入党して50年たった。
今日は県委員会で50年党員証の伝達式があった。
正式に伝達式が行われた時の会議に出席できなかったものだから、今日はわたし一人だった。
その心配りが嬉しかった。
50年たったのだな、と感慨深かった。
3つのことを考えた。
「共産党員として生きてゆこう」と強く思った時のこと。
父の事故が大きな要因だった。
母と再婚した父が末の弟を授かったのが50才間近のとき、無年金者だったからどんな仕事でも働かなければならなかった。
仕事中に機械に巻き込まれ右腕を失ったのは、65才の時だったと思う。
私は大学生、弟たちは高校生だった。
父はもとよりポシティブな人だったが、労災が認められ障害年金が受けられることになった時、こう言った。
「右腕一本で生活が保障された。老後も大丈夫だ。腕一本、安いものだ」
細々した年金でも、ありがたいと思うほど貧しかった。
今でも理不尽なことは山ほどある。
政治の弱い者いじめの理不尽さに出会う時はいつでも、私は父の言葉を思い出しては怒りをかきたてられるのだ。
さて、二つ目は2000年から十数年の間、候補者生活をさせていただいたこと。
衆議院、参議院、そして長野県知事選挙の候補者の任務を与えていただいたことに、心からの感謝の気持ちでいっぱいだ。
この経験で、私は党員としてどれほど鍛えていただいたことか。
2000年から10年間は「共産党を除く」時代で、頑張っても頑張っても前進がみられない苦しい戦いをしていた。
そんな時代に、候補者として戦うことになっためぐりあわせは幸運といっても過言ではない。
最後に、50年間の党員生活はいつも夫とともにあった。
ともに別々のところで入党したころ、付き合い始めた。励まし励まされながらの50年だったかな。
これから先の人生、多くの仲間と夫と共に、世のお役に立つために、とてもささやかだが、党員として力を尽くしていきたいと思う今夜です。
私の人生においての決定的な決断は何度かあったが、入党は最高の決断であった。
いい人生を選択した。
写真は石坂千穂さんが撮ってくれました。