おはようございます。こちら朝5時半です。日本との時差は7時間なので、そちらはちょうどお昼ごろでしょうか。
昨晩は眠くて途中でダウン。ぐっすり今まで寝て、すっきりです。でも、夢で「アウシュビッツの子どもたちを助けに行かなくては・・・・」とうなされました。
早速、昨晩の若者との続きを報告します。
とてもしっかりと過去と今と未来を見つめているドイツ青年は、まさに未来への希望を発していると思いました。
右がエミリーさん、左がベレーナさん
28才のベレーナ・ブンクスさんは親が「償いの証」の会員で活動をしていたので、影響を受けたといいます。
「戦争になったドイツとポーランドの関係を知りたかった。過去は受け継いでいかなければならない」と言います。一年にわたりガイドのボランティアをしました。
「償いの証」では、アウシュビッツやほかの収容所、イスラエル、ポーランド、ウクライナ、西ヨーロッパなど、世界的な規模で、1~2年にわたりボランティとして派遣し、本の学習だけでなく、体験を大切に活動をしています。
組織は違っても、同じような仕組みはドイツだけでなくポーランドなどほかの国にもあるそうです。
また、ホロコーストを生き延びた方、戦争体験者との交流も大事にしています。
20才のエミリー・ヘアリーンさんは、「18歳のとき、社会見学でアウシュビッツに行きました。『償いの証』の組織のことは知っていたので、活動したいと思いました」。
「アウシュビッツから歩いて30分の宿舎から通って、博物館でユダヤ人の文化、暮らし、歴史を皆さんに伝えるボランティアをしていました」
戦前のアウシュビッツの村は人口の6割はユダヤ人で、16世紀に入植して歴史を作ってきました。でも、今はユダヤ人は一人も住んでいません。
また、アウシュビッツの方が分かりやすいので、わたしもそう紹介していますが、これはドイツ読みで、ポーランド名ではオシィビエンチムといいます。
ドイツが征服してから、町の名前も変えました。二人の若者は、「アウシュビッツ」ではなく、ポーランド名で話していました。
ユダヤ人の歴史や文化、暮らしを知ることは、国を越えて、違いを認め合いながら仲良くしてゆくために、一番大切なこと。
とてもよいボランティアをしているなあと思いました。
イスラエルからのボランティアや訪問者が、アウシュビッツの犠牲者の名簿を丹念に調べ、地縁関係者を見つけることもあるそうです。
「現在のイスラエルの状況から、若者の間ではどんな話が出るか」との質問には、訪問者との付き合いの仲では、そう深い話にはならないとのこと。
私も質問をしました。
「ドイツでは、ポーランドやフランスと協力して同じ教科書をつくっています。だから戦争の事実は、日本と違って学んでいると思います。日本では、知らせまいとして事実をかくしています。
ドイツの若者は、過去の受け止めは同でしょうか。周りの友人の様子を教えてください」と。
「ドイツでは社会見学も学校でするし、ディスカッションが好きですから、よく話し合います。クラスでも、先生とも。ディスカッションはとても激しくなります。
でも、突き詰めて話してゆくと、『もう話したくない』との雰囲気もあります。それは、過去への自分たちの責任、罪の意識を感じるからです。
でも、しっかり歴史は伝えてゆかなければ、と思っています」とのお返事でした。
「戦争の事実を親やおじいさん、おばあさんから聞きますか」との質問では、「このボランティアの活動の第一は、自分の家族の歴史を知ることです。家族が戦争の時どうしていたか、聞いています」と明快でした。
ドイツには、国の姿勢として、過去と対決しています。
お二人のしっかりした態度を見て、それが反映していると思いました。
日本の若者もがんばっています。
しかし、教科書さえ真実を書かない教育の中で、もっと多くの若者に、日本の侵略をどう伝えてゆくか、九条とはどれだけすばらしい憲法であるか、知らせる努力をしなくては、と力が沸いた懇談でした。