。

 「なんとしても勝つことが神戸さんへの供養だ」と堅く決意の3人です。

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思い出されるのは神戸さんのこと。

2011年08月25日 21時38分27秒 | 活動日誌

シュウカイドウ 

  今日は何かにつけて、亡くなった神戸今朝人さんのことが思い出されてなりませんでした。

 俳人としても「一茶の研究」の第一人者で、文化人としても能力の花を咲かせた方でした。

 党活動でも「不屈」の一言。見た目と違って、とても細やかな優しさをもっていて、一緒に新入党員のお誘いに行ったり、選挙では地域を歩いてもらったり、また、朝宣伝でもご一緒した時がありましたが、そのたびに、飾り気のなく率直すぎる、だけど暖かい言葉をかけてくれました。神戸さんの人間性が伝わってきて、とても励まされました。

 最近では、昔のことですが、私が2000年の知事選に挑戦したことを思い出し、「良くやったな。あんたは恐れ知らずだな」と言ってくれた言葉が、心に残っています。

 83才で、浅川ダム裁判の原告団長を引き受け、運動の要の存在でした。とてもできることではありません。神戸さんには「引退」の言葉はなかったのです。いなくなって、とても心細い。

 最後にあったのは、綱領古典講座でした。悪い足を引きずって稲田から県委員会まで出かけてきて、毎回、受けていました。

 市議選は負けられない。神戸さんへの供養は、当面は市議選に勝つこと、そして、神戸さんに続く党をしっかり作ることしかありません。浅川ダム裁判も、原告としてしっかりたたかう。

 明日は葬儀です。

  神戸さんが倒れた日にでてきた、レコードです。中央男性が神戸さん。ご伴侶の直江さんがよく語ってくれました。「裁判闘争で貧しい日が続きました。娘に縫ってやった夏の洋服が安物でみすぼらしいので、友だちに笑われたと。その時、娘は『母ちゃんが縫ってくれたんだ』と胸を張って誇ってくれたのよ」

 24才の若さで、でっち上げの辰野事件の首謀者にされたのが神戸さんです。

 

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元気よく女性の行動。栄村で副村長と懇談、村委員会に出席

2011年08月24日 21時11分00秒 | 活動日誌

 

 午前中は新婦人内後援会のみなさんと、元気よく若槻女性の行動デーでした。

 午後は石坂ちほさんと一緒に、栄村へ行きました。斉籐副村長さんと懇談、その後、共産党村委員会に出席。今後の災害対策で、特に村営住宅建設と、田んぼの修復問題が焦点でした。

 まずは女性デーから。新婦人内後援会のみなさんを中心に、「美女」が集まりました。炊き出しのカレーもバッチリ!

 「今日はM団地に入ろう!」と地図を見て打ち合わせです。「宣伝隊は、それに専念して、ひたすらハンドマイクで移動。あとは2人ずつ組んで訪問しよう」

出発式、「元気でいこう!」私はカメラマンだから、いませんね。

 私が訪問したお宅では「市民会館問題では、共産党と他の政党とどこが違うのかね」と質問された方がいました。はじめは植木をいじりながら遠くで聞いておられましたが、手を止めて近づいてきて、最後はしっかり向かい合って話せました。

 「私は信頼するなら共産党とおもってはいましたが・・・がんばっていただきたいね」と原発ゼロ署名も快くしてくださいました。

 実は、ここは先にピンポンで「うちは他を推していますから」と言われてお会いできなかったお宅なのです。帰り際に見たら、庭でお仕事をされていたので声をかけました。「先ほどはどうも・・」と。声をかけて良かった!!

 

「今日は私たちがハンドマイク隊です」とKさんとMさん。

 昼頃、石坂ちほ県議と待ち合わせて栄村へ出発しました。

 「ちほさん、お昼どうする?」「副村長と2時の約束だから、最悪懇談後だね」「そうだねええ・・・」

 でも高速を使って時間を捻出することにして、ありつけました!うどんに。

 懇談です。斉籐副村長と産業建設課の課長さんは、2時間もお付き合いしてくれ、恐縮しました。 二人の村会議員、広瀬元村議と一緒でした。

 村長は公用のためあいにくお会いできませんでしたが、副村長が補って余るくらいの対応をしてくださいました。ざっくばらんに、とてもいい懇談になりました。

 復興計画の中でも、村営住宅建設、農地復興が中心の話題になりました。

 村営住宅では、村民の意見を尊重してどんな住宅にするか検討して村民の要望に応えたいとの力強い副村長のお話でした。

 28日には、村の呼びかけで山古志村へ村営住宅の視察に行くそうです。村民に参加を呼びかけています。山古志村は、震災後、村で生活を続けられるように、村民の要望に応えた村営住宅を建設しています。

 田んぼの問題では、石坂県議の県の意向の話も受けて、激甚災害の対象以外の13万以上40万以下の修繕費の田んぼには田直し事業を適応できるようにしたい。激甚適応の場合も、場所によっては田直しでできるように要求してみよう、との方向で話が進みました。(激甚災害の適応でやると、復旧ですから「田直し」復興の対象にならないのが、現法律のネックになっています)

 いずれにしても、村民の要望が大事。聞き取りもすることになりました。石坂県議も「要望実現のために、県に要望を強めます」と約束しました。

 その後開かれた党の村委員会では、懇談を受け手の話し合いが行われ、今後の方針を立てました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 心配していた神戸今朝人さんが、夕べ他界されたそうです。とても残念でなりません。たたかいぬいた人生に、合掌。まだ、信じられません。

 

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ひたすら歩く毎日です。心配な出来事。悲しい出来事。

2011年08月23日 19時52分09秒 | 活動日誌

玄関先で咲きました。故五十嵐さんからのプレゼント。山野草をたくさんプレゼントしてくれました。花が咲くたび、五十嵐さんを思い出します。

 ひたすら歩く毎日です。原田市議も加わって、W団地の後援会のみなさんと歩きました。私はKさんと組みました。雨がまた降っていますから、新しい靴をやめて、ボロ靴に履き替えました!丁寧に扱うのも、最初だけだけどね・・・・・!

 出がけに心配なニュースが飛び込みました。選挙でも、九条の会の運動でも、浅川ダムの裁判でも、いつも先頭をきってがんばってくれているGさんが、大けがをしたというのです。

 行動に出る前に、原田さんと病院へ飛んでゆきました。詳しいことはわかりませんが、階段から落ちて頭を打ったらしいのです。意識がなく呼んでももちろん返事もありません。心配です。

 ちょうど今朝、バザーに出すものを引っ張り出していたら、「燃える春」というシングル盤のレコードが出てきました。これは20数年前、うちに遊びに来たGさんご夫婦からプレゼントしていただいたものです。制作は「辰野事件争議団」。ジャケットは、若かりしころのGさんと息子さん、娘さんも入った争議団の写真です。辰野事件の被告としてのたたかいも、Gさんからよくお聞きしたものです。

 「あれー、こんなところにあった!」と大事にしまい直したところでした。その直ぐあとで怪我のニュースをきいたので、驚きました。

 お見舞いを終え、気を取り直して訪問に出かけました。ひたすらひたすら、ひたすら歩くのが、今大事なこと。「がんばって」という方が多く、励まされます。

 「ごめんね。今回はもう他で頼まれているの」という方とも、「市議選は知り合いや親戚もいるしね。それはそれとして、市民会館や市庁舎の建て替えについては、どんなご意見をもっておられますか。お聞かせください」とお聞きしてきます。すると、話しているうち共感しあえてきます。

 「市民の声を聞いて決める」はあたりまえのことだもの。今度の問題は、建てるかどうかの問題の前に「民主主義を踏みにじった」ことが大問題。市長の公約違反も大問題。

 でも、正しい情報が入っていないですね。この間の経過や、今度選ばれる人が実際には決めることになると話すと、「そうなんですかあ」と考えてくださいますね。原発も同じです。なぜ、マスコミが安全神話を流せたか・・・電力会社の買収があったと話すと、驚かれるかたが多かった。「まず、朝日新聞からやられた・・・」というと「ええー、だって朝日はリベラルでしょう?」「だからですって」「へー」・・・。

 対話をすれば世論が広がる。

 市議会での共産党の役割の重要性を訴えますと、他で頼まれていても「考えてみます」という方。「そうですねえ、家族で分けますかねえ」と言われる方。「共産党には本当にがんばって欲しい。でも、原田さんは大丈夫でしょう?」これです!

 最後はここを突破。大丈夫じゃない!激戦です。

                  

 夜は、今度はSさんの通夜でした。Sさんは、私が衆議院1区の候補者をしたとき、一区内移動の車の運転手を引き受けてくださった方です。本当にお世話になりました。また選挙のたびに、Sさんの地区を一緒にまわってくださいました。

 「闘病していましたが、もっと早く逝くと言われていたのですがここまでがんばってくれました」と奥さん。Sさん、ご苦労様でした。ありがとうございました。合掌。

 明日は栄村です。石坂県議と共に、田んぼの実態を聞き、「田直し事業」の予算の相談会です。

 

 

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常任委員会後、行動。新しい靴で歩きました。

2011年08月22日 20時37分47秒 | 活動日誌

ここ数日は涼しいけれど、まだひまわりが冴える季節が戻ってきそうですね。 「ひまわりは金の油を身にあびて ゆらりと高し日のちいささよ」前田夕暮作。中学校の教科書で知って、感動した作品です。

 

  午前中は常任委員会。そそくさとお弁当を食べて、出撃!!

 佐藤ブロックのOさんと行動の約束だったのですが、Oさんに急用ができて、うーん、非常に残念。お弁当を流し込んで駆け参じたのにな。仕方がない、次回に期待して、若槻に飛びました。

 今日も若槻区、原田ブロックです。市議選は、基本的には原田ブロックにシフトすることになりそうです。

 涼しくなったので、ボロボロになった夏用の靴から、バーゲンで買った新しい靴に履き替えました。さあ、この靴はどのくらいもつかな。すごく履きやすい。

 この世界、靴が行動を左右します。とにかく、歩きやすいことが条件です。でも、私の足は21・5センチ。靴がない。悲しい。だから見つけたら、大事にはくのです!

 第一ラウンドは、原田市議とY地区の医療生協有志後援会のKさんと3人での訪問です。

 Kさんが両生協を通して常々お付き合いをしている方々ですから、快く受け入れていただきました。Kさんは組合員さんと本当に丁寧なお付き合いをしていることを、実感しました。

 我が家でも医療生協の機関紙「みんなの医療」をご近所に配っていますが、忙しくポストに入れるだけではだめだなあ・・・と反省します。夫は赤旗日曜版の配達と集金もしていますが、ゆっくり話すどころか、毎月の集金も四苦八苦です。

 いつだったか夫が海に遊びに行き白魚を獲ってきたことがあって、「赤旗の読者に配るんだ」と張り切るのです。配ったのは、一軒にたったの数匹、びんに入れて運び「躍り食いをしてください!」

 「おい、喜んでいたぞ!」と。ほんとうかなあ・・・・??

 ゆっくりお付き合いをする余裕がないことも事実ですが、でも、心しているのといないのとでは結果は違いますから、コミニュティを作る努力はしなければですね。

 今日も市民会館と庁舎建て替えの話がもちきり、そして原発ゼロの署名でした。

 夜の第2ラウンドは、原田市議と2人で、H地区の訪問。

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