あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

写真展を見て中山道浦和宿周辺を巡る(埼玉)

2015-03-18 22:14:48 | ウオーキング
 2015年3月17日(火)

 20℃を超える暖かい日射しとなった今日は、さいたま市役所構内での写真展を観覧に
出かけ、あわせて周辺の町並を一巡しました。

 2日前の「続カタツムリ歩行」の帰路に乗ったJR武蔵野線・埼京線の武蔵浦和駅に、
11時39分に下車し、2月にも歩いた「花と緑の散歩道」を別所沼公園に向かいます。
     
 上着の入らない暖かさですが、ソメイヨシノの桜並木は、まだつぼみ。

 さいたま市営別所沼公園のメタセコイアも、まだ枯れ枝のまま。


 でも、池の南西端に近い色濃い桜は見頃になっていました。


    

 別所沼の北側に回ると、岸辺にサギが…。



 東側の台地に上がり、高砂四丁目から仲町四丁目の住宅街を北に進んで、さいたま市役
所構内に入り、さいたま市民ギャラリー(左の建物)で開催中の「写真クラブうらら」の
写真展を観賞しました。
        

 このクラブは、さいたま市三室(みむろ)公民館に籍を置く写真グラブとか。カントリ
ーウオークのメンバーのNさんもその一人で、Nさんから教えてもらい訪ねたもの。

 会場では、Nさんなど6人の作品25点の、美しい風景写真が展示されていました。

 さいたま市役所の東側は国道17号。その国道側に並ぶハクモクレンは、もう見頃に。




 北に向かう国道には、浦和レッズや大宮アルディージャがありサッカーの盛んなさいた
ま市らしく、消防用マンホールのデザインはサッカーボール。
    

 NHKさいたま放送局や埼玉りそな銀行本店の横などを通過して、県営北浦和公園に入
ります。公園の南東側入口には、旧制浦和高校の正門が残っていました。

 旧姓浦和高校は、大正10年(1921)に20番目の官制高等学校として設立され、
昭和25年(1950)3月で閉校されるされるまで、この地にあったもの。その跡地が
県営北浦和公園になったのです。

 公園内にある県立近代美術館は、整備のため4月10日まで閉館中。
      

 美術館の東側にある池、まだ春の彩りは見られません。


 公園内も来週の3月23日まで緑化環境の整備中で、入れないエリアがあちこちに見ら
れました。

 折り返して南方に向かうことにして、国道17号から分かれて南東への道へ。その分岐
点に、さいたま市指定史跡「浦和宿石橋と供養塔」が立っています。
        
 江戸時代、中山道浦和宿から与野へ通じるこの道に、宝暦12年(1762)に造られ
た石橋があり、石橋と道路が末長く守護されるよう建てられたもの。

 正面に「奉造立石橋 道普請供養仏」と記され、左側面に「是よ里与の川越道」と刻ま
れているようですが、いまはツツジが茂っていてよく見えません。


 その道を進んで中山道に入りました。仲町交差点近くで右手に延びる「市場通り」↑に、
物売りのような姿の像がありました。
        
 この通りの奥の慈意稲荷で、戦国時代から昭和の初めまで毎月2・7の日に市が開かれ
てていたとか。そこでは農産物や各種生活必需品が取引されていたようで、この彫刻も農
産物を売る商人のようです。

 仲町交差点の先が、中山道浦和宿の中心部。現在も、さいたま市の中心の繁華街として
賑わっています。


 その先の須原屋書店に入りましたが、購入しようと思った地形図は品切れ。近くで昼食
をして、西側の玉蔵院(ぎょくぞういん)に行きました。山門はさいたま市指定文化財。


 山門を入った左手には、珍しい形の鐘楼が。


 西側の通りの先に、本堂や地蔵堂があります。本堂前のシダレザクラは多くの市民に知
られている名木ですが、まだつぼみのままでした。


 南側の地蔵堂の前に2基のお地蔵さんが立っていて、左手↓のは元禄9年(1696)
の造立。右は正徳6年(1716)の造立でした。
        

 地蔵堂前の手水鉢は、天明2年(1782)9月の奉納と刻まれています。
  

        
      中山道浦和宿の歩道には、こんな標石やタイルが。
    

 JR京浜東北線・高崎線浦和駅への交差点を過ぎた岸町七丁目には、古い商家が幾つか
残っていました。



 
 その先にある調(つきのみや)神社(あるいは「つきじんじゃ」)に入ります。この神
社の狛犬は犬ではなくてウサギです。
        

 調神社は、天照大神、豊受気姫命、それに素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とし、
第9代開化天皇のときに創建され、延喜式神明帳にも記された古社で、朝廷や武門の崇敬
が篤かったようです。


 社名の「調」は「貢(みつぎ)」に同じで、貢物を納めるための倉が古代建てられたこ
とに由来するとか。

 また、読みは斎宮(いつきのみや)に由来するという説もあり、その音から「ツキ」に
恵まれる神社として信仰されているよう。

 また「ツキ」を「月」にかけたことによる月待信仰が古来よりあり、狛犬ならぬコマウ
サギがいる神社として有名で、浦和区の観光名所になっていて、鳥居を建てないことでも
知られているとか。


 りっぱな神楽殿があり、境内はケヤキなどの大木に囲まれています。



 手水舎の水もウサギの口から流れ、東側の池の噴水もうさぎでした。
    

 池の南側には、高浜虚子の指導を受け、大正・昭和初期を代表する女性俳人、長谷川か
な女の「生涯の 影ある あさの 天地かな」の句碑が。
      
 長谷川かな女は40年余りこの調神社の近くに居住し、句集・随筆の発刊を通じて、旧
浦和市民並びに埼玉県民の教養の向上と文化活動の普及発展に寄与し、浦和市名誉市民や
埼玉県文化功労賞などを受賞しています。

 すぐ先で中山道を離れて西側の岸町七丁目から六丁目へと進み、県立浦和商高の西側か
ら白幡沼沿いの遊歩道に入ります。

 すぐ北側の、岸町小の児童の通学路にもなっているよう。

 白幡池も、まだ春の彩りは感じられません。


 池の南側を西進し、15時03分にJR武蔵浦和駅に戻りました。

 (天気 快晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市南区、
  浦和区、歩数 15,100)


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