中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

みんな違ってみんないい

2021年05月31日 21時57分16秒 | 活動日誌
保育園で発達相談。
 
年中さんのA君は、初めての人にはなかなか心を開きにくいし、一人で遊ぶのが好きだし、集団にも入りにくいのだそうです。
 
だけど、「Aくんは何組?」と聞いたら唇が動いています。
声はほとんど聞こえないけど、ちゃんと応対してくれたのですね。
とてもうれしかったですねえ。
 
 
それでウマが合って、課題も頑張ってくれました。
一生懸命さが伝わってきたし、わからない時「わからない」と言えました。
 
 
すごいことです。わかることがわかっていて、わからないこともわかっている。
 
 
「何より、保育園が大好きでニコニコ通っています。楽しい居場所になっているのだと思います。
お友だちが大好きだからですね。
だから、いつも同じ行動をしなくてもいいではありませんか。
見守りましょう。自分から入りたくなる気持ちを大事にしたいですね。
それには、保育者も一役買わなければね。どんな実践をしたらいのかなあ・・・。
A君が1人でいることが多いのは、一人が好きなのではなくて、『友だちとあそべるようになりたいなあ』と願いを追っている姿だと思います。
だから私たち大人も、願いをくんで悩みながら実践していきましょう」
 
 
検査後の先生と親御さんとの話し合いは、そんな内容でした。
 
 
初めは「みんなと違う」と泣きじゃくっていたお母さんが、大笑いもして泣き笑いで帰られたので、ああ、よかったなあ。
 
 
これから時々、お付き合いをしてゆくことになりました。
 
 
A君、きっと大きく成長しますよ。
 
 
みんなで見守って育てていきながら、実は私たちがA君に育てられていることに、きっと気づいてゆくのだと思うのです。
 
 
今日はA君との出会いが嬉しい日でした。
 
 
帰りの車は、いつものようにボイストレーニングのテープを聞きながらの運転です。
今の練習曲の「Star vicino」(「側に居ることは」)の一人レッスンもとっても軽やかでした。
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生理の貧困

2021年05月30日 22時34分10秒 | 活動日誌
「潮流」の書き込み、28日(金)、29日(土)は書けずにパスしてしまった。
 
それで今日は3日分を書き込みました。
 
 
3日分書くつもりは毛頭なかったのです。 時間が許したから書いちゃた、って感じですね。
 
 
28日は、「生理」とジェンダー平等の話でしたね。
 
子どもたちへの生理用品の無料支給が全国的な運動になっています。
 
このことで、私の意識も変わりました。
 
 
そこまでは思いが及ばなかった。 「生理の貧困」なるほどです。
 
 
どこかで私にも「タブー」の意識があったのかもしれない。
 
「生理用品がない」と話すのは「食べるものがない」と違って、恥ずかしいと思っていた自分を自覚した。
 
 
ジェンダー平等は、こうしてひとつひとつ自分の心に刻んで、確かに自分のものにしてゆくんだな、と思った。
 
 
相変わらず、バランスの良い美しい字が書けない。 書字とは難しいものだ。
鉛筆は、私は2Bが一番書きやすい。
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ホタルの土京川の清掃日

2021年05月28日 20時44分08秒 | 活動日誌
ホタルの土京川の掃除の日。
 
朝6時からでしたので、お弁当を作り朝食の準備を終えてから、飛び出しました。
 
昨年はコロナのためイベントは中止でしたが、今年は何とか工夫して実施すると決まりました。
 
 
お掃除には「守る会」から原田さんやKさん、滝沢市議も参加しました。
 
「守る会」のメンバーも住民自治協議会で呼び掛けたホタルサポーターズの組織に入って、住民自治協議会と共同で行っています。
 
 
今年は川の中にビニール袋などのゴミの量はいつもより多かった。
 
昨年、イベントがなかったので放置されていたためでしょうか。
でも、水はきれいだ。
 
草刈りも済んできれいになって、これで鑑賞会ができます。
 
その前に、ホタルの学習会があり、学習をして当番でガイドにあたります。
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「昭和の森の桜を守る会」が市と懇談

2021年05月27日 13時25分42秒 | 活動日誌

「昭和の森の桜を守る会」が、市の公園緑地課と懇談しました。
課長はじめ、4人の担当者に対応していただき、
とても良い懇談となりました。

 

市としては剪定や伐採、虫駆除などは責任をもってするが、肥料を施す作業などやっていただければありがたい。

お互い、協力し合っていきましょうとなりました。

 

とりあえず今年は肥料代くらいは出せるかな、との提案もありました。

 

また、桜の根元の環境が悪いことも共感でき、これも検討課題となりました。

 

肥料をやるにしても、公園の桜の全体像をつまむ必要があるし、どの個所から実施してゆくのか、誰がどうやって仕事をするのか、など、いくつかの検討課題も出たので、緑地課、私たちと双方で検討して、夏ごろに再び懇談することになりました。

 

また少し先が見えてきました。

 

懇談にさきだって、緑地課の担当者が昭和の森の桜を見てきてくださったということ。

大変うれしいことでした。桜を守りたい気持ちは一緒なのですね。

 

公園管理は指定管理者がおこなっているので、そことの調整は市がおこなってくれるとのこと。

 

「守る会」として早速、6月11日に現地調査をすることにしました。

桜の木を数え、根元などの環境状態も1本1本調べてきます。

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土京川のホタル

2021年05月24日 07時07分52秒 | 活動日誌
もう少しで土京川のホタルが出てくる季節になります。
 
6月号の東北部新聞の編集会議の時、原田さんが「今年はホタルを守る会の35周年になるんだ!」と言ったので、「あ、そうだ!」と。
そんなに経つのですねえ。
 
 
私が長野に来て41年、上野に住みついてから36年ですから、来てまもなく始まった運動でした。
 
 
当時は川の水も汚れていて、昔はたくさんいたというホタルが絶滅状態、一つ、二つ、と数えるほどでした。
 
 
「復活させたい」と、ゴミ拾い、草刈など川の掃除をし、学習もし、毎年「ホタルを見る会」を地道に行ってきました。
 
 
土京川のホタルの値打ちは、地場産だという事です。
ここで生まれ、ここのカワニナを食べ、ここで育った純粋種です。
 
 
そうこうするうちに下水道が通ったこともあり、水がとてもきれいになってきて、今では乱舞がみられるようになりました。
 
 
途中、住民自治協議会から、「これは地元の宝だ。一緒にやらせてもらいたい」との嬉しい申し出があり、以来、共同で活動しています。
 
「ホタルサポーターズ」との組織も住民自治協議会の中にできました。
私も原田さんも、滝沢市議も、サポーターズもメンバーに入っています。
 
 
今年もコロナで「ホタル観賞会」のイベントは中止かもしれません。
 
 
ホタルが復活してから有名になって、たくさんの方々が鑑賞に来るようになりました。
正直、有名にならない方がいいなあ・・・との気持ちです。
人がたくさん入ると、どうしても・・・。ね。
 
 
28日の早朝は、土京川の川掃除です。
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オリンピックは中止すべき

2021年05月23日 22時02分24秒 | 活動日誌
訪問活動。
 
どなたも「オリンピックなんてやるべきではない」と怒っていました。
 
信濃毎日新聞は今日の社説で、初めて、オリンピックに対して明確な姿勢を打ち出しました。
 
世論が書かせているな、と思いました。
 
 
日本のマスコミは世論を作るのではなくて、世論に左右されている。
本来のマスコミの役目をはたしていないのが実情です。
 
 
諸外国では、日本のコロナ対策の遅れを指摘し開催は無謀だとの論調だというではありませんか。
 
 
そんな話の中で「選挙で勝つためにぜひ!」と、赤旗のはたしている役割を訴えて、お二人の方が日刊紙を購読してくださることになりました。
 
嬉しいことです。
 
 
「しっかり応援してるよ」と言って下さる方に、「ありがとうございます。今度はお知り合いの何人かに、広めて下さい」とお願いしてきました。
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朝ドラで母を思う

2021年05月21日 06時44分22秒 | 活動日誌
朝ドラ、今回は我が故郷宮城が舞台です。
 
しかも、主人公が働いている森林組合のある町、登米は、故母が戦争中、学童疎開の子どもたちの世話をした町です。
 
登米に龍源寺というお寺がありますが、そこが学童疎開の子どもたちの居場所で、母の故叔父のお寺でした。
 
 
一番最初に映ったお寺さん、「あ、龍源寺じゃないかな?」と思った。
 
母は、結婚して妊娠中に夫を病気で亡くしました。
 
 
生れた男の子をおいていくように言われ、家に帰ったそうで、そんな時、叔父さんに保母をしてくれと頼まれたと言っていました。
 
 
おなかをすかせた子どもたちが、トンボを捕まえてメンソルタールのあき缶に入れて焼いて食べた話、子どもたちのための食糧調達の話、夜になると寂しくて泣いてしまう子どの話など、よく聞かされました。
 
母は龍源寺のそばの納豆やさんのおばさんに顧願され、父の顔も見ずに再婚しました。
 
13人家族の貧乏所帯、人間関係の複雑な家でした。
 
 
その後の話は、「おしん」の上を行くような苦労の連続で、母は何度か家出をしました。
 
家出の先が龍源寺でした。
 
「もう、帰るまい」と決意し、最後の家出をしましたが、ひいばあちゃんが「かあちゃんが帰ってくるまで、私はご飯をたべません」と絶食に入ったのです。
 
同居していたおばさんが「おっぴさんが死んでしまう。姉さん、お願いだから帰ってきて」と迎えに来ました。
 
母は「おっぴさんが死ぬまでは家にいよう」と決意したそうです。
 
 
震災の前の年、私は弟と一緒に母を誘い、思い出の場所を訪れました。
 
 
もう感動する力も失っていましたが、懐かしそうに眺めていました。
 
 
全滅に近い被害を受けた南三陸の宿に泊まり、弟が母を背負って遊覧船にも乗りました。
 
 
次の年震災、2か月後の5月11日、母も亡くなりました。
 
 
私の子どもの頃の唯一の写真です。
 
 
ボロボロになったものを、叔父が写真館で修復してくれました。
 
 
ドラマのような母の人生を記録しておきたいと、思いつつ・・・。
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庭の木や草花は大切なメモリー、明日へのエネルギー

2021年05月18日 22時12分33秒 | 活動日誌

庭の草花や樹木は、いただいたものが多い。

いや、ほとんどがそうです。

 

今咲いているヒメオウギアヤメもそうです。

 

樹木で言えば桜も梨も、ウコギもグミも、つぼみが膨らんできたバイカウツギも、夏をかざるノウゼンカツラも、いろいろな種類のアジサイもライラックもレンゲツツジもグミも・・・すべて頂き物。

 

草花で言えば、エビネ、ホトトギス、オダマキ、イカリソウ、アマドコロ、テッセン・・・・・きりがないですね。

 

エビネは、当時白馬村の村会議員だったKさんのお連れ合いの庭から頂きました。

野山の大好きな方で、白馬に住むとなったら家がまだ完成していない時から移住して来たと言います。

「候補者は精をつけたがんばれ」と、ウナギを奮発してごちそうしてくださった。そう、候補者時代の時です。

 

イカリソウの白は、訪問先のSさんから。

いつのも共産党を応援してくださっている方、「白は珍しい」と言ったら、抜いてくださいました。

 

ノウゼンカツラは、上田のA保育園の元園長先生のD先生のお宅から。

D先生時代から園長先生は何人か変わりましたが、まだ、私は保育園の仕事をさせていただいています。

ノウゼンカツラは毎年、たくさん花をつけます。

A保育園の歴史を思います。

 

ウコギは、夫の患者さんが「先生、好きなんだってね」と、わざわざ苗をもってきて自ら植えてくださったものです。

春の若芽の収穫、そしていただくたびに、思い出します。

 

アジサイは、一本一本、思い出があります。

 

知事選挙に出たときにいただいたピンクの八重。

故冨森弁護士のしのぶ会で会場を飾ったアジサイは「コンペイトウ」

ガクブチアジサイは、お隣に住んでいた故Hおばあちゃんに「きれいなガクブチアジサイですね」と誉めたら引っこ抜いてくださった。

学童がなくなって一時かぎっ子だった末娘が、時々お世話になった方です。

 

 

頂くたびにあいているところに植えてゆくのですから、雑然として決して美しい庭とは言えません。

 

でもどの木も草花も、プレゼントしてくださった方とその方を取り巻く方々のドラマがよみがえる、大切なメモリーが存在している宝なのです。

 

庭の草花を見ていると心落ち着くのは、思い出との対話があるからなのでしょうね。

 

それは明日へのエネルギーでもあります。

 

 

 

 

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潮流書き込みノートを始めた

2021年05月17日 21時21分10秒 | 活動日誌
「潮流書き込みノート」が届きました。
 
これは北海道機関紙印刷所で出しているのですね。
 
地区委員会にお願いして取り寄せてもらいました。
 
 
友だちの水本さんが書いているとFBで知って、私もやってみようかなあ・・・・と思ったのです。
自分の手で文字を書くことが少なくなって、弊害も出てきていました
 
 
間違ったら消さなければならないので、鉛筆書き。
 
こんなにきちんと鉛筆を使うことも、まったく久しぶりです。
 
 
ボールペンより筆圧が要るし、マスがあるので「自分で書いたのにあとで読めない」というようなあわてた続け文字はせず、約30分かけて、私なりに丁寧に書いています。
 
 
今日で3日目ですから、楽しさを実感し感想を書くまでには至っていませんが、集中して文字に向かう時間は充実していますね。
 
問題は継続できるか、ですね。
 
出来るかなあ・・・・?
がんばらないで、やってみます。
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長女の誕生日

2021年05月16日 17時35分24秒 | 活動日誌
5月16日の今日は長女の誕生日です。
 
苦労して生んだ子です。
 
 
私は、当時、千葉県流山市で教員をしていました。
 
切迫流産、切迫早産で、はじめは1週間づつ小刻みに休んでいましたが、結局出産まで長期の病休をとることになりました。
 
夫はまだ学生で仙台におり、私は単身で赴任していましたから、石巻の母のところに帰って母の世話を受けて、石巻で出産しました。
出産した5月に、夫も医師国家試験に合格し、はれて一緒に暮らせるようになったのです。
 
 
ところで、今でも頭が下がるのは、当時のPTAのみなさんの行動です。
 
 
一部、「だから女の先生は困る」との声がありました。
 
 
「産休の先生の予算はあるが、病休の期間はもう市の予算がない」という事でした。
だから、教頭先生や学年の先生の分担で乗り越えようという動きでした。
 
親御さんが心配してあたりまえです。
 
 
「苦労を知っている先生だから、子どものことがよくわかる。女の先生も気兼ねなく子どもを産んで育てられるような学校でなくては、私たちの子どもも大事にしてもらえない」
 
 
そんな話合いを重ねて、お母さん方は教育委員会と交渉を重ね、ついに先生を配置させてくれたのです。
 
 
ときの学級役員さんや本会PTAに役員さんが、入院中の私に「先生は何も心配しなくていいから、丈夫な赤ちゃんを産んでください」と言ってくださいました。
 
思い出すと涙が出ます。
 
私はそれで、育児休暇を取らず、夏休み明けから学校にもどりました。
 
 
PTAのみなさんと粘り強く話し合いをして解決の方向へもっていくために中心になって頑張って下さった方が、妹尾さんという方でした。
 
 
妹尾さんは無認可保育園の保育士さん、出産した後、私も一緒に運動に参加しました。
 
その後、妹尾さんは流山市の共産党の市会議員として活躍されました。
 
共に国政選挙の共産党の候補者として再会したときは、本当に驚きました。
 
 
妹尾さんは、数年前に亡くなられてしまいました。
ゆっくりと昔のことを語り合いたかった。
 
長女の出産には、そんな思いでがあります。
 
今晩は、5月生まれの私と長女の誕生会です。
 
午後は共産党のオンラインの演説会です。入党のお誘いをしたOさんも来て下さるとのこと、嬉しいです。
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