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中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

来年度は保育現場へもう一歩踏み出そう。

2017年02月28日 21時10分39秒 | 活動日誌

 

 

 須坂市のK保育園で発達相談でした。発達検査の後、職員との懇談。

 いよいよ保育園も年度末。先生との懇談の時、来年度に向けてどうしてゆくかも少し話し合ってきました。

 

 昨年1年間は、H保育園で保育現場へ参加させていただき、それをもとにしての先生方との実践報告学習も進めてきました。

 

 私の計画も初年度だったので、じっくり、慌てず、園と相談しながらやってきましたが、私にはとてもいい刺激になりました。園でも、保育士以外の私と交流し合うことで、いい面があったようです。

 4月から2年目に入るので、もう一歩進めていく計画です。

 

 保育園もH保育園とK保育園の2園にお願いし、回数も増やして相談にのっている子のクラス中心に現場に入らせていただければありがたいと思っています。

 

 私は保育士ではないので、保育士さんに学ばせていただく姿勢でいます。園といい関係が保てるように、努力したいと思います。

 4月は園も忙しいので、5月の半ば過ぎから軌道に乗るようにしたねと、園長先生と話してきましたが、うれしいことです。

 

 もう一つ、春が待ち遠しくなりました。

 

 

 

 

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かぼちゃのスープ

2017年02月27日 21時46分08秒 | 活動日誌

 

 

 今日と明日、また孫がお泊りです。

 夕食にかぼちゃのスープがご所望です。よく食べましたねえ。孫が張り切って作ってくれたものね。遅い帰宅のジィジにメッセージを書けと。「Aが作りました。食べてください」

 

 お泊りは慣れているけれど、淋しいに決まっています。「仕事だから仕方がない」と納得するけなげさ。バァバ、ジィジがどんなに可愛がっても、パパ、ママのかわりはできません。おまけに一人っ子だし。

 

 だから、できるだけ心を満たすように・・・と考えますよね。「今日も楽しかった」と思ってほしいなと。

 

 保育園から迎えて私のできる事は、お手伝いのお願いと本を読んであげることぐらいです。

 

 食事の準備やかたずけ、布団を敷くことなどを一緒にやるって、とっても大事ですね。あそびももちろん大事、それに加えて、家事労働を共にすることは子どもの成長にとって同じくらい大事。生きるための根っこだもの。

 そして孫は、楽しくってしょうがないような気分で、進んでやってくれるのです。子どもはみんな、お手伝い、大好きです。

 

 寝る前の本は一緒に選んで、2冊か3冊、時には4冊読まされます(*‘ω‘ *) 時間を見て「今日は2つよ」と決めるのよ。

 

 私は今、私の母が、今の私と同じように娘たちに接してくれていなんだな、と母の気持ちを考えることができます。

 子育て中の私は、母の気持ちを考えるゆとりすらなかったのではないか。娘は当時の私よりずっと大人だなと、内心、恥じ入っています。母に申し訳なかったと思っています。

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孫の絵の展覧会、私の絵ってつまらないと思う。

2017年02月26日 21時26分41秒 | 活動日誌

 

 

 まずは、最近の傑作と私が思っている絵を見てください。「スキップしてるの」足に注目、両手を広げているところに躍動感を感じました。孫の最近の絵を展示します。どうぞ最後までご覧ください。

 

 さて、このところ、ママが忙しくてお泊りが多い。パパはいる時もあるのですが、パパだけだと夜中もいつ呼び出しがあるかわからないので、お泊りになります。

 

 医師も基本の医師免許だけでは通用しなくなって、新たに専門医資格が要求されるなど、学会の他にも何かと出かけることが多い。

 

 私も現職中は、石巻から母を呼び出しては出かけていましたね。何せ、発達相談員は長野には一人もいませんでしたから、独学で必死でした。

 

 ほんとに子育てと仕事をこなすのは大変なことですね。応援がないとできない。若いパパ、ママ、がんばれです。

 

 さて、そういうわけで、孫の世話は、今日もお昼寝が終わるまでは私の担当でした。そのあとは、買い物、夕食準備で終わり。週末なので、家族が集まりました。

 夫が帰ってきて「二人の人が赤旗を読んでくれたよ」の報告でほっとしました。

 

 口述が長くなりました。ここ数日で孫が描いた絵です。最後の2枚が、最高だなあ、と思います。

 

 「ケーキ、どうぞ」

 

「いとでんわだよ」

 

「うちのかいだんのぼって、おともだちがあそびにきた」

 

「さどでつったよね。みんなつれなかったのにね」足に注目。岸壁に坐っているんですね。

 

「ああ、こまったなあっていってるの」 これね、いいねえ。気持ちが伝わってくる。

 

「スキップしてるんだ」 後ろ向きで描くなんて、いいじゃない。前向きでは難しいなって、無意識に考えたかな。

 私もこんな風に、自由自在に描けたらなあ。孫の絵を見ると、私の絵って、つまらないなあって思ってしまう。

 

 

 

 

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「校庭に東風吹いて」でさんざん泣いた

2017年02月25日 19時29分35秒 | 活動日誌

 さんざん泣いてきました。「校庭に東風吹いて」です。

 地方都市の辛いところで、やっと待っていた映画が長野にきました。今日が長野県での初上映で、長野市では今日の午前、午後、夜の3回でおしまいです。

 

 沢口靖子演じる先生のような子どもの見方を、どの教師もどの親も当たり前にできるようになれば、どんなに楽しい学校になることでしょうね。

 

 それには、学校そのもの、文科省そのものが価値観を変えないと、現場の先生は苦しむばかりです。

 

 でも、指示に従う「いい子」を求め、点数と偏差値と学歴で人を切る学校教育であっても、沢口靖子演じた先生のように、子どもに直接接する先生や大人の暖かさで、子どもは救われる。

 

 教育制度を変える運動と共に、一人一人が子どもの心に寄り添える、人権感覚を磨く努力をすることが、重要だなあと思っています。

 

 まして、教育指針が変わろうとしている今、皆さんに見てほしいなあと思いました。

 

 

 

 

 

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失敗は大歓迎

2017年02月24日 22時55分05秒 | 活動日誌

 

 

毎日、何かしら子育て相談を受けています。

 お母さん、お父さんの悩みはいろいろですが、共通して言えることは、一定の価値観に縛られていないかなあ…ということです。

 

 先日、孫が言いました。「わたし、Rくんとけっこんする!やさしいもん。Tくんもやさしいけど、ゆっくりだしなあ、おとなになってぱぱみたいにゆっくりじゃね」

 

 ゆっくりはいけないような価値観、子どもにも伝わっている。パパのゆったりした感性の良さが、忙しさの日常での大人の言葉の端々に、マイナスと感じているのでしょうね。

 

 今日の相談は、小学生のおねしょの心配。片一方では英語とほかの学習塾でのレッスン。ワー、毎日残業じゃん!!過労死ラインと同様に、おねしょラインがあるのと違う??

 

 

 一定の価値観での物差しは、息が苦しくなりますね。おねしょなんて、大人になってまでしている人はいないんだから。それより、子どものストレスを考えたら・・・・・。

 

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3・11「女川いのちの石碑」

2017年02月23日 21時28分28秒 | 活動日誌

 

 

 孫の保育園では、あの日から毎年、「3・11のつどい」をしています。私は故郷の災害を忘れないでくれる、その気持ちをとてもうれしく思っています。

 今年も3.11が近づきました。

 今年は被災者の子どもたちの気持ちを伝えたいが・・・・と園から相談を受けました。

 石巻の知り合いに相談したところ、女川の「いのちの石碑」を知っていただいたらどうか、とアドヴァイスをいただきました。

 

 女川町は、町の7割りが流失し死者・行方不明者は831人。当時、何もなくなった、本当に何もなくなった女川に入って、私も愕然としました。

 

 その女川の、当時6年生だった子どもたちが中学生になって、自分たちのできることは・・・と始めたのが「いのちのプロジェクト」。

 

 1000年先の命を守るために、石碑を建てる運動を始めました。自分たちが成人式を迎えるまでに、女川の21の全部に建てようとのの目標で、100円募金で現在12基できています。子どもたちの悲しみを乗りこえた行動に、私は何を・・・と突き付けられた思いです。

 

 逃げ方まで記したメッセージと共に、その一基一基に刻まれた俳句の被災者の思い、涙が抑えられません。

 

   逢いたくてでも会えなくて逢いたくて    「会う「逢う」の使い分けに胸が締め付けられます。

   夢だけは壊せなかった大震災

   ただいまと聞きたい声が聞こえない

   見上げればがれきの上にこいのぼり  

   ・・・・・・・・。

    

   きっと花は咲く。 🎵 いつか生まれる君に  私はなにを残しただろう 🎵

 

 

 

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地元業者の仕事は経済活性化の原点

2017年02月22日 20時50分55秒 | 活動日誌

 

 子育て中はトイレは一個でやってきたのですが、本当はちょいと不自由があったんでしょうね。

 今は、二人きりのくらしなのに、大きくなった子らと家族が始終いるので、とても間に合わなくなって、増設に踏み切りました。大分できてきましたので、もう少しの辛抱です。

 

 今日は、配管の工事でトイレが一日使えない日。しかも、一日中、在宅していなければならない日でもありました(*'ω'*)

 電気のアンペアの容量を大きくしてもらうために、中電の方が工事に来る予定でした。保険屋さんもきました。

 今度の工事で発見されたのか、どこぞの壁にひびが入っているのは地震のせいではないかと、大工さんが保険やさんに連絡してくれたのです。その調査のためにきました。

 2014年11月の地震ですかね。本棚から本は落ちたけど、他は全然わからなかった。保険屋さんが「外壁がまず対象です」と調べていましたが、よくわからん。

 こちらは追って連絡とのこと。

 

 というわけで、基本的には家にじっといて、娘の家のトイレに通いました。

 

 我が家の小さなトイレを一個つくるだけで、大工さん、左官屋さん、電気やさん、設備やさん、断熱工事やさん、様々な職種の方がかかわって働いている姿を間近で見ますと、大型公共事業では地元にお金が回ってはいないこと、この方々の仕事の保証が経済活性化に必要なんだと、深く実感しますね。

 野菜やお米と同じで「あの人の仕事」と、製作者が分かるって大事。地産地消の精神は食べ物だけではないですね。

 

 

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「なんだ、石原元知事は!!」の声

2017年02月21日 21時22分34秒 | 活動日誌

 ひさしぶりで訪問活動をしました。

 

 豊洲市場の問題では、石原元知事の話がでました。「100条委員会ができるようでよかった、何やってるんだ」「もう引越しした人はどうなるの。莫大なお金をかけて」と、あまりにひどい状態に怒りが出ていました。

 

 しかし、よく100条委員会の設置まで世論が大きくなったなと、正直すごいなあと思っています。共産党都議団の果たしている役割はなんと大きなことでしょう。

 

 石原元知事も、100条委員会が現実的なものになってから、勢いがなくなったみたいですね。

 

 こんなでたらめを通してはいけませんね。しかも、命の安全にかかわることです。

 

 さて、夜は組の総会でした。来年度の役員も決まりました。組長や公民館の係など、頬っぺたまわしにやるものですから、今年は我が家は何もありません。

 

 組の決まり事で、一人暮らしの方は75才以上、ご夫婦では80才以上で、お役は外れていいことになっています。だんだん高齢化していますが、幸いわが組は2世帯家族が多いのです。といっても26世帯のうち4世帯ですが。

 そのほかに若い子育て世帯も4世帯、ですから比較的若々しい組かもしれませんね。

 

 娘夫婦も夫も仕事で帰れず、私と孫で代表出席。

 「今日はパパの代わりだからね」と話して言ったら、孫がひそひそ耳下でささやいて「ばぁば、パパのかわりですって、いついうの?」だって。

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小林多喜二の命日の会議

2017年02月20日 20時35分47秒 | 活動日誌

 

終日、県委員会で会議でした。おりしも今日は小林多喜二の命日です。

多喜二も、今日のような日が来ることを展望して、あの暗黒時代を拷問で殺されるまでたたかいぬいたのだなあ・・と思いながらの会議でした。

 

思い出せば、浜田先生の資本論講座を受講した時、終了記念に「多喜二の旅」をしようと、浜田先生が受講生のガイドになって北海道に行ったことがありました。

 

多喜二の人生にふれ、多喜二の墓参りもしてきましたっけ。

 

三浦綾子さんの「母」は、国政選挙が終わるたび手にして読む習慣になっていましたが、なぜか、読むとスッキリしたのです。頑張る力が湧いて。

 

歴史の礎になった多くの方の屍を乗りこえて、たたかいは続く。その崇高な生き方は、いつも灯台のように私たちを導いてくれます。

 

すこし前に読んだ「強制収容所のバイオリ二スト」で、アウシュビッツを生き抜いた著者が生き延びれた理由に、何よりたまたま殺されなかった偶然、バイオリンが弾けたことに加えて、強調していたのは、あのような地獄の中でもたたかい、励ましてくれる人がいたからだ、と話しています。

 

また、私が、アウシュビッツ見学に行ったときに、やはり生き抜いたポーランド人の男性と懇談しましたが、その方も「抵抗したたかい励ましてくれる人がいたからだ」と話していました。

 

希望を捨てず、抵抗して戦う人の存在は、生きるための一筋の光になるんだと、心が打たれたことです。

さて、今、私たちが今やることは・・・。

会議では、安倍政治の破たんはあらゆる面で極みに達し、政治転換が待ったなしの要求になっていると同時に、世界的にも時代の転換期に来ている大きな情勢の変化があることが確認され、政治の転換のために、衆議院選挙をにらんでやるべきことが討議されました。

 

大あわてで保育園にお迎えに。夕食は大丈夫、備えあれば憂いなし、昨夜、ビーフシチューを作っておきました(^◇^)

 

 

 

 

 

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なぜもんじゅに固執するのか

2017年02月19日 20時54分50秒 | 活動日誌

 「非核の政府を求める会」の総会と学習会が行われました。長野県の代表が望月ドクターから、夫にバトンタッチして、新たな一歩を踏み出しました。写真は、珍しく背広で決めて「誰だか分らなかった」と皆さんに言われた夫の就任あいさつ。

 

 総会の後は学習会、共同通信編集委員の太田昌克さんが講師です。題して「トランプ新大統領登場で核政策はどう変わるか」。

 記者だけあって、さすがに量も質もすごい情報量です。特に核密約問題は、私が大学生の時の首相佐藤栄作から始まって、るる現在までのつながり、それぞれの政治家の考えをはなしてくれ「なるほど」「へえ」でした。

 つまり、政治家一人一人の核の傘へのしがみつき、外交で大事なのは抑止力なんだと考えている、その執念というか、それがあたりまで正しいと固執していることがよくわかりました。

 

 それは、すざましいものでした。ほんとに生半可ではない、と実感しました。このような勢力を崩すには、我々の武器は一つ、運動と世論しかありませんし、それが一番強いものですが、相当がんばらないと。

 

 私が今日胸に落ちたことは、もんじゅへの固執の点です。

 

 非核保有国でプルトニュームがつくれるのは日本だけ。ここが重要でした。原発はエネルギー政策というより、核燃料制作能力を持つということが本命。それが日本の持つ抑止力の力だと信じているということです。

 

 たっぷり2時間、太田氏は、核密約を暴露した記者さんでした。「その時の記事が、自分で書いた今までのもので最高だった。この記事を書くために共同通信の記者になったんんだ、と思っています」と言われました。記者魂ですね。

 

 充実した学習会でした。いよいよヒバクシャ署名を本格的に集める算段をしなければ、と思いました。核兵器禁止条約ですね。

 

 

 

 

 

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