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花の行動デーだが、私は孫のお守デー。
孫のお昼寝の時、ふと目に入った本棚の1冊、「レイチェル・カーソン その生涯」、もう10年以上前に読んだ本ですが、鴨川ブックレットなので、孫が起きるまでには悠々世読み終わるだろうと、手にしました。
そう、私は孫のお昼寝の時は、一緒にゴロンとなって本を読むことにしています。途中でちょっこと目が覚めそうなとき、そばにいるとまたそのまま寝ることがあります。1時間以上は寝てほしいから。
あらためて読んで新鮮でしたね。私は「センス・オブ・ワンダー」で彼女を知り、感性こそ子育ての基本だと学びました。
彼女は「『知ること』は『感じる』ことの半分も重要ではない」と言っています。
ところでレイチェルの成した偉業は、もちろん環境問題、化学物質による環境汚染を最初に研究し世に知らしめたことです。「沈黙の春」です。
彼女はそのために、薬品会社、政府などから大変な攻撃にさらされます。
わたしはレイチェル・カーソンを思い浮かべるとき、日本のミミズ学者の中村方子さんが重なります。
中村方子さんは、当時まだダイオキシンが分かっていなかった時代に、枯葉剤の効用を科学的に証明してほしいとの(薬剤会社のかな)依頼を、「草を枯らすものが、人間苦いがないわけがない」と断ります。
そのため、10年以上にわたって研究室からほされて冷遇される経験を持っています。「あの時妥協していたら、科学者としての今の私はいない」とラジオ深夜便で語っていました。枯葉剤はその後、ベトナム戦争でで何をやったのか。
二人の共通点は、科学者としての凛とした姿勢が心をうつこと。
もう一つは、レイチェルは病気との戦いの中で「沈黙の春」の執筆しました。リュウマチ、軽い心臓発作、腫瘍・・・病気のカタログと言っていいほど。「沈黙の春」出版の2年後に56才で亡くなりました。
中村方子さんは、やはり頭に腫瘍を抱えていると言います。でも、生きている限り、腫瘍と共にミミズの研究のために世界を駆けまわる、とやはり、何年か前のラジオ深夜便で言っていました。
二人の研究にかける情熱と真摯な姿勢に、くらくらします。
ラジオ深夜便は、夜は起きていられない私のために、亡き同士のKさんが録音したものをくださったのです。
今日は浅川ダムの試験湛水が10月1日から始まる由の通知が、回覧板で回ってきました。
浅川ダム裁判は、東京高裁で最終盤を迎えています。
私は浅川ダム訴訟の原告団の一人として、法廷で、県側に立った科学者のダムは安全だとの論建てを繰り返し聞いてきました。
すべての点で論破されてるにも関わらず、事実を認めようとせずねじ曲げる態度に、住民の命と引き換えに身の保全を図るとは、科学者と言えるのだろうか、と毎回苛立ちました。今も。
科学者がみんなレイチェルや中村方子さんのように、真実に対して謙虚であるならば、原発もなくなる。キュリー夫人だって、墓場の陰で嘆いていることでしょう。
歌の世界でも「反戦歌」を歌うと干されるという。
どの世界でも、権力を持つ者とのたたかっている方がたくさんいる。なんと頼もしい事か、そして真実は必ず国民のものになっていき、流れを変えてゆく。それは確か。
孫が起きた時は、曇りを磨いてピカピカになったガラスのように、さっぱり気分爽快。勇気が湧いてきました。
それにつけても・・と私は思う。私はなんて平凡な人間なんだろうか。平凡なら平凡なりきに、私の役目もあるのでしょうね・・・・。