あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(後編)・愛媛その7

2006-11-07 21:06:06 | 初めての四国遍路
 第2日 2004年11月14日(日) 曇後雨
 <44番大宝寺~45番岩屋寺>
 =二つの峠越えと、へんろ道の上り下り=
 
 4時50分起床、5時25分朝食。おかみさんから、大きなおむ
すびを一つもらい6時に出発。まだ外は暗い。天気予報から、
今日は雨を覚悟して出る。

 田渡川沿いの国道379号を進む。寒そうなのでジャンパーを
着て出たが、30分も歩くと暑くなり脱いだ。明るくなった国道の
周囲、杉林と清流の谷間を進む。

 本村の分校跡らしいところに、小田町郷土資料館があった。
中田渡の三差路にある、新田八幡宮の境内は紅葉が見頃だ。

 趣ある中田渡の小集落を抜ける。民家の玄関に下がっていた
温度計をのぞいてみたら11℃だった。

 県道42号を分ける堂ノ浦の三差路に、新しい薬師堂が立って
いた。そばにトイレもある。

 
 落合でトンネルを抜け、国道と分かれて右折、県道42号に入る。

 車の行き違いがやっとの細い県道で、歩道もないが車は少ない。
モロヘイヤに似た大きな草木に、赤紫の花が下がっている。
なんだろう。

 瀬音を聞きながら渓流沿いに緩い上り道が続く。浮船集落のとこ
ろだけ2車線で歩道もあった。


 棚田の背後に民家が並ぶ大込を過ぎたら、ポツポツしてきたので、
スパッツを付け雨用のズボンをはく。ザックカバーもしたが、本降り
にはならなかった。

 本成では、自宅前の作業小屋で、ご夫婦が親指くらいの太さの
松を整えている。聞くと、正月用の門松だという。

 毎年11月初めから作業を始めており、整えた枝は出荷まで生け
簀(いけす)に漬けて鮮度を保つという。この集落では同じ作業を
何組ものご夫婦でやっていた。


 三島神社は、紅葉が見ごろである。


 イチョウがかなり落葉した厄除大師下を過ぎ、畦々(うねうね)で
三差路を左に上がると、傾斜が強まり汗が出る。

 「大宝寺7.8km」の表示のある「四国のみち」の標識横から
山道へ。小さい沢を渡りヒノキ林を上がって下坂場峠に出た。
再び県道に下り、緩やかに下ると宮城である。

 T字路にある葛城神社の、モミジやイチョウがきれいな彩り。
葛城橋を渡り、鴇田(ひわだ)峠へのへんろ道へ。

 しばらくは1車線の舗装路を上がり、峠まで1kmの表示のある
ヘヤピンカーブのところから高原状の草道に。

 杉落ち葉の上り道、弘法大師が、空腹と修行の足りなさに、
だんじり(じだんだ)を踏んだという「だんじり岩」があった。

 ひとしきり大汗をかいてヒノキ林の中の鴇田峠に着いた。峠の
標高は800m、昭和30年(1955)頃まで茶屋があり、久万
(くま)への主街道として賑わったという。

 嘉永4年(1851)12月の「四国四十度大願成就」碑があり、
そばにベンチもあったので腰を下ろし、大おにぎりを7分目くらい
食べる。

 杉林の下り道、苔むす大杉の下に石仏が2つ並んでいた。
やがて県道に出て、さらに下ってゆくと、眼下に久万高原町の町
並みが広がる。

 水道の加圧弁の建物横から草道を下り、久万町の集落に出る。
国道33号を横断し、東側の旧道を北に少しで右折する。

 この辺りに食堂か弁当を売る店が無いか探したが、見つから
ない。

 小さい川を渡ったところに大宝寺の山門があり、さらに1km
近く進むと、大宝寺門前の売店があり、キンカン茶と干しいも、
もちのお接待をいただいた。

 すぐ後に若い男性と女性の歩き遍路が来たが、女性は店には
寄らずに行った。

 44番大宝寺は、苔むす大杉の間を上がり、大わらじの奉納
された山門をくぐり、大イチョウやモミジの色づく石段の上にある。

 本堂と大師堂に参拝して読経。3月16日の43番岩本寺以来
8か月ぶりの参拝である。

 納経後、今日例会で歩いているカントリーウオークメンバーへ
のメッセージを、SMさんに携帯メールして寺を出た。

 東に進み、杉木立の下の土道を上がって下り、峠御堂トンネル
東側の県道に出る。1kmほどで河合の住吉神社横に下り、東に
向かう。パンでも売ってないかと店を探したが、無いのであきら
める。

 少し先から、県道の南に平行するへんろ道へ。田んぼの横を
進む草道。久万高原ふるさと旅行村入口の見えるあたりで、残っ
たおむすびを食べて淋しい昼食とする。

 いったん県道に出て、すぐ「八丁坂入口」の表示で再びへんろ
道に。落ち葉がいっぱいの山道。

 細い清流に沿って進み、流れを離れて石止めの階段を上がり、
尾根に出たのち下る。逆打ちの男性遍路と行き交う。

 道筋にはリンドウやノコンギクが咲いている。へんろ地図を持っ
た逆打ちの若い女性遍路も来た。トイレのある八丁坂入口に着き、
T字路を右折して八丁坂にかかる。

 延長2.8kmの急坂は、昔から修行のへんろ道。

 再び大汗をかいて上り、坂上のベンチで休憩した。道標は、
岩屋寺へ1.9kmを示す。


 ところどころにモミジのきれいな稜線を上り下り。「まむし注意」
の札もある。やがて北斜面をトラバースするようになり、さらに
下ると太い杉木立の下に番外12明王の石像とのぼりが並んで
いた。

 真っ赤な不動明王を祭ったお堂があり、背後の大岩に食い込
んでいる。

近くには逼割(せりわり)行場というのがある。岩屋寺開山の
法華仙人が弘法大師に痛力を見せた跡と伝えられるところで、
大きな岩の裂け目をくさりとはしごでよじ登り、頂上の白山大
権現に詣でる山岳修験者の行場になっているという。


 さらに杉木立の下を下り、薄暗くなって45番岩屋寺に着く。
大きな大きな岩を背後にした山岳道場らしい荘厳な雰囲気だ。

 17時も近いので急ぎ納経。納経所で歩き遍路へのお接待と
して、お茶と干しイモなどをいただいた。

 杉木立下の石段や急坂をかなり下って川のそばに出た。車で
来た遍路は川向こうで車を下り、この坂を上がらねばお参り
できない。膝や足の不自由な人にはかなり厳しい霊場であろう。

 橋を渡ったら、とうとう本降りになった。屋根の着いたバス停
でポンチョを被り雨の県道を国民宿舎に向かう。それにしても、
ここまでよく降らずに持ってくれた。

 途中から新しい歩道が出来ていたが、小石をコンクリートで固
めた舗装。雨の時は滑りやすいし、固くて歩きにくい。歩く人の
ことを考えない設計に腹が立った。

 17時22分、国民宿舎古岩屋荘に着く。早速コインランドリーで
洗濯、温泉の源泉は13℃のようだが、沸かした湯は温かくて
ツルツル。久しぶりに10kg近い荷を背負い、山道を含め31km
歩いて筋肉痛の肩や足をもみほぐす。

 食堂に行ったのは18時40分過ぎ。料理は一番安い値段にした
が、8品あり十分。夕食後、2日分のレポートをメモして、21時
30分に就床した。

〈コースタイム〉さかえや旅館6:00ー堂の浦の薬師堂7:07~10ー
落合(県道42号へ)7:30ー大込の分校跡8:00~08ー三島神社8:25
~30ー畦々の三差路9:00ー下坂場峠9:25ー宮成の三差路9:40ー
鴇田峠10:35~49ー44番大宝寺12:00~45ー住吉神社13:38ー狩場
(昼食)13:52~14:00ー八丁坂下14:45ー八丁坂上15:07~16ー45番
岩屋寺16:12~45ー国民宿舎古岩屋荘17:22

(距離 31km、地図(1/5万) 久万、松山南部、歩行地 小田町、
 久万高原町、歩数57,600)
 
コメント
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