2008年7月20日(日)午後
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/51/21.171,139/31/9.167&scale=70000)
カタツムリ歩行のゴール、神明神社で昼食をして散会の後、
南側をもう少し歩いてみることにした。
神明神社から川越街道の旧道に入って少し進むと、亀久保
3丁目に地蔵院がある。
亀久保地蔵院は、正和3年(1314)の開基。昭和27年
(1952)の火災により、文化年間(1804~)建立の本堂は
焼失したといい、現在の本堂は近代的な造り。
新しいがりっぱな鐘楼が目につく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/41/bcd632771d0dab9033ba00e0d9acf895.jpg)
山門を入ると、大きなシダレザクラがある。ふじみ野市文化
財になっているエドヒガンザクラの変種で、樹齢は350年前
後と推定されているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/73/ab6e0782220661f4b892065284a7c978.jpg)
開花のころ、もう1度来てみたい。
本堂前の水がめに、ハスが花を開いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/9c/c81ab0e9737e18201b7a1cd12c952090.jpg)
本堂際には、心地よい音を響かせる、水琴窟(すいきんくつ)
があった。
地蔵院を出て、旧川越街道を南に進む。広い道路との交差
点に「角(かど)の常夜灯」と呼ぶ、古い常夜灯が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d7/ba5e10d530cebe2a74556912f7d37c90.jpg)
旧川越街道と地蔵街道の交差点を「角」と呼び、丹沢・大山
の阿夫利神社へ参詣する際に、亀久保村から最初の曲がり
角に立つので、この名がついたようだ。
常夜灯は、享和2年(1802)の建立、明治30年(1897)
年に笠石と台石が再建されているという。
さらに南に進むと、川越街道は再び新旧が合流して1本に
なる。すぐ先の交差点を過ぎ、そばの大井小の北東端に旧
大井村役場庁舎があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/35/bbf764147637957e65865763fe175e23.jpg)
昭和12年(1937)の建設で、昭和47年(1972)まで約35
年間使用され、その後、東入間警察署や大井小の特別教室、
埋蔵文化財整理室として使用され、現在は国の登録文化財に
指定されている。
大井2丁目まで進むと、「池坊いけばな教室」の看板のある
広い敷地の道路際に、こんな標識が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/3f/05f9c1aeb4b7930e2f37ceec3a96a467.jpg)
大井宿は、川越街道の6宿場の一つとして、江戸から約8里、
川越城から2里半にあり、江戸中期の宝永2年(1705)には、
家数94軒、人口479人だったという。
明治14(1881),15,25年の3度の大火で、町並みは
ほとんど焼失したといい、付近に宿場らしい面影は全く見られ
ない。
しかし、当時の名残か、近くの古い民家の入口には祭礼の
提灯(ちょうちん)が下がっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/3f/9631ac19cc6fa0e9b452afbbdc5f18b3.jpg)
豊富な花を見せるカシワバアジサイなど、緑いっぱいの庭を
見せる住宅もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/84/734d69b43c7a05c2d6eb2fa505a43734.jpg)
近くの徳性寺(とくしょうじ)本堂。 徳性寺は、室町時代の
開山で、大井宿の中心的存在だったが、明治14年(1881)
の大火で、本堂、庫裡などは焼失し、現在の本堂は昭和48
年(1973)の再建という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/ae/bd9b7107fde18afb1f18e25facf33573.jpg)
本堂前の仏足石に参拝して、石に触れた後、その手で自分
の足をさすり、これからも元気に歩けるよう、祈願する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/01/8614822e5250678b7e60192819fb1b4b.jpg)
山門の内側にある「弘安の板碑」と呼ぶ板石塔婆。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/73/97883d7411599b860d40fe2f1ed76da4.jpg)
市内最古の弘安4年(1281)のもので、高さ117cm、幅
31cmも、ふじみ野市内最大の板石塔婆である。
ほかに20数基の板石塔婆が出土しているという。
寺の南側で、川越街道を地下道でくぐり、東に抜ける。東川
(あずまがわ)の右岸沿いに、「大井弁天の森」と呼ぶ斜面林
が東に伸びている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/d4/4b9b5bb633dcfe4c4cc47fd096bc114f.jpg)
その中ほどに、名前の由来の弁天池があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/0c/d649bf8eea6a9de893a8cc0ffac7c82f.jpg)
大井弁財天は、江戸時代初期、上野不忍池の弁天様より
分霊したと伝えられているという。
寛政年間(1789~)に建てられたお堂に、参拝する人は
多く、明治中期の縁日には露店が並んだという。
その弁天堂も老朽化し、平成元年(1989)に解体された
とのこと。
対岸に公園が見えたので、橋を渡って回ってみた。公園の
手前に土器が飾ってある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/ec/8aca048e726021d3a3831d7512aa1040.jpg)
「西の原の土器」と記され、区画整理事業によりここ西の原
遺跡から出土した、約4500年前の縄文時代中期の土器だと
いう。
そばの公園は、東原親水公園。日陰は少ないので、立ち寄
らずに駅に向かう。
市沢三丁目から一丁目へと新しい住宅地を抜け、日本最初
のアウトレットモール、「リズム」のそばを通過した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/7c/eecff50543dccd2233df237b68df2c3a.jpg)
東上線の線路際に回ると駅は近い。14時35分に、東武
東上線ふじみ野駅に着いた。
厳しい暑さの中を歩いてきたので、のどが渇いた。駅構内
のコンビニでアイスバーを買って下りホームに下りる。
ふと上りホームを見たら、先ほど「角の常夜灯」のところで
別れた、カタツムリ歩行の事務局、Doiさんご夫妻も、電車を
待っておられた。
カタツムリ歩行のゴール、神明神社で昼食をして散会の後、
南側をもう少し歩いてみることにした。
神明神社から川越街道の旧道に入って少し進むと、亀久保
3丁目に地蔵院がある。
亀久保地蔵院は、正和3年(1314)の開基。昭和27年
(1952)の火災により、文化年間(1804~)建立の本堂は
焼失したといい、現在の本堂は近代的な造り。
新しいがりっぱな鐘楼が目につく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/41/bcd632771d0dab9033ba00e0d9acf895.jpg)
山門を入ると、大きなシダレザクラがある。ふじみ野市文化
財になっているエドヒガンザクラの変種で、樹齢は350年前
後と推定されているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/73/ab6e0782220661f4b892065284a7c978.jpg)
開花のころ、もう1度来てみたい。
本堂前の水がめに、ハスが花を開いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/9c/c81ab0e9737e18201b7a1cd12c952090.jpg)
本堂際には、心地よい音を響かせる、水琴窟(すいきんくつ)
があった。
地蔵院を出て、旧川越街道を南に進む。広い道路との交差
点に「角(かど)の常夜灯」と呼ぶ、古い常夜灯が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d7/ba5e10d530cebe2a74556912f7d37c90.jpg)
旧川越街道と地蔵街道の交差点を「角」と呼び、丹沢・大山
の阿夫利神社へ参詣する際に、亀久保村から最初の曲がり
角に立つので、この名がついたようだ。
常夜灯は、享和2年(1802)の建立、明治30年(1897)
年に笠石と台石が再建されているという。
さらに南に進むと、川越街道は再び新旧が合流して1本に
なる。すぐ先の交差点を過ぎ、そばの大井小の北東端に旧
大井村役場庁舎があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/35/bbf764147637957e65865763fe175e23.jpg)
昭和12年(1937)の建設で、昭和47年(1972)まで約35
年間使用され、その後、東入間警察署や大井小の特別教室、
埋蔵文化財整理室として使用され、現在は国の登録文化財に
指定されている。
大井2丁目まで進むと、「池坊いけばな教室」の看板のある
広い敷地の道路際に、こんな標識が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/3f/05f9c1aeb4b7930e2f37ceec3a96a467.jpg)
大井宿は、川越街道の6宿場の一つとして、江戸から約8里、
川越城から2里半にあり、江戸中期の宝永2年(1705)には、
家数94軒、人口479人だったという。
明治14(1881),15,25年の3度の大火で、町並みは
ほとんど焼失したといい、付近に宿場らしい面影は全く見られ
ない。
しかし、当時の名残か、近くの古い民家の入口には祭礼の
提灯(ちょうちん)が下がっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/3f/9631ac19cc6fa0e9b452afbbdc5f18b3.jpg)
豊富な花を見せるカシワバアジサイなど、緑いっぱいの庭を
見せる住宅もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/84/734d69b43c7a05c2d6eb2fa505a43734.jpg)
近くの徳性寺(とくしょうじ)本堂。 徳性寺は、室町時代の
開山で、大井宿の中心的存在だったが、明治14年(1881)
の大火で、本堂、庫裡などは焼失し、現在の本堂は昭和48
年(1973)の再建という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/ae/bd9b7107fde18afb1f18e25facf33573.jpg)
本堂前の仏足石に参拝して、石に触れた後、その手で自分
の足をさすり、これからも元気に歩けるよう、祈願する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/01/8614822e5250678b7e60192819fb1b4b.jpg)
山門の内側にある「弘安の板碑」と呼ぶ板石塔婆。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/73/97883d7411599b860d40fe2f1ed76da4.jpg)
市内最古の弘安4年(1281)のもので、高さ117cm、幅
31cmも、ふじみ野市内最大の板石塔婆である。
ほかに20数基の板石塔婆が出土しているという。
寺の南側で、川越街道を地下道でくぐり、東に抜ける。東川
(あずまがわ)の右岸沿いに、「大井弁天の森」と呼ぶ斜面林
が東に伸びている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/d4/4b9b5bb633dcfe4c4cc47fd096bc114f.jpg)
その中ほどに、名前の由来の弁天池があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/0c/d649bf8eea6a9de893a8cc0ffac7c82f.jpg)
大井弁財天は、江戸時代初期、上野不忍池の弁天様より
分霊したと伝えられているという。
寛政年間(1789~)に建てられたお堂に、参拝する人は
多く、明治中期の縁日には露店が並んだという。
その弁天堂も老朽化し、平成元年(1989)に解体された
とのこと。
対岸に公園が見えたので、橋を渡って回ってみた。公園の
手前に土器が飾ってある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/ec/8aca048e726021d3a3831d7512aa1040.jpg)
「西の原の土器」と記され、区画整理事業によりここ西の原
遺跡から出土した、約4500年前の縄文時代中期の土器だと
いう。
そばの公園は、東原親水公園。日陰は少ないので、立ち寄
らずに駅に向かう。
市沢三丁目から一丁目へと新しい住宅地を抜け、日本最初
のアウトレットモール、「リズム」のそばを通過した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/7c/eecff50543dccd2233df237b68df2c3a.jpg)
東上線の線路際に回ると駅は近い。14時35分に、東武
東上線ふじみ野駅に着いた。
厳しい暑さの中を歩いてきたので、のどが渇いた。駅構内
のコンビニでアイスバーを買って下りホームに下りる。
ふと上りホームを見たら、先ほど「角の常夜灯」のところで
別れた、カタツムリ歩行の事務局、Doiさんご夫妻も、電車を
待っておられた。
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