あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(前編)・高知その16/愛媛その1

2006-10-26 20:53:13 | 初めての四国遍路
 第23日 2004年3月13日(土) 晴 <40番観自在寺>
 =松尾峠を越えて愛媛県入り=
 
 5時25分起床、6時朝食、「また来るんだよー」との親父さんの
声に送られて6時45分にへんくつやを出発する。


 雨が上がり、濃い朝もやで視界は100mくらい。気温も下がって
吐く息が白い。寒いので、軍手を着用する。

 国道56号に出て、小森から旧道へ。市山古石塔群を過ぎた辺り
で霧が晴れ、間もなく日が差してきた。

 和田で国道56号に分かれて北側の県道4号に入った。松田川の
宿毛大橋を渡って右折、文教センター、宿毛郵便局、市役所前など
を通過して、県道109号へ。

 町並みの終わりで国道56号と交差する。貝塚集落の山すそに向
かうと、国史跡・宿毛貝塚があった。縄文中期~後期の貝塚で、四国
では最大だという。貝塚一帯は芝生になっている。

 貝塚の先から山すその上り道。宿毛の町や宿毛湾の展望がよい。
ヒノキ林のたっぷりの落ち葉道や、ナノハナの咲く畑のあぜなどを上り
下りして錦集落を抜ける。

 集落は、桃、ナノハナ、ホトケノザなどが花盛りで、春先らしいやわ
らかな彩りを見せてくれる。


 再び草の道や杉落ち葉のへんろ道を進む。両側に池が現れ、小さ
な祠(ほこら)があったので休憩。久しぶりに自宅に電話し、近況と、
帰宅が1日遅くなることを伝えた。

 放置された棚田が、アシや草など伸び放題になっている。深浦集落
の手前で、駅の方を回ってきたという八戸の女性が左手の道から現
れた。以後同道する。

 八戸の女性とは何日か同宿したが、いつも私が先に宿帳を書き、
名前を知らなかったので聞いて、Tさんと知る。

 Tさんは、いつも「お父さん」と呼ぶご主人や、グループの仲間と、
連休や夏休みなどに山登りをされ、すでに九州、四国の日本百名山
も上ったという。さらに、冬はツアースキー、夏場海に潜るなど、活発
なアウトドア派の方のよう。

 伊予・土佐藩の松尾峠出番所跡を過ぎる。大深浦の集落では、
収穫した文旦をいっぱい並べて出荷作業中。距離は短いが、昔の
まま残る石畳道があった。

 みかん畑の横に新しい地蔵堂があり、「遍路さん休んでいって
下さい」と書いてあったので、Tさんと寄って休憩する。

 天気は良し、ミカン畑や芽吹き間近な山並みなど、のどかな展望
が広がり、いつまでも眺めていたくなるところだった。


 その先は上り坂が続き、茶屋跡を過ぎると海が見え、まもなく松尾
峠。大師堂があり、「純友城跡」の表示と、土佐と伊予の国境標石が
立っていた。


 峠が県境とは知らずに来たので、思いがけない国境標石だった。

 長かった高知県を歩き終え、愛媛県に入るのだと思うと、一瞬、
感慨を覚える。

 峠の先は、疑木の手すりが付いたゆるやかな下り。足あたりの
よい快適な土の道である。


 県道299号に出た。右から合した三差路には、小山番所井戸の
説明があった。

 坂石集落に入る。自宅の前で作業していた男性から、「ちょっと
待って」と言われ、中にいた奥さんをせかせて乳酸菌飲料のお接待
を頂く。そばに東屋(あずまや)があったので昼食とする。

 一本松町の中心街を抜け、国道56号を横切る。おだやかな午後
の日より、ゆったりした気分で車の少ない県道を進んだ。

 札掛集落を抜け、上満倉へ向かう山間は、県道がヘヤピンカーブ
を繰り返す。ショートカット工事中のところもあり、地図で確認したが
よく分からない。

 車の若い人も止まってくれたので聞いたが、要領を得ない。古い
方の道を回ったらへんろ道の標識があった。

 大場集落を過ぎ、谷間の田んぼを左に見下ろしながらゆるい下り
道を進むと、三差路が見えた。その先の僧都川の三差路と勘違いし、
左へショートカットしようとして、あぜ道を入ったら芦原となる。

 休耕田に回ったのだが、Tさんは水のあるところに踏み込み、靴が
泥だらけになった。ほんの少し近回りしようとして、かえって時間を
食い、へんろ道を行くのが正解だったと悟った。

 直前に抜かれ男性歩き遍路が見えないが、左の道をしばらく進む。
でも方向が違う感じ。

 次の三差路にあったへんろ標識は、先ほど見たような気がする。
結局、2km前後の回り道をしたことになり、勘違いした三差路に
戻った。

 15時前に観自在寺に着く見通しだったが、どうやら30分ほど遅れ
そう。Tさんと、「一人ならこんなことはしなかったろうね」と話す。

 城辺町の中心街を通過し、僧都川を越えて御荘町に入り、15時半
過ぎ、40番観自在寺に着いた。解放された感じの明るい境内。3匹
のカエルの石像がある。

 大師堂で参拝しようとしたら、「歩きですか?」と声をかけられた。

 NPO法人、黒潮実感センター事務局長のYさん。「今夜6時から隣
の内海村のDEあい21ホールで、津軽三味線奏者、月岡祐紀子さん
の演奏と、作家・早坂暁さんの講演があります。歩き遍路なら、ぜひ
お出で下さい」と勧められた。

 Tさんも、よい機会だから行きたいという。

 16時28分、民宿磯屋に着いた。早速おかみさんに話したら、急い
で夕食を用意して下さり、17時半前には出してもらった。急いでいた
だく。

 その上、ホールまで9kmあるからと、おかみさんが車で送迎して
下さることになった。

 開演直前に着き、急いで会場に入る。すでに満員だったが、幸い
前から5~6番目に空席があり、座ることが出来た。

 まず、月岡さんの演奏。ごぜうた、中山晋平の民謡三曲、そして
期待していた遍路組曲が始まる。

 月岡さんは2000年、前年に続き各札所で津軽三味線を奉納しな
がらの歩き遍路をして、この遍路組曲をつくった。

 私は、月岡さんの「平成娘巡礼記」(文春新書)や、月岡さんのことを
記した辰濃和男さんの「四国遍路」(岩波新書)を読んでいたので、
大変感慨深く聞く。

 声量豊かに弾き歌う月岡さん、そして伴奏の松末真由美さんの琴
とあわせ、心に残る演奏だった。

 続いて早坂暁さんの「四国遍路の底力」という講演。自分の幼児期、
母親に背負われての四国遍路のこと、最近、東京・高島屋で開催され
た四国遍路展のために作った遍路まんだらの話、四国遍路道の魅力
は人里を抜ける道だ、四国は千年の煩悩が埋もれた道である、平成
遍路の特徴は、自分の生き方を求めて来る人が出たきたこと、など、
予定時間をオーバーして味わい深い話しをされた。

 一緒に聞いた磯屋のおかみさんも大変喜ばれ、私たち遍路にとっ
ても一番思い出深い夜となった。

 もし道を間違えなかったらYさんに会えず、この企画も知らなかった
と思うと、これもお大師さまのお導きかと感謝した次第。21時過ぎ宿
に戻り入浴、就床は23時を過ぎた。

〈コースタイム〉民宿へんくつや6:45ー和田(県道へ)7:44ー深浦(二つ
の池)8:58~9:15ー地蔵堂9:36~50ー茶屋跡10:25ー松尾峠10:40~
50ー県道29号へ11:10ー坂石の東屋(昼食)11:45~12:15ー上満倉の
大宮神社13:35~50太場の三差路戻り14:41ー40番観自在寺15:35~
16:04ー民宿磯屋16:28

(距離 32km、歩行地 宿毛市、愛媛県一本松町、城辺町、御荘
 町、歩数 52,300)


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
以前から拝見を! (竹樋パパ)
2006-10-27 12:37:29
あるきメデスさん コンニチわ

二週間前の中山道ユキちゃん隊でご一緒をさせて頂いた「愛知のTさん」です(笑)

お互いに短い時間のすれ違いだったのでお話しの機会が少なかったあの日でしたが、このブログのことは今年の6月頃にネット検索をしていて偶然に知りユキちゃんたちの中山道の記述に驚いていました。

そしていっぱいの素晴らしい写真達に感心をしながら、ページを前後させて時々拝見させて頂いております。

この四国お遍路も興味を持って眺めていますし、先週の年輪ウオークも三年前の5月に同じ年輪賞を私も頂きましたデス。

とりあえず拙い足跡のみですがカキコをさせて頂きますネ~

ではでは です。
次の機会を楽しみに (saikoroat)
2006-10-27 13:29:17
竹樋パパさん、ママさん、こんにちは。

14日1日だけでしたが、お世話になりました。また次の機会にお会いできる日を楽しみにしています。

「竹樋パパママのウオーキング日記」も

拝見しました。

楽しい写真が一杯ですね。これからもときどきのぞかせていただきます。

Unknown (結婚相談所)
2009-04-29 10:48:18
綺麗な景色ですねぇ!ちょっと感動です!
ありがとうございます (saikoroat)
2009-04-30 10:31:54
古いレポートをお読み下さり、ありがとうございます。
あちこちを歩いて眼にしたものを、これからも
お届けしたいと思います。また、のぞいてみてください。

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