2015年3月18日(水) <続き>
市役所の食堂で昼食を済ませ、駐車場の隅から北東に接する日蓮宗の霊跡本山で広い境
内に幾つもの堂宇のある佛現寺に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/1f/e5b8d63a619addc7e34b361ce222a059.jpg)
日蓮聖人が伊東配流(はいる)の3年間、伊東家鬼門除けの毘沙門堂で修行し、42歳
の弘長3年(1263)に赦免されて鎌倉に帰ったが、その草庵跡がここ佛現寺だという。
霊跡本山にふさわしい堂々たる本堂に相対して、新しい多宝塔が立ち、ほかに釈迦本仏
殿、毘沙門堂紫雲殿、常経殿、鐘楼、庫裡などが豊富な木々の間に広がる。
寺には、「天狗の詫び証文」と呼ばれる判読不能の巻物が保管されているとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/e2/d9e1ffe66bbe9809dedfd0b43b850ace.jpg)
境内の、コブシやムラサキモクレンが花を見せる。
多宝塔の横から石段を下がり、市街地に入って北東に進む。信号のある交差点際の魚屋
さんに、幾つかの魚の生干しやみりん干しが並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/76/3543f1a0fb96bc56f22fb39b2e4f7cc7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/99/048b4547740265be8b987c0c84dddea3.jpg)
松川の下流の橋近くに八幡神社が祭られ、隣接して静岡県内最古の交番建築という「伊
東観光番」と呼ぶ交番があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/6c/84b13ef5c28ad53bd32e02ce3e894260.jpg)
橋のたもとの小公園には、伊東市の友好都市であるイタリアのリエティ市から2001
年に贈られたという、大きな「オリーブオイルの石臼」と、オリーブ娘と呼ぶ石のモザイ
ク画が置かれ、公園には10数本のオリーブの木もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/92/6502f1b494cb5185e13475f09d937538.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/6b/3607231243bd4cf97a163ee8f91e067d.jpg)
松川右岸の最下流沿いの遊歩道を進むと、江戸城築城石が数個並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/d4/18b6a6e126d7b40808bab6844f74db71.jpg)
江戸城大修築工事は慶長10年(1605)から半世紀にわたり、伊豆各地から石を切
り出したとか。特に伊東は20家に及ぶ西国大名により、56か所の石切場が開かれ、石
舟数千が伊東と江戸とを往復したという。
並ぶ築城石には、大名の所有を示す刻印や、石を割ったときの穴や切り込みが残されて
いて、〇に十字は島津家のものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/b2/e126a249140116bf744370e5adcbec04.jpg)
海辺を走る国道135号の手前には、英国人ウィリアム・アダムス(日本名 三浦按針
(みうらあんじん))の事績を顕彰した「按針音頭」の歌碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6a/d1c3cbcf5c10aa14d9bb18f42be168c8.jpg)
国道に出て右折して、ローソンのそばで交差点を渡り、海側の歩道を橋際に戻ると、小
スペースに幾つかのモニュメントが設けられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/f8/1723f8155979d48bfaf94b9bed886870.jpg)
「日本初 洋式帆船建造の地」碑は、1604年頃、ウィリアム・アダムスが家康の命
を受け、ここ松川河口で日本最初の洋式帆船2隻を建造したことにちなむもの。
傍らに「海の男 ウィリアム・アダムス」像もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b3/238990a53590ba14fa27693ccf8cd783.jpg)
ウィリアム・アダムスは、オランダの東洋遠征艦隊の主任航海長として1600年4月、
いまの大分県臼杵市に漂着し、徳川家康に信頼されて航海術、砲術、天文学、数学などを
教えたという。
4年後、ここで帆船2隻の建造をした功績などにより、三浦郡按針村(現在の横須賀市)
に250石の領地を与えられ、名を三浦按針とし、その後中国や南方貿易を営むなどして
おり、それらの業績を称えて碑が建造されたらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/71/1728ade87bdd158d9a52a68bfcf85185.jpg)
波間に浮かぶカモメの群れを見ながら渚橋を渡る。北東に突き出たなぎさ公園に入り、
園内にある伊東出身の彫刻家・重岡建治氏の彫刻を眺めながら海沿いを回り、北側の港の
横から国道に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/8e/5a5d45c8e5357cdf73f1dbc4c763e0f3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/10/3145568607287a2e0c7d52e1e73affe7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/25/a125d867d53b6ba05a199cdbf63ac6ca.jpg)
さらに進む国道沿いには、磯料理の店や干物製造直売所が幾つか並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/59/1c389b2800ff9d618db56a1b047bfad7.jpg)
二つ目の信号横の海辺には、木の下杢太郎が読んだ「海の入日」の詩碑が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/f4/7706836a45812aa82f92acfa3b7e4c18.jpg)
国道を離れて南西への通りを進み、中ほどにあった「伊東市立木下杢太郎記念館」に入
館する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/4d/b86e9354ce13895241d2a116cb1c8756.jpg)
医学者にして、詩や戯曲、小説、評論、随筆、美術など広い分野で優れた業績を残した
木下杢太郎(本名 太田正雄)をたたえ、その資料を展示公開するため、生誕百年の昭和
60年(1985)に開館したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/0f/c76c9e71b58a40257c477328a36b0dbe.jpg)
土蔵造りなまこ壁の建物は明治40年(1907)の建築。奥には天保6年(1835)
に建てられ、伊東市内に現存する最古の民家で、市指定文化財になっているた生家が、当
時のままの状態で保存されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/2f/df677e0c0efd7b562a5ac3991090ca16.jpg)
展示室を一巡し、杢太郎自筆の書状や全集、ノート、遺愛品、古書、「百花譜」と呼ぶ
植物画などを見る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/7b/b8e82043f886874c674f3e66b196b7d5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/23/c2971750f0f8e5fdb464035e3d951313.jpg)
また、真菌やハンセン病、皮膚腫瘍などの研究で高い評価を得たという、皮膚科の医学
者で東京帝大教授も務めたという太田正雄に関わる展示も見て、いままであまり知らなか
った木下杢太郎の、偉大な業績の数々をうかがい知ることができた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/3b/e598bafee71969cee425bdd94ca9bb9d.jpg)
奥の生家にも回り、生活用具の並ぶ部屋や、杢太郎誕生の間↓なども観覧する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/e4/92e89e824e8113772128ae72b22494c0.jpg)
松川に近いスクランブル交差点まで戻る。西南に少しの、観光案内などをしているとい
う「伊東ふれあいセンター」に行くが、水曜は休館日だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1f/bab0661337cd8125c631ce661d3d23d1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/fd/3ad5c17e3eae6afbd967145307627fa6.jpg)
往路のアーケード街を抜け、湯の花通りの入口の市川製茶店に入って土産物を求める。
湯の花通りも逆行して、伊東市観光案内所には14時9分に戻った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/41/576be9310524420602fccbffe9e1f25a.jpg)
10分後に発車の熱海行き上り電車は、往路と同じ伊豆急線からの「リゾート21」車両。
往路同様、約4時間かけて18時過ぎに帰宅した。
下田など伊豆半島東岸には何度か訪れているが、いつも通過していた伊東市内を初めて
巡り、知らなかった伊東の歴史や旧跡、ゆかりの人など、多くの理解を深めることができ
たウオーキングだった。
(天気 晴、距離 7㎞、地図 駅からハイキング地図(1/2.5万 伊東)、歩行地
伊東市、歩数 12,800)
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市役所の食堂で昼食を済ませ、駐車場の隅から北東に接する日蓮宗の霊跡本山で広い境
内に幾つもの堂宇のある佛現寺に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/1f/e5b8d63a619addc7e34b361ce222a059.jpg)
日蓮聖人が伊東配流(はいる)の3年間、伊東家鬼門除けの毘沙門堂で修行し、42歳
の弘長3年(1263)に赦免されて鎌倉に帰ったが、その草庵跡がここ佛現寺だという。
霊跡本山にふさわしい堂々たる本堂に相対して、新しい多宝塔が立ち、ほかに釈迦本仏
殿、毘沙門堂紫雲殿、常経殿、鐘楼、庫裡などが豊富な木々の間に広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/6d/64dc54ca5df363dfd23a1719e3fae9ba.jpg)
寺には、「天狗の詫び証文」と呼ばれる判読不能の巻物が保管されているとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/e2/d9e1ffe66bbe9809dedfd0b43b850ace.jpg)
境内の、コブシやムラサキモクレンが花を見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/01/64529101549a4779ea0c279e4bce6664.jpg)
多宝塔の横から石段を下がり、市街地に入って北東に進む。信号のある交差点際の魚屋
さんに、幾つかの魚の生干しやみりん干しが並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/76/3543f1a0fb96bc56f22fb39b2e4f7cc7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/99/048b4547740265be8b987c0c84dddea3.jpg)
松川の下流の橋近くに八幡神社が祭られ、隣接して静岡県内最古の交番建築という「伊
東観光番」と呼ぶ交番があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/6c/84b13ef5c28ad53bd32e02ce3e894260.jpg)
橋のたもとの小公園には、伊東市の友好都市であるイタリアのリエティ市から2001
年に贈られたという、大きな「オリーブオイルの石臼」と、オリーブ娘と呼ぶ石のモザイ
ク画が置かれ、公園には10数本のオリーブの木もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/92/6502f1b494cb5185e13475f09d937538.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/6b/3607231243bd4cf97a163ee8f91e067d.jpg)
松川右岸の最下流沿いの遊歩道を進むと、江戸城築城石が数個並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/d4/18b6a6e126d7b40808bab6844f74db71.jpg)
江戸城大修築工事は慶長10年(1605)から半世紀にわたり、伊豆各地から石を切
り出したとか。特に伊東は20家に及ぶ西国大名により、56か所の石切場が開かれ、石
舟数千が伊東と江戸とを往復したという。
並ぶ築城石には、大名の所有を示す刻印や、石を割ったときの穴や切り込みが残されて
いて、〇に十字は島津家のものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/b2/e126a249140116bf744370e5adcbec04.jpg)
海辺を走る国道135号の手前には、英国人ウィリアム・アダムス(日本名 三浦按針
(みうらあんじん))の事績を顕彰した「按針音頭」の歌碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6a/d1c3cbcf5c10aa14d9bb18f42be168c8.jpg)
国道に出て右折して、ローソンのそばで交差点を渡り、海側の歩道を橋際に戻ると、小
スペースに幾つかのモニュメントが設けられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/f8/1723f8155979d48bfaf94b9bed886870.jpg)
「日本初 洋式帆船建造の地」碑は、1604年頃、ウィリアム・アダムスが家康の命
を受け、ここ松川河口で日本最初の洋式帆船2隻を建造したことにちなむもの。
傍らに「海の男 ウィリアム・アダムス」像もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b3/238990a53590ba14fa27693ccf8cd783.jpg)
ウィリアム・アダムスは、オランダの東洋遠征艦隊の主任航海長として1600年4月、
いまの大分県臼杵市に漂着し、徳川家康に信頼されて航海術、砲術、天文学、数学などを
教えたという。
4年後、ここで帆船2隻の建造をした功績などにより、三浦郡按針村(現在の横須賀市)
に250石の領地を与えられ、名を三浦按針とし、その後中国や南方貿易を営むなどして
おり、それらの業績を称えて碑が建造されたらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/71/1728ade87bdd158d9a52a68bfcf85185.jpg)
波間に浮かぶカモメの群れを見ながら渚橋を渡る。北東に突き出たなぎさ公園に入り、
園内にある伊東出身の彫刻家・重岡建治氏の彫刻を眺めながら海沿いを回り、北側の港の
横から国道に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/8e/5a5d45c8e5357cdf73f1dbc4c763e0f3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/10/3145568607287a2e0c7d52e1e73affe7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/25/a125d867d53b6ba05a199cdbf63ac6ca.jpg)
さらに進む国道沿いには、磯料理の店や干物製造直売所が幾つか並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/59/1c389b2800ff9d618db56a1b047bfad7.jpg)
二つ目の信号横の海辺には、木の下杢太郎が読んだ「海の入日」の詩碑が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/f4/7706836a45812aa82f92acfa3b7e4c18.jpg)
国道を離れて南西への通りを進み、中ほどにあった「伊東市立木下杢太郎記念館」に入
館する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/4d/b86e9354ce13895241d2a116cb1c8756.jpg)
医学者にして、詩や戯曲、小説、評論、随筆、美術など広い分野で優れた業績を残した
木下杢太郎(本名 太田正雄)をたたえ、その資料を展示公開するため、生誕百年の昭和
60年(1985)に開館したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/0f/c76c9e71b58a40257c477328a36b0dbe.jpg)
土蔵造りなまこ壁の建物は明治40年(1907)の建築。奥には天保6年(1835)
に建てられ、伊東市内に現存する最古の民家で、市指定文化財になっているた生家が、当
時のままの状態で保存されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/2f/df677e0c0efd7b562a5ac3991090ca16.jpg)
展示室を一巡し、杢太郎自筆の書状や全集、ノート、遺愛品、古書、「百花譜」と呼ぶ
植物画などを見る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/7b/b8e82043f886874c674f3e66b196b7d5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/23/c2971750f0f8e5fdb464035e3d951313.jpg)
また、真菌やハンセン病、皮膚腫瘍などの研究で高い評価を得たという、皮膚科の医学
者で東京帝大教授も務めたという太田正雄に関わる展示も見て、いままであまり知らなか
った木下杢太郎の、偉大な業績の数々をうかがい知ることができた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/3b/e598bafee71969cee425bdd94ca9bb9d.jpg)
奥の生家にも回り、生活用具の並ぶ部屋や、杢太郎誕生の間↓なども観覧する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/e4/92e89e824e8113772128ae72b22494c0.jpg)
松川に近いスクランブル交差点まで戻る。西南に少しの、観光案内などをしているとい
う「伊東ふれあいセンター」に行くが、水曜は休館日だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1f/bab0661337cd8125c631ce661d3d23d1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/fd/3ad5c17e3eae6afbd967145307627fa6.jpg)
往路のアーケード街を抜け、湯の花通りの入口の市川製茶店に入って土産物を求める。
湯の花通りも逆行して、伊東市観光案内所には14時9分に戻った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/41/576be9310524420602fccbffe9e1f25a.jpg)
10分後に発車の熱海行き上り電車は、往路と同じ伊豆急線からの「リゾート21」車両。
往路同様、約4時間かけて18時過ぎに帰宅した。
下田など伊豆半島東岸には何度か訪れているが、いつも通過していた伊東市内を初めて
巡り、知らなかった伊東の歴史や旧跡、ゆかりの人など、多くの理解を深めることができ
たウオーキングだった。
(天気 晴、距離 7㎞、地図 駅からハイキング地図(1/2.5万 伊東)、歩行地
伊東市、歩数 12,800)
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