中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

衣料品コストロス

2020年07月30日 21時42分02秒 | 活動日誌
今週号の新婦人新聞に載った衣料品ロスの問題、本当にそのとおりだなあ・・と思います。

何もかもあふれているけれど、服も同じです。

価格を安くするために、ベトナムやバングラディッシュで生産する。大量の売れ残り前提。

国内では縫製業は零細で家業でやっている工場で、海外の工場と競り合うので工賃は安い。外国人労働者を雇わないとやっていけないそうです。

リサイクルはいいことだけど、リサイクル工場は飽和状態、その服はどこへ行くのか。

今では中国や東南アジアでも古着は受け入れない。


古着は繊維ごとに分けられて、それぞれ再利用される。
綿はウェスに、羊毛は車の内装に使われるフェルトに・・・。

★ここで問題は、ポリエステル・レーヨン・綿の複合繊維はリサイクル不能で、その一部はプラスチックと共に圧縮して燃料になるというのです。

これは国際的にはリサイクルと認められていないのだそうです。

このことは初めて知りました。

ポリエステルとレーヨン・綿混紡の製品はとても多いではありませんか。
扱いやすいんだけどね。


買う時は安いからといって簡単に手を出さず、買ったら大事に使おうと思いながら読みました。

そいう目で見ると、お孫ちゃんのママは大したもので、お孫ちゃんが育ってくる過程での服はもちろん、おむつカバー、よだれかけやガーゼの果てまで、きちんときれいに、月令ごとに保存してありました。

それをそっくり、お孫ちゃん2の母ちゃんが譲り受けました。

ベビーベッド、おまる、湯たんぽ、おもちゃの数々、おんぶひも、離乳食の食器・・・・などなど、すべてです。

始末の良さにびっくりでしたね。



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改定綱領の学習会

2020年07月29日 21時15分11秒 | 活動日誌
2年ほど前に入党した友人のMさん、まだ綱領を読んだことがない、とのことだったので、少しづつ学習をすることになりました。

支部会議の時間が合わなかったり、なかなか学習の時間が取れないし、一人では読めないと。

私と2人なら、融通を利かせ合うことができるので、とりあえずやってみよう、やらないよりずっといい、ということに。月に2回から3回くらいのペースです。

今日はその第一回目。

テキストは志位和夫委員長の「改定綱領が開いた『新たな視野』」
です。

私も勉強になります。

改定綱領は、中国問題をすっきりさせ、高度に進んだ資本主義のわが日本が、社会主義・共産主義へ進む先進的役割を持っていることに、確信を持たせてくれます。

知は力。

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市の出前講座、何にもわからない説明

2020年07月28日 21時55分00秒 | 活動日誌

若槻老人憩の家の廃止と民営化の問題で、医療生協若槻北部支部主催で、市の出前講座を開いてもらった。

コロナのため、限定の15人ほどが参加しました。

説明は高齢者活躍支援課の職員3名。

しかし、なんにもわからない説明でした。

まずは、20年間で公共施設を20パーセント削減が先にありきで始まっていますから、つぶすことが前提。


3月議会で条例で決まってしまった。「つぶさないで」でがんばることが難しくなった。

しかし、3月いっぱいは市の責任がある。
その後も民間にまるなげでは困る。

ところが、民間が失敗しても市は応援しない、と貸し付け条件に明記してある。


手を上げているNPOに任せたら、今までどうり、利用料200円を維持で来るのか、交流の場を維持できるのか、が大問題で質問が集中。


「NPOがどんな事業計画を持っているか、公表はできない」というのだから、経営が成り立つかどうかも含めて、話し合いにならない。


大体、指定管理料の年間1000万円が打ち切られるのだから、その金額だけの利潤を上げられるか、どうか。「普通に考えて、無理でしょう」の声が圧倒的です。




結論は,端的に言えば「市は撤退する。あとは民間におまかせ。失敗しても市は責任を負わない」ということを、あれこれもっともらしく表現しただけですね。

参加した方の発言は光っていました。

「私は連れ合いを亡くして寂しくてたまらない時、ここで交流して助けられた。もう10年も通っている利用者です。はじめは無料だった、それが50円になり70円になり、いまは200円。

そしてつぶすと言う。私は、もう年寄りはいらないって言われているように思う。

障がい者は無料だった。障がい者も助けられないのか。
寂しい時代になったね」

民間からの応募条件の中に、「…住民の賛同を得ていること」とあった。

「どんなことをすれば賛同を得たということになるのか」
の質問には「住民自治協議会の会長さんの賛同です」と。

「今日の会で出た地元の生の声は、自治協の会長さんの賛同とおなじくらい、いやそれ以上の重みがあります。
自治協の会長の賛同を得たから、住民の賛同を得たというのは間違い。だって、私たちは納得していない。賛同もしていない」と意見を言いました。

職員のみなさんは「きちんと上に伝えます」と約束してくださいました。


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山のようなボールペン

2020年07月25日 21時58分52秒 | 活動日誌
少しづつ、家のかたづけを始めました。

住人は私とジィジの2人しかいないのですが、それは寝ている時だけです。すぐ隣と後ろが娘たちの住宅なのです。

人が増えれば荷物も増える。
本当に増えました!

おまけにお孫ちゃんは、好き放題散らしまくって遊んでいます。

あんなに整頓されていた家が、見る影もない。

昔ならきちんと片付けるのに、今は「ま、いいか」と思ってしまうのは、あきらめなのか、はたまた「老化でめんどくさくなっているのか」と不安にもなります。

それでも、整頓しなくっちゃ。
余計なものは捨てること。
必要なものを選びやすく整頓し、かたづけもしやすくしましょう。

そこで納戸の引き出しの整理から始めました。

びっくり仰天!! ボールペンがダンボールに一つ!!
ボールペンはなぜかすぐなくしてしまうし、なぜか集まっても来る。


一本一本、書けるかどうか確かめて整理しました。


一昨年、キューバに行ったときのおみやげを思い出しました。

ボールペンを数百本、計算機など文房具をたくさん持っていき、とても喜ばれたのです。

キューバは日常物資がまだまだ不足していました。
病院では、カルテ用にボロボロになった紙でも大事に使っていました。

キューバでは困っている。私は多すぎて困っている。

少なすぎる問題、多すぎる問題。
生産力の遅れと進んだ資本主義の国の優れた生産力と過剰生産。

必用なものを必要なだけ生産するシステムは、社会主義・共産主義の実現で解決方向を見出せるのだろうが、そんな目で見ると面白く読めたのが、「民主長野」の鮎沢県委員長のエッセーです。

題して「モスクワ物語」。
ものを手に入れるための行列の話、手に入れるための裏道など。


















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夫にインタビュー

2020年07月23日 21時15分39秒 | 活動日誌
連休初日、夫に東北部新聞の記事のためのインタビューをしました。
リハビリ40年の歴史。

聞いていてすごいなあと敬服しました。
中央病院スタイルのリハビリを作っていった、夫を中心とした職員のエネルギーにです。

中央病院スタイルのリハビリの進化には、必ず現場主義が貫かれてます。

たとえば、患者さんの住宅を必ず訪問、家屋評価をし、「この家に帰すには何が問題か」と現実を見て考える。

病棟を開設してまもなく実践し、以後40年続いています。

病棟をオープンした40年前に決めた方針は、
  
  食事は病室ではなく食堂で食べる。
  おむつはずせるようにポータブルで自立をめざす

自宅で少しでも自立して暮らすために、どうしても必要なことだと決めたそうです。

夫の父親は、脳卒中で夫が高校生の時に他界しました。

その頃は、リハビリと言えば山の中のかけゆ病院に行くしかなかった。

家族と離れて患者さんはさびしい。
行けない人は自宅で寝ていた。

夫の父親もそうでした。

そんな経験から、都市型リハビリをめざしたのか。

今では一般的になりましたが、当時は都市型リハビリは中央病院しかなかった。

40年前、大学卒業し、初期研修2年を終えて3年目に病棟をオープン、スタッフはナースとマッサージ師と夫だけ。
「今はスタッフは何人?」
「知らない。わからないくらいいるよ」


思い出しました。

私が中央病院の小児科に入職し、発達相談の仕事の内容を手探りで探っていた時、相談者も少ない。仕事がない辛さ。

そこで、スタッフが不足で困っていた夫から、「脳卒中患者の言語訓練を手伝え」と言われ、日赤の言語療法士のところへ研修に通いながら、言語訓練の真似事で手伝った時期がありました。

振り返ると、あの当時は子どもが2人から3人になり、戦争のような日常を送りながら、二人とも新しい仕事を切り開く苦労をしていたんだなあ、と改めて思いました。

最後に夫に質問しました。

「今、仕事をしていて一番の問題として考えていることは?」
「・・・貧困だな。地域の荒廃だな」と。


患者会の「友の会」は、「患者さんと対等の人間関係になれる。それを学んだ。患者さんと一緒に夢を実現する集団にしたい」

やはり、インタビューしてよかったです。

40年の歴史をじっくり聞けその都度の考えの発展、実践の発展、そして夫の理念がよくわかりました。

夫婦と言えど、知らないことは多い。
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GoToキャンペーンは、今やるときではない

2020年07月22日 22時07分21秒 | 活動日誌
合唱団のレッスン日。

演奏会がすべて中止なので、必死に覚える緊張感がありませんが、だから、ゆったりといろいろな歌を楽しんでいます。
「みんなと会って、元気を出したい」との気持ちも大いにあって、休む方は少ないです。

Kさんは独り暮らし。東京にお住いのお子さんたちは、今まで度々来て下さっていたのですが、コロナでまったく来れなくなり、一人きりが多くなったと言います。


ところでGoToトレベルは不評というより怒りでした。

大体、早い実施を推進していた自民党の二階幹事長が、事業の受託団体や関連団体から献金を受けていたとは!!

国民の命は献金より軽し、ですか。

信濃毎日新聞では、東京がはずされたので、東京からの顧客が多い信州の業者が悲鳴を上げていると報じました。

今支援するところはどこか、明瞭ではありませんかね。

キャンペーンは延期。今実施するときではない。支援するは業者。

コロナ禍がおさまったら納税者になる業者を廃業に追い込んで、経済が復活すると思っておいでなのか!!

イライラはいけないので、お孫ちゃんの書きなぐりでもみて冷静になりましょうかな。

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どんな子に育てたい?

2020年07月20日 21時14分14秒 | 活動日誌
H保育園の発達相談日。
仕事が予定より早く終わったので、園内を一回りしました。


年中さん、年長さんが「あ、なかのせんせいだ。こんにちわ!」と言ってくれるのには、ムズムズ嬉しくなりました。


年長さんのHくんとAくんは、みんな教室で給食の準備をしているけど、かまわず泥遊び。

A君が真っ黒な顔で「おーい、なかのせんせーい」とにっこり。

相変わらずクラスの友だちがなにをやっているのかはお構いなしに、好きなだけあそんでいました。

が、ほどなく「せんせいよんでー。もうやめた!」と言っているではありませんか。成長しましたねえ。

先生は大したものです。
思い存分やらせれば自分で見切りをつけて帰ってくると、ちゃんと踏んでいます。

ここまでくる道のりも、またいろいろあったわけです。

しかし、このような実践は園内ではほかの先生にも見守られていても、他では「きちんとしていない。今、何をやるときかわからせるべきだ」との批判的評価もありますね。

そのような評価が一般的になっていることに、私は恐ろしさを感じます

先生との懇談では、親御さんの子どもの評価は「できる・できない」に目を奪われがちなこと、また、一生懸命の余りにつかれていることなどが話されました。

また、どうやって遊んであげたらいいかわからない。あやし方、笑わせ方がわからない、と言った悩みもあるそうです。

発達相談のほかに、9月には予約制で親御さんとの懇談会が予定されました。

  ★ 子どもの心に寄り添うこと  言いなりになるということではな
    い。
  ★発達の道筋、その子の年令の発達の特徴を知ること
  ★子どもや保護者が置かれている個人的な困難と、その背後にある
   社会的状況を知ること

そんなことを意識して懇談しましょうということになりました。






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あそびましたデー

2020年07月18日 21時45分26秒 | 活動日誌
子ども達とよく遊びましたデー。

10時ごろまでジィジもいてくれたので、畑仕事をしました。

庭のジャガイモを掘って、カブの種をまきました。


「人畝でこれだけか。一株からならわかるが」とジィジ。


「ああ、そうだ。今年はじゃがいもはよくないんだって。雨だもんな」

「まあ、ど素人なんだから。だいたい、これ、食べるジャガイモを種イモと間違って植えたんでしょ」

取り立てのジャガイモで、昼食にグラタンを作った。
おいしかったねえ。子ども達もよく食べた。

すこし取っておいて、夕食で皆さんにもコフキイモで一口づつ、「おいしい!」の歓声が上がりました!


少量に凝縮された飛び切りのおいしさは、自作の自慢の付加価値がスパイスだからです。


先週の週末から手がけていた焼き物を仕上げて散歩に行きました。
ヤブカンゾウが花盛り。

「春にみんなで芽を摘んで、おひたしにしたでしょう」
「こんな花が咲くんだね」とお孫ちゃん。

もう少しで、葛の花が咲きますよ。















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校門からの10メートルの葛藤

2020年07月17日 08時38分26秒 | 活動日誌
私はいつも、「自立とは突き放すことではない。どこかにすがっている安心感がないと飛び立てないものだよ」と、若いママたちにお話しします。

先日のA保育園のママたちとの懇談会でも、そんな話もすることになりました。


さて、お孫ちゃんのケガで、期せずして一週間、学校に送迎する機会に恵まれ??ました。
ここでも、ちょっと考えることがありましたね。


初日、校門前で車を止め、「ここから行けるよね」と促しました。
ところが「・・・・・昇降口まで送って行って」というではありませんか。


「はいはい、では行きましょう」と一緒に行きました。


次の日も、「・・・・・バァバ、一緒に行って」と。
「はい、行こうね」


昨日は昇降口につく手前で、クラスのお友だちに出会ったところで「バイバイ!」


今朝はお友だちがいなくても、校門から入ってすぐに「ばぁば、いってきまーす!」と元気で行きました。
車から一緒に降りてくれただけで、良かったようです。



校門から昇降口まで10メートルもない距離です。


でもその10メートルは、子どもたちが集団登校でどんどんと入ってきて合流する場でもあります。


その波に心が乗り切れず、ちょっとした孤独感をおぼえたのでしょうね。


「何言ってるの。行きなさい」と強く言って解決する子もいるでしょう。


その子の個性もあるけれど、こんな些細なことの葛藤の積み重ねが自立心を培っているんだなと感じました。


仲間に入ることでたじろぎが多いのは、今の子にはよく見られる現象です。


元気のよいお孫ちゃんにも、道であったどこのおばちゃんにも「こんにちわ!」って挨拶できるかと思うと、そうした苦手さもたまに垣間見るのです。


ジィジに話したら、こんな話をしてくれました。


「登校班で一緒にいけなくてずっと車で送ってもらっていた子がいたろう? あの子、この頃登校班に来るんだよ。でも下向いているんだ。友達になってあげなくっちゃな」


ジィジは朝しかお孫ちゃんに会えないから、毎朝、登校班の集合場まで行っています。だから子どもの様子がわかるのです。


それはよかったねえ。私はその子の気持ちはつかんでいないけれど、前進したことは確かかな。


「甘やかし」にも見えるかもしれないけれど、子どもの心の葛藤を励まして寄り添ってあげたらいいのかなと、思っています。


ただただ、甘いだけでは映画「チャーリーとチョコレート工場」に出てくる子みたいになっちゃうけどね。


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お中元とは何ぞや??

2020年07月16日 21時33分56秒 | 活動日誌
お中元を発注しました。

毎年のことながら、「これは日本固有の習慣か、どこからかやってきたのか・・・」と考えます。

今まではちょっと思うだけで終わりでしたが、今年は「はて、いつ生まれた習慣なの」と立ち止まってしまった。

急なことで本や資料もないので、インターネットを使って調べてみました。

なあるほど。

由来はやり中国でした。

旧暦の暦法で、上元、中元、下元と別れ、中元は7月15日。

中元の時、神様にお供えした人は罪が赦されるといわれていたそうです。

備えしたものを食べることは、神様との交流を深める意味があったそうな。

日本にも早くから伝わってきて、江戸時代には商売人が、手ぬぐいなど配り始めてきたことも習慣を発展させる要素になったようです。

今の中元の習慣は、日清・日露の戦争後に好景気で次々生まれたデパートが、いわば作り出してきたようですね。

贈り物に食べものが多いのは、「神様と共に食する」名残りなのだと。

いわれてみれば、中元のお供えの原点は食べ物です。

普段はご無沙汰していても、御世話になった方へのご挨拶ができることは、年賀状と同じですね。

違うところは、年賀状より、はるかにお金がかかることでしょうか。

プレゼントを受け取って「私のこと、忘れていなかった」なんて、ちょっと嬉しい気持ちにもなりますが、「果たしていい習慣なのか、なくてもいいのでは」との意見もあがる所以なのだとおもいます。

今年はコロナで、収入減、収入ゼロが続いているお宅も多いです。
中元どどころではないお宅も多いことでしょう。。

中元に挨拶しあうのも文化、暮らしを守る補償をしてほしいです。

東京が落ち着かないと、地方は不安が拭い去れない。

国も東京都も、初動から対策が遅れ、未だに遅れに遅れています。
あきれるばかりです。あきれ果てる。



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