今日はめまぐるしい一日でした。
「増勢にしなければ!」と対策を考え考え、行動もして、頭の中がめまぐるしかったのです。
午前中は木島平村で「つどい」、新しい仲間をお迎えできました!!やったあ!!
中野の事務所に戻り昼食をとって、飯山市へもどり支部のKさんと行動しました。赤旗が増えました!やったあ!!
夜は、長野に戻って、K支部の会議に参加して報告。討議の後、「明日の午前中までに3部の日曜版を増やすようにします!」との支部員みんなの決意がすごい。
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朝は大雪で、雪深い木島平に行くのだから、早く家を出ました。
つどいは7人。早く着いたのでみなさんが来る前に高山すみ子さんとツーショット。高山さん宅での「つどい」だったのです。
高山さんは、「ののさんになるんだよ」の著者です。満蒙開拓団の引き上げの時に集団自決をせまられ、「ののさんになるんだよ」と言い聞かせた幼い我子が銃殺されたのです。危機一髪のところで、ご本人は助かりました。
「小さい子どもが撃たれたときに、体が飛び上がって・・・・」と、話されながら、泣かれます。本当にむごいことです。
みんな集まって、ビデオを見て、入党のお誘いをしました。
私は、今度の総選挙、どうしても藤野さんはもちろん、小選挙区からも議席を取りたいと、私の思い入れを3つ点でお話ししました。
一つは、私の故郷が、宮城県石巻市であること。震災の上に福島原発問題も起きて、復興や国民の命を守るには、どうしても政治を変えたい思いです。故郷の復興への政治姿勢は、日本の国民の命を守る政治をするかどうかの試金石です。
二つめは、私が候補者をした10年余は、2大政党制とのたたかいだった。あの苦しい時代もみんなでたたかってきた。そして、その成果が、今、民主党政権でもダメ、国民は新しい政治の模索をしている状況を作った。
私は、この10年余のたたかいの悔しさを、今度は何としても議員を送るたたかいで実らせたい、その思い。
3つめは、長野県人でもある、私の思い。橋下市長のファシズムは絶対に許さない。
2・4赤化事件で、長野県は600人のレッドパージのなかでも200以上が教員という、教育への弾圧を受けた。共産党員だけでなく、貧しくて、弁当をもってこれない子に、自分の弁当を分けてやる優しい先生も弾圧された。
それを恥ずかしいことし、国への忠誠を示し、国に節を立てるため、教師は青少年義勇軍を「満州」に送ろうと必死になって、教え子を説得してあるいた。だから、満蒙開拓団もそうだが、青少年義勇軍も日本一、送ることになったのです。半分の子は、生きて帰って来れなかった。
戦争の犠牲者の高山すみ子さんの前で、私は長野県民としてどうしても子どもを守るためにがんばらなくては、と、そのことを話しました。
高山さんも「政府は満州に行けとあおったけれど、帰ってきてから何一つしてくれはしなかった」と悔しさと消えることのない悲しみに耐えて話されました。
仲間になってくれた方は「私はずっと応援してきたし、投票もしてきたけど、それでは党員と言えないの?」と、聞きます。「そうです。登録しなければ」と4つの大切の説明をしましたら、快く入ってくれました。
嬉しかった、嬉しかった!!
そして、支部のNさんがこう言いました。「つどいは初めて経験したが、こんな風にやればいいなら、いくらでもできるね」
「そうですよね!!」
高山さんは88才。俳句を楽しんでいらっしゃいます。
夢一つ おき忘れたる あけやすし
沢山貼ってあった中で、この句がいいなと思いました。
木島、中野、飯山を行ったり来たりしましたが、午後は朝の天気はうそのよう、良く晴れてくれて、私の好きな風景がくっきり見れました。
飯山と中野の境目で。