中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

A保育園で。「ワンワンしか言わないのですが・・」

2016年11月30日 21時09分14秒 | 活動日誌

 

 

 

上田のA保育園の発達相談でした。みんな元気、よしよし!お母さん方は「必死です」が合言葉のようでした。

ちょっと気にかかることもありましたが、仲間と優しい先生のいる園でのこれからのくらしに期待しましょう。

 

お母さん方から、質問がたくさん出ました。

その中の一つに「うちの子はなんでも動くものはワンワンとしか言いません」との心配。1才児のお母さんお二人からありました。

これは1才児では当たり前のことで、全く心配はいりませんね。健康に育っています。

 

1才半ごろ、発達の節目があります。このころ、1才児の「・・・・だ!」のまっすぐな発想から、「・・・・ではない。・・・・だ」という発想が生まれてきます。

 

「お鼻はどーこ?」と聞くと、目ではなく口ではなく、ちゃんと鼻を選んで示してくれますが、あれです。「これではない、これでもない、これだ」というわけです。

「ワンワンではない、ニャーニャーだ」と言葉の分化が進んで、語彙が増えていくときです。

 

このような力は、自分で気持ちを立て直そうと転んでも頑張って立ち上がったり、「これ、パパに渡してきて」なんて簡単なお手伝いをして帰ってこれるような、日常生活にも変化を出してきます。

 

そして、人との交流も上達してきます。指さしでも、自分で納得するだけでなく、「ね、みてみて。あれすごいね!」と言わんばかりに相手に共感を求めて顔を覗き込んで指差ししますよ。

 

だから、共感してくれる大人とお友達ががいるって、とっても大事なのですね。

 

力は自然に育つのではなくて、子どもの憧れ、「あのおにいちゃんのように、ぼくもあるきたいな」「おはしをじょうずにつかいたいな」・・・でもできない、できるようになりたい。

 

この矛盾・葛藤を自分で乗り越えようとする作業が発達だから、いつでも共感してくれる大人と励まし合う間集団があってこその発達です。

 

お母さんが自信をもって子育てできるように、その子の現在の発達段階と見通しをわかりやすく話すようにしています。ちょっと知っていれば、心に余裕も出るかもね・・と期待も込めて。

 

子どもはいつも頑張っているのだから、我々も矛盾と立ち向かわないとね。「どうせだめだ」なんて、子どもには見せられない姿だなあと思っています。

写真は、昼食後、重い給食の食器をもって一生懸命運んでいる子。階段を一歩一歩慎重に登っていました。えらいねえ。この階段は、子どもが危険や困難に負けないように、わざと作ってある階段なんですよ。

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A保育園は寒い!先生も元気!

2016年11月30日 21時09分14秒 | 活動日誌

 

見ました。

みんな元気、よしよし!ちょっとばかり気にかかることもありましたが、仲間と優しい先生のいる保育園での暮らしに期待しましょう。お母さん方は「必死です」が合言葉のようでした。

 

お母さん方から、質問がたくさん出ました。

その中の一つに「うちの子はなんでも動くものはワンワンとしか言いません」との心配。1才児のお母さんお二人からありました。

これは1才児では当たり前のことで、全く心配はいりませんね。健康に育っています。

 

1才半ごろ、発達の節目があります。このころ、1才児の「・・・・だ!」のまっすぐな発想から、「・・・・ではない。・・・・だ」という発想が生まれてきます。

 

「お鼻はどーこ?」と聞くと、目ではなく口ではなく、ちゃんと鼻を選んで示してくれますが、あれです。「これではない、これでもない、これだ」というわけです。

「ワンワンではない、ニャーニャーだ」と言葉の分化が進んで、語彙が増えていくときです。

 

このような力は、自分で気持ちを立て直そうと転んでも頑張って立ち上がったり、「これ、パパに渡してきて」なんて簡単なお手伝いをして帰ってこれるような、日常生活にも変化を出してきます。

 

そして、人との交流も上達してきます。指さしでも、自分で納得するだけでなく、「ね、みてみて。あれすごいね!」と言わんばかりに相手に共感を求めて顔を覗き込んで指差ししますよ。

 

だから、共感してくれる大人とお友達ががいるって、とっても大事なのですね。

 

力は自然に育つのではなくて、子どもの憧れ、「あのおにいちゃんのように、ぼくもあるきたいな」「おはしをじょうずにつかいたいな」・・・でもできない、できるようになりたい。

 

この矛盾・葛藤を自分で乗り越えようとする作業が発達だから、いつでも共感してくれる大人と励まし合う間集団があってこその発達です。

 

お母さんが自信をもって子育てできるように、その子の現在の発達段階と見通しをわかりやすく話すようにしています。ちょっと知っていれば、心に余裕も出るかもね・・と期待も込めて。

 

子どもはいつも頑張っているのだから、我々も矛盾と立ち向かわないとね。「どうせだめだ」なんて、子どもには見せられない姿だなあと思っています。

写真は、昼食後、重い給食の食器をもって一生懸命運んでいる子。階段を一歩一歩慎重に登っていました。えらいねえ。この階段は、子どもが危険や困難に負けないように、わざと作ってある階段なんですよ。

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ただいま、帰りました。

2016年11月27日 21時51分14秒 | 活動日誌

 ベトナムからただいま帰りました。

 ベトナムではエネルギーをたくさん感じてきました。

 

バイクに奥さんと子ども二人の4人乗りは平気でやってのける方々、市場で働く女性の勢いの良いこと、「生きるために必死」がズンと伝わってきました。

 

そしてどこへ行っても子どもたちの元気な姿が見られます。地域でも子どもの姿をあまり見られなくなった日本とは違いましたね。

 

もちろん、医療制度などは5年前に訪ねた時とあまり変わっておらず、保険制度も不十分で医療を受けられない人もいたし、病院のベッドも一つのベッドに2人から3人で共有するという事情もそのままでした。

 

私が交流した学生は、歯医者に入ったことがないと言っていました。もしかしたら虫歯がないのかもしれませんが「歯医者は保険がきかない」とも言っていました。

 

ベトナムには鉄道がありません。インフラが間に合わないのかな、と思いました。実際の事情は??ですが。

原発の輸入をやめたニュースでは、「政権が変わったから」という声を聴きましたが、どれだけの住民の反対があったのか、よくわからなかった。でも、これはとっても嬉しいことだったが、火力発電に頼るという方向は、何とか先進国の再生可能なエネルギーの知恵を共有できないものかと思いました。

 

汚職もあるという話は良く聞きました。

でも、平均年齢が28才、紆余曲折しながら前に進もうとのエネルギーは、お会いした人達一人一人から感じて、日本も、恥ずかしくないようにがんばらなくっちゃ、と思いましたね。

 

 日本こそ、政治の世界の汚職は普通にあって、原発は推進、戦争さえしようとしています。先進国のくせに人を大事にしない事では筆頭にたっているではありませんか。貧困と格差の広がりも大きい。

 

アジアの皆さんと仲良くして、平和で庶民が大事にされるアジアを作る中心的な存在に日本がなる事こそ、先進国の名に値する行為ではないでしょうかね。

 

たくさんの方との出会いと感動で、楽しく愉快な旅でした。

旅の基調は、「ベトナム戦争と平和」でしたね。

ドクちゃんとも会えました。ツーズー病院の元院長やドクターとの懇談、高校生、大学生との交流、ガイドのホーさん一家との交流も素晴らしかった。枯葉剤被災者の会の会長さんとも懇談し、タトゥー族の村ではベトナム戦争を戦った92才になる元村長さん、そして106才のおばあちゃんにも会えました。

106才のおばあちゃんです。しっかり、自分の足で歩いていました。ニコニコと迎えてくれました。

タトゥー族を案内してくれたガイドのキーさんは、106才のおばあちゃんのひ孫さん。

この村から大学へ行けた人は3人で、キーさんはその一人でした。

 

これは、タトゥー族の元村長さんのおかんです。ベトナムの人は死んだ時自分の住処になるおかんをとても気にしているそうです。

だから、生きているうちに準備できると安心。このおかんの材料は黒檀、家を建てるよりかかったということです。

おかんがない時は仕方なく火葬にするそうです。土葬が基本なんですね。文化の違いも感じてきました。

 

さて、日常が始まりました。久しぶりに会った孫は、なんだかちょっと大人っぽく見えました。

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スーパーマーケットとバイク

2016年11月26日 08時26分46秒 | 活動日誌

 

11月25日

 似顔絵画家は忙しい。もう、6カ国以上の方と友人に。国際交流の貢献をしています。(笑い)

 

山岳地帯の少数民族タツゥー族に会いに行く予定ですが、ゆうべ、大雨洪水でたどり着けるかどうか分からないそうです。行けるといいのですが・・・・・。

そんな危険も伴うし、一日かかるので、観光客はめったに行かないところだと、添乗員の方の話。でも、私たちには,一日かけても行きたい魅力の場所です。

 

さて、前回スーパーに言った感想を書きました。

とにかくガラガラなのです。それに、スーパーの品物もそうですが、建物全体の各階の品物は電化製品にしても貴金属や衣類にしても、高級感があって庶民は買えるのかなあ・・・と思うほどです。長野で言えば、東急デパートみたい。

しかもベトナムでは平均賃金が6000円、公務員が1万5千円といいますから、ますます遠い存在だと思いました。

 

ホーさんの話では、スーパーの近所全体の土地を資本が買い占めていて(使用権ですが)高級住宅地に開発してゆくのだそうです。高級住宅街の住民がターゲット、買い物場所として建設されたようですね。なるほどねえ、うなずけました。

 

日本のスーパーーとはちょっとニュアンスが、今のところは違うみたい。

 

さて、夜になるとバイクは若者の二人乗りで溢れています。デートなんですね。クラクションの鳴り響かせながらおそれもなく縦横無尽に走っています。

 

こんなものじゃありませんでしたよ。バイクで道に隙間が無くなる。

夜のバイクの若者も多いが、バイクは日常の移動手段、何でも運んでいました。豚さんも、ガラスも野菜も、山のように、本当に山のように積んでいるのです。。

 

しかし、運転は危険。我々ではとてもできないと思います。小競り合いの事故はしょっちゅうとのこと、死亡事故も年に一万5千人もいるといいます。

中国と同じで、「強いものが勝ち」が交通ルールのようです。バイクが多くてどうにもならないのかもしれません。

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11月24日。枯葉剤被災者の会、会長と懇談。

2016年11月26日 08時02分48秒 | 活動日誌

 

 

11月24日  枯葉剤被災者の会会長さんと

 

 昨日はミトーから船でメコン川をくだり、夜はガイドのホーさん宅で楽しい交流会。

メコン川は、想像どおりの泥の川。この川に漬かって戦ったのだなあと、開放戦士に思いをはせました。

クルーズは楽しかった。菅笠をかぶったおばさんが船を操ってくれました。

途中、果樹園によって、あらゆる南国の果物を堪能しました。

 

果物は豊富です。

全体に淡白で、日本の果物とはちょっと違います。

もちろん、おいしいいのですが、日本と比べて酸味が薄い。パンチが足りないなあと、感じます。塩がついてくるものもありますね。その中でもパッションフルーツはすっぱくて最高に刺激を与えてくれました。

 

さて、今日は早朝、ホーチミンの空港からダナンに向かい、日本街のあったホイアンを探索。

 

 

ホイアンで昼食。

ガイドのホーさんのおかげで、ベトナム料理を堪能。どこへいっても実においしいものを食べられるレストランを用意いてくださった。

 

本日のメインは、ダナンにて、枯葉剤の被災者の会のベトナム全体とダナンの会長さんと、ダナンの高校生との交流でした。

 

会長のヒーンさんのお話は貴重でした。

 

枯葉剤の被害者は全国400万人、ダナンで5000人。そのうち子どもが1500人。

 

病気の治療やリハビリ、就労支援を行っているとのこと。ツーズー病院はもともとドイツからの支援で始まったが、被災者の会は独自の支援募金で行っているとのことでした。

全世界に支援者がいるそうで、あらためて世界の良識を見たおもいです。

 

日本の新婦人や原水協の皆さんの支援にも感謝していました。もちろん、「婦人団体」「平和運動のみなさん」との表現でしたが。

 

政府やアメリカへの支援や損害賠償請求は、(あまりに不誠実なのでで)「やってもらえるとは思っていないが、平和のメッセージとして啓発するために行っていますと。枯葉剤だけではない、原爆もダイオキシン被害も、みんな同じ根っこだと、語ってくれました。

 

また、私たちには「20代からいまなお続くベトナムへの思いに感謝」だといってくださいました。

今晩もまた、歌でお礼をしました。

ヒーンさんは感動して、自作の歌を披露してくださった。42才にしてあきらめていた子を、それも双子で授かった喜びを作詞作曲したといいます。心のこもった交流が出来ました。

 

ヒーンさんを囲んで。中央がヒーンさんです。前に並んでいるのは、学生さん。左端は学生ではなく、私です!ア、分かりますね。若くないから!!(笑い)

 

少し飲みすぎましたねえ。今晩もかあ。(笑い)

 

「武士道」と言う和食の店での夕食でしたが、出てきたものはキムチ、韓国海苔の乗ったサラダ、焼肉・・・これ韓国料理じゃない?お店にいた日本人の職員が「そうです。ベトナム人が日本料理と思っていりだけ。

和食は食材が高い」といいました。だけど、ベトナムで作ったという日本酒?がでました。まアまあ、おいしかった。

16才からの日本語を学んでいる学生さんがかわいかった。すごくかわいかった。ドッペン。

 

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最高のたびでした。

2016年11月26日 00時59分57秒 | 活動日誌

 

最高のたびも明日一日となりました。

出会いました!飲みました!食べました!笑いました!歌いました!

もうすぐ孫に会えます!

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カトゥー族を訪問しました。

2016年11月25日 23時53分42秒 | 活動日誌

 

昨日から、電波の都合か、どうしてもインターネットがつながりませんでした。

本日夕方、「あ、つながってる!」なかなか難しいものですね、機器は。

 

さて、感動の毎日、報告できなかった分はワードで書いたので、また帰国後処理します。とても素敵な出会いと感動があったのです!枯葉剤の被害者の会の会長さんとも出会得ました。

 

今日はもう遅いのですが、それでも報告したい。

 

少数民族のカトゥー族を訪問しました。ホイアンからバスで3時間弱かかったかな。山の中です。

 

 

昔ながらのくらしをしていました。

かつて解放戦線と共に戦った民族、枯葉剤の被害も受けた民族です。

いろいろ知りたかったのですが、一回の訪問では無理ですね。

 開放戦士として戦った元村長さんとのお会いしましたが、92才ですって。当時のことをお聞きしたかった。

 

でも、元村長さんも含め、タトゥー族の皆さんの素朴で暖かい人柄に触れたことが、一番の宝となりました。

 

 私は、本当に心熱くなりました。

 私たちがどこかに忘れてきているのもを彷彿させる出会いでした。

 

村にはかわいらしい子ども達がたくさんいました。その目は、澄んで輝いているの。屈託が無いのです。胸が打たれました。子どもって、こんな風にきれいなのよねっておもいました。 

 

動物たちも共存しています。

昔ながらのくらしはいいことだけではないのは、それはもちろんですが、人が大事にすることってなんだろうと、考えましたね。

 

民族舞踊の歓迎はすばらしかった。一緒に踊ったことは最高の思い出になりました。

 

さて写真のアップがうまくいきません。頑張ってみます。

 

何枚かうまくいきましたが、どうしてでしょうね。全部うまくアップできないのですよ。まあ、かんべんね。

 

 

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ベトナム支援を思い出させたホー一家との交流会

2016年11月24日 06時12分03秒 | 活動日誌

おはようございます。現在こちら4時。今朝は6時出発なので早起きしました。

夕べはホーチミンにもどり、ガイドのホーさん宅にお招きいただき、学生さんと交流しながら楽しいひとときをすごしました。

 

ホーさんのお父さん、お母さんは、ベトナム戦争のときハノイにいて2人とも共産党のジャーナリストとして活躍した方でした。

 

1975年の勝利のあとホーチミンに移り、南の建て直しの仕事に就いたそうです。

ホーさんのお連れ合いは大変な美人、たくさんのベトナム料理をご馳走してくださいました。

 

またもや夫の似顔絵が、私たちの心をつないでくれました。

ご家族全員の似顔絵を描き、お父さんは「ちゃんとかざっておく」と喜んでくださった。似顔絵をもったお父さん、おかあさんと、ホーさんご夫婦です。

 

私たちをご招待してくださったお礼に、また臨時合唱団で「青い空」を歌いました。

ホーさんのお父さんが大変感動して、返礼に「ホーおじさん」の歌をホーさん一家で歌ってくださった。

 

それで私たちは懐かしい「若いベトナム兵士」を歌った。

ホーさんのお父さんは「私たちがよく歌った歌です!」と感激。

 

「私たちの青春は、ベトナム戦争支援で過ごしました」との言葉に、「昔の人形があります」と出してきたのは、なんと、当時、ベトナムの母と子を救おうと、日本で使った募金を集めた人形でした。

 

歓声が上がりました。きっと、最後の人形だとおもいます。もう、日本でもないですよね。

 

お母さんから「ほんとうにありがとう」とお礼の言葉に、当時のたたかいが浮かび、連帯とうれしさがこみ上げました。

 

日本政府は日本の基地からベトナムへ、ベトナムの人を殺す飛行機を飛ばした。戦車を送った。だけど、我々国民はあげてベトナム人民を支援したのです。

 

興奮は続きしまいは「インターナショナル」まで歌ったのです。

 

お父さんが「皆さん、今度来た時は、歌う時間をもっととりましょう!!」と、喜んでくださって、堅い握手をかわしました。すばらしい時間をすごさせていただきました。

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ベトナムの平均年齢は28才!

2016年11月23日 09時47分42秒 | 活動日誌

朝の散歩。まだ、涼しくてきもちがいい。メコン川は魚釣りの人と船でにぎやかでした。

ここでは船は生業の手段でもあり、移動の手段でもあり、なくてはならないものになっています。船の上で朝食をとっている人は、どんぶりにいろいろ乗っけてかきこんでいました。

繁華街を外れると、よく道路沿いでも食事をしている人がいますが、やはりどんぶりめしですね。

 

 

さて、どこにいっても若者で溢れた町、それがベトナムの印象です。昨日はスーパーマーケットをのぞいてみましたが、職員のほとんどは若者でした。レストランに行っても、どこにっても若者でいっぱい。

 

平均年齢が28才といいますからうなずけます。ちなみに、日本の平均年令は・・・と調べたところ、約45才。

 

1975年、ベトナム戦争が集結したときには、人口は4500万人ほど。(石川文洋さんの本によれば)。現在は1億人にかけるくらいに増えています。

 

ベトナム戦争の影響が感じられます。今は未来に希望が持てる若者のエネルギーが溢れていますね。

 

しかし、心配もあるようです。

 

ベトナムではドイモイが進んだ結果、拝金主義と学歴社会も進んでいるようです。

 

しかし給料は安い。学校の先生もアルバイトで家庭塾をしているのが普通、そして自分の学習塾へ来た子には良い成績をつけてあげる、といったことが横行しているそうです。

 

真の学力ではなくても、目に見える点数に親は安心。学歴をつけていいくらしをさせてあげたい親心です。

 

子ども達は学校ほほかに塾通いで疲れ果てていると。

 

ガイドのホーさんいわく「私が育ったときは学校は面白かった。知らないことが分かった。でも今は違う。私は先生に、うちの子には教えなくてけっこうです。勉強嫌いだから、といっています。もちろん塾にはやりません。点数はどうでもいい」と。

 

その子どもさんが、実はクラスでトップクラスに優秀だというのですね。

 

「仕事はいっぱいあります。でも大学出た若者はプライドもあり専門知識で働きたい。その仕事は多くない。どんな仕事でもするとはなりません。アルバイトで暮らす子もいます」と若者の実体を話してくれました。

 

「昔はベトナム戦争で団結した。今はばらばら」とホーさんは言いました。

 

ドイモイはいろいろな影響をだして、一筋縄ではいかな様です。

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メコン川の水上市場へ

2016年11月22日 11時25分34秒 | 活動日誌

メコンデルタの中心的な街、カントーにいます。人口120万人ほどの大都市です。

今朝は船に乗って30分、水上市場へ行ってみました。

 

市場は3時半から始まって、7時にはおわります。ベトナムは暑い、太陽が昇ってくると物が傷むためです。私たちが出かけたのは、6時でした。

 

船から朝日を見ました。

このような船がたくさん並んでいます。自分は何を売っているか、さおの先に品物を結んで知らせています。この船はかぼちゃ。

 

小さな船がさっと寄ってきたかとおもったら、勝手にさっとロープを私たちの船に括り付けました。

ガイドのホーさん「水上喫茶ですよ」

 

ココナツになたを入れストローをさして、「買ってくれ」との強引な勧めです。非常にたくましい。必死で暮らす姿に共感しましたね。

 

ベトナムの労働者の平均賃金は6000円、公務員で1万5千円だそうです。「船での商売は公務員よりいいかも」ということでしたが、まだまだ、貧しい国です。

車を持っている人はお金持ちなのですね。

 

メコン川での水上生活者は、たくさんいます。船でくらしている人もいます。でも生活雑俳水や糞尿もみんな川に流すので、ちょっと問題になっていました。

 

公衆衛の面では、まだ遅れています。ホーチミンでもゴミがいっぱい、カントーのほうはまだいいようでゴミの収集場所がありましたが、川べりではゴミの山のそばにレストランがありましたね。

 

水上生活者は移動してくらしているので子ども達の教育も大変、学校へ行けないので、親戚にあずけられたりするのだそうです。

 

リゾート地では見えない庶民の暮らしに共感します。発達途上国への真の応援はなにか、を考えますね。

日本の儲けのためにばら撒くODAでいいんでしょうかね。

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