第2日 2004年11月14日(日) 曇後雨
<44番大宝寺~45番岩屋寺>
=二つの峠越えと、へんろ道の上り下り=
4時50分起床、5時25分朝食。おかみさんから、大きなおむ
すびを一つもらい6時に出発。まだ外は暗い。天気予報から、
今日は雨を覚悟して出る。
田渡川沿いの国道379号を進む。寒そうなのでジャンパーを
着て出たが、30分も歩くと暑くなり脱いだ。明るくなった国道の
周囲、杉林と清流の谷間を進む。
本村の分校跡らしいところに、小田町郷土資料館があった。
中田渡の三差路にある、新田八幡宮の境内は紅葉が見頃だ。
趣ある中田渡の小集落を抜ける。民家の玄関に下がっていた
温度計をのぞいてみたら11℃だった。
県道42号を分ける堂ノ浦の三差路に、新しい薬師堂が立って
いた。そばにトイレもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ef/b4ce014629f09f95f9c02ff3437439ba.jpg)
落合でトンネルを抜け、国道と分かれて右折、県道42号に入る。
車の行き違いがやっとの細い県道で、歩道もないが車は少ない。
モロヘイヤに似た大きな草木に、赤紫の花が下がっている。
なんだろう。
瀬音を聞きながら渓流沿いに緩い上り道が続く。浮船集落のとこ
ろだけ2車線で歩道もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/bd/4855615942f07fb4c9f35579d2699e00.jpg)
棚田の背後に民家が並ぶ大込を過ぎたら、ポツポツしてきたので、
スパッツを付け雨用のズボンをはく。ザックカバーもしたが、本降り
にはならなかった。
本成では、自宅前の作業小屋で、ご夫婦が親指くらいの太さの
松を整えている。聞くと、正月用の門松だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/82/920a38771e9ec66af8f4be164907847f.jpg)
毎年11月初めから作業を始めており、整えた枝は出荷まで生け
簀(いけす)に漬けて鮮度を保つという。この集落では同じ作業を
何組ものご夫婦でやっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/70/5082618ea7a29dffde9c31aced5f07ff.jpg)
三島神社は、紅葉が見ごろである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/5c/1473a8dce00ca19663fd8fb09d46becf.jpg)
イチョウがかなり落葉した厄除大師下を過ぎ、畦々(うねうね)で
三差路を左に上がると、傾斜が強まり汗が出る。
「大宝寺7.8km」の表示のある「四国のみち」の標識横から
山道へ。小さい沢を渡りヒノキ林を上がって下坂場峠に出た。
再び県道に下り、緩やかに下ると宮城である。
T字路にある葛城神社の、モミジやイチョウがきれいな彩り。
葛城橋を渡り、鴇田(ひわだ)峠へのへんろ道へ。
しばらくは1車線の舗装路を上がり、峠まで1kmの表示のある
ヘヤピンカーブのところから高原状の草道に。
杉落ち葉の上り道、弘法大師が、空腹と修行の足りなさに、
だんじり(じだんだ)を踏んだという「だんじり岩」があった。
ひとしきり大汗をかいてヒノキ林の中の鴇田峠に着いた。峠の
標高は800m、昭和30年(1955)頃まで茶屋があり、久万
(くま)への主街道として賑わったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/a8/2a8ae7b3fd12cdbd74e1f831ab8b23c0.jpg)
嘉永4年(1851)12月の「四国四十度大願成就」碑があり、
そばにベンチもあったので腰を下ろし、大おにぎりを7分目くらい
食べる。
杉林の下り道、苔むす大杉の下に石仏が2つ並んでいた。
やがて県道に出て、さらに下ってゆくと、眼下に久万高原町の町
並みが広がる。
水道の加圧弁の建物横から草道を下り、久万町の集落に出る。
国道33号を横断し、東側の旧道を北に少しで右折する。
この辺りに食堂か弁当を売る店が無いか探したが、見つから
ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/22/375a12027cb03faf03efe8cc276b1f72.jpg)
小さい川を渡ったところに大宝寺の山門があり、さらに1km
近く進むと、大宝寺門前の売店があり、キンカン茶と干しいも、
もちのお接待をいただいた。
すぐ後に若い男性と女性の歩き遍路が来たが、女性は店には
寄らずに行った。
44番大宝寺は、苔むす大杉の間を上がり、大わらじの奉納
された山門をくぐり、大イチョウやモミジの色づく石段の上にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/b3/514e407c313877a356d568b0d1243df1.jpg)
本堂と大師堂に参拝して読経。3月16日の43番岩本寺以来
8か月ぶりの参拝である。
納経後、今日例会で歩いているカントリーウオークメンバーへ
のメッセージを、SMさんに携帯メールして寺を出た。
東に進み、杉木立の下の土道を上がって下り、峠御堂トンネル
東側の県道に出る。1kmほどで河合の住吉神社横に下り、東に
向かう。パンでも売ってないかと店を探したが、無いのであきら
める。
少し先から、県道の南に平行するへんろ道へ。田んぼの横を
進む草道。久万高原ふるさと旅行村入口の見えるあたりで、残っ
たおむすびを食べて淋しい昼食とする。
いったん県道に出て、すぐ「八丁坂入口」の表示で再びへんろ
道に。落ち葉がいっぱいの山道。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/1e/0c4ca4972f32955602679320b1c7d009.jpg)
細い清流に沿って進み、流れを離れて石止めの階段を上がり、
尾根に出たのち下る。逆打ちの男性遍路と行き交う。
道筋にはリンドウやノコンギクが咲いている。へんろ地図を持っ
た逆打ちの若い女性遍路も来た。トイレのある八丁坂入口に着き、
T字路を右折して八丁坂にかかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/91/49e7a0cf50c4d1c11c05bf892ea6ddf9.jpg)
延長2.8kmの急坂は、昔から修行のへんろ道。
再び大汗をかいて上り、坂上のベンチで休憩した。道標は、
岩屋寺へ1.9kmを示す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/5a/5de0dfa664ce71a295ee9f9e03610edd.jpg)
ところどころにモミジのきれいな稜線を上り下り。「まむし注意」
の札もある。やがて北斜面をトラバースするようになり、さらに
下ると太い杉木立の下に番外12明王の石像とのぼりが並んで
いた。
真っ赤な不動明王を祭ったお堂があり、背後の大岩に食い込
んでいる。
近くには逼割(せりわり)行場というのがある。岩屋寺開山の
法華仙人が弘法大師に痛力を見せた跡と伝えられるところで、
大きな岩の裂け目をくさりとはしごでよじ登り、頂上の白山大
権現に詣でる山岳修験者の行場になっているという。
さらに杉木立の下を下り、薄暗くなって45番岩屋寺に着く。
大きな大きな岩を背後にした山岳道場らしい荘厳な雰囲気だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/86/d339ecfb66c3ee398175801dc36ada07.jpg)
17時も近いので急ぎ納経。納経所で歩き遍路へのお接待と
して、お茶と干しイモなどをいただいた。
杉木立下の石段や急坂をかなり下って川のそばに出た。車で
来た遍路は川向こうで車を下り、この坂を上がらねばお参り
できない。膝や足の不自由な人にはかなり厳しい霊場であろう。
橋を渡ったら、とうとう本降りになった。屋根の着いたバス停
でポンチョを被り雨の県道を国民宿舎に向かう。それにしても、
ここまでよく降らずに持ってくれた。
途中から新しい歩道が出来ていたが、小石をコンクリートで固
めた舗装。雨の時は滑りやすいし、固くて歩きにくい。歩く人の
ことを考えない設計に腹が立った。
17時22分、国民宿舎古岩屋荘に着く。早速コインランドリーで
洗濯、温泉の源泉は13℃のようだが、沸かした湯は温かくて
ツルツル。久しぶりに10kg近い荷を背負い、山道を含め31km
歩いて筋肉痛の肩や足をもみほぐす。
食堂に行ったのは18時40分過ぎ。料理は一番安い値段にした
が、8品あり十分。夕食後、2日分のレポートをメモして、21時
30分に就床した。
〈コースタイム〉さかえや旅館6:00ー堂の浦の薬師堂7:07~10ー
落合(県道42号へ)7:30ー大込の分校跡8:00~08ー三島神社8:25
~30ー畦々の三差路9:00ー下坂場峠9:25ー宮成の三差路9:40ー
鴇田峠10:35~49ー44番大宝寺12:00~45ー住吉神社13:38ー狩場
(昼食)13:52~14:00ー八丁坂下14:45ー八丁坂上15:07~16ー45番
岩屋寺16:12~45ー国民宿舎古岩屋荘17:22
(距離 31km、地図(1/5万) 久万、松山南部、歩行地 小田町、
久万高原町、歩数57,600)
<44番大宝寺~45番岩屋寺>
=二つの峠越えと、へんろ道の上り下り=
4時50分起床、5時25分朝食。おかみさんから、大きなおむ
すびを一つもらい6時に出発。まだ外は暗い。天気予報から、
今日は雨を覚悟して出る。
田渡川沿いの国道379号を進む。寒そうなのでジャンパーを
着て出たが、30分も歩くと暑くなり脱いだ。明るくなった国道の
周囲、杉林と清流の谷間を進む。
本村の分校跡らしいところに、小田町郷土資料館があった。
中田渡の三差路にある、新田八幡宮の境内は紅葉が見頃だ。
趣ある中田渡の小集落を抜ける。民家の玄関に下がっていた
温度計をのぞいてみたら11℃だった。
県道42号を分ける堂ノ浦の三差路に、新しい薬師堂が立って
いた。そばにトイレもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ef/b4ce014629f09f95f9c02ff3437439ba.jpg)
落合でトンネルを抜け、国道と分かれて右折、県道42号に入る。
車の行き違いがやっとの細い県道で、歩道もないが車は少ない。
モロヘイヤに似た大きな草木に、赤紫の花が下がっている。
なんだろう。
瀬音を聞きながら渓流沿いに緩い上り道が続く。浮船集落のとこ
ろだけ2車線で歩道もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/bd/4855615942f07fb4c9f35579d2699e00.jpg)
棚田の背後に民家が並ぶ大込を過ぎたら、ポツポツしてきたので、
スパッツを付け雨用のズボンをはく。ザックカバーもしたが、本降り
にはならなかった。
本成では、自宅前の作業小屋で、ご夫婦が親指くらいの太さの
松を整えている。聞くと、正月用の門松だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/82/920a38771e9ec66af8f4be164907847f.jpg)
毎年11月初めから作業を始めており、整えた枝は出荷まで生け
簀(いけす)に漬けて鮮度を保つという。この集落では同じ作業を
何組ものご夫婦でやっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/70/5082618ea7a29dffde9c31aced5f07ff.jpg)
三島神社は、紅葉が見ごろである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/5c/1473a8dce00ca19663fd8fb09d46becf.jpg)
イチョウがかなり落葉した厄除大師下を過ぎ、畦々(うねうね)で
三差路を左に上がると、傾斜が強まり汗が出る。
「大宝寺7.8km」の表示のある「四国のみち」の標識横から
山道へ。小さい沢を渡りヒノキ林を上がって下坂場峠に出た。
再び県道に下り、緩やかに下ると宮城である。
T字路にある葛城神社の、モミジやイチョウがきれいな彩り。
葛城橋を渡り、鴇田(ひわだ)峠へのへんろ道へ。
しばらくは1車線の舗装路を上がり、峠まで1kmの表示のある
ヘヤピンカーブのところから高原状の草道に。
杉落ち葉の上り道、弘法大師が、空腹と修行の足りなさに、
だんじり(じだんだ)を踏んだという「だんじり岩」があった。
ひとしきり大汗をかいてヒノキ林の中の鴇田峠に着いた。峠の
標高は800m、昭和30年(1955)頃まで茶屋があり、久万
(くま)への主街道として賑わったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/a8/2a8ae7b3fd12cdbd74e1f831ab8b23c0.jpg)
嘉永4年(1851)12月の「四国四十度大願成就」碑があり、
そばにベンチもあったので腰を下ろし、大おにぎりを7分目くらい
食べる。
杉林の下り道、苔むす大杉の下に石仏が2つ並んでいた。
やがて県道に出て、さらに下ってゆくと、眼下に久万高原町の町
並みが広がる。
水道の加圧弁の建物横から草道を下り、久万町の集落に出る。
国道33号を横断し、東側の旧道を北に少しで右折する。
この辺りに食堂か弁当を売る店が無いか探したが、見つから
ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/22/375a12027cb03faf03efe8cc276b1f72.jpg)
小さい川を渡ったところに大宝寺の山門があり、さらに1km
近く進むと、大宝寺門前の売店があり、キンカン茶と干しいも、
もちのお接待をいただいた。
すぐ後に若い男性と女性の歩き遍路が来たが、女性は店には
寄らずに行った。
44番大宝寺は、苔むす大杉の間を上がり、大わらじの奉納
された山門をくぐり、大イチョウやモミジの色づく石段の上にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/b3/514e407c313877a356d568b0d1243df1.jpg)
本堂と大師堂に参拝して読経。3月16日の43番岩本寺以来
8か月ぶりの参拝である。
納経後、今日例会で歩いているカントリーウオークメンバーへ
のメッセージを、SMさんに携帯メールして寺を出た。
東に進み、杉木立の下の土道を上がって下り、峠御堂トンネル
東側の県道に出る。1kmほどで河合の住吉神社横に下り、東に
向かう。パンでも売ってないかと店を探したが、無いのであきら
める。
少し先から、県道の南に平行するへんろ道へ。田んぼの横を
進む草道。久万高原ふるさと旅行村入口の見えるあたりで、残っ
たおむすびを食べて淋しい昼食とする。
いったん県道に出て、すぐ「八丁坂入口」の表示で再びへんろ
道に。落ち葉がいっぱいの山道。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/1e/0c4ca4972f32955602679320b1c7d009.jpg)
細い清流に沿って進み、流れを離れて石止めの階段を上がり、
尾根に出たのち下る。逆打ちの男性遍路と行き交う。
道筋にはリンドウやノコンギクが咲いている。へんろ地図を持っ
た逆打ちの若い女性遍路も来た。トイレのある八丁坂入口に着き、
T字路を右折して八丁坂にかかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/91/49e7a0cf50c4d1c11c05bf892ea6ddf9.jpg)
延長2.8kmの急坂は、昔から修行のへんろ道。
再び大汗をかいて上り、坂上のベンチで休憩した。道標は、
岩屋寺へ1.9kmを示す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/5a/5de0dfa664ce71a295ee9f9e03610edd.jpg)
ところどころにモミジのきれいな稜線を上り下り。「まむし注意」
の札もある。やがて北斜面をトラバースするようになり、さらに
下ると太い杉木立の下に番外12明王の石像とのぼりが並んで
いた。
真っ赤な不動明王を祭ったお堂があり、背後の大岩に食い込
んでいる。
近くには逼割(せりわり)行場というのがある。岩屋寺開山の
法華仙人が弘法大師に痛力を見せた跡と伝えられるところで、
大きな岩の裂け目をくさりとはしごでよじ登り、頂上の白山大
権現に詣でる山岳修験者の行場になっているという。
さらに杉木立の下を下り、薄暗くなって45番岩屋寺に着く。
大きな大きな岩を背後にした山岳道場らしい荘厳な雰囲気だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/86/d339ecfb66c3ee398175801dc36ada07.jpg)
17時も近いので急ぎ納経。納経所で歩き遍路へのお接待と
して、お茶と干しイモなどをいただいた。
杉木立下の石段や急坂をかなり下って川のそばに出た。車で
来た遍路は川向こうで車を下り、この坂を上がらねばお参り
できない。膝や足の不自由な人にはかなり厳しい霊場であろう。
橋を渡ったら、とうとう本降りになった。屋根の着いたバス停
でポンチョを被り雨の県道を国民宿舎に向かう。それにしても、
ここまでよく降らずに持ってくれた。
途中から新しい歩道が出来ていたが、小石をコンクリートで固
めた舗装。雨の時は滑りやすいし、固くて歩きにくい。歩く人の
ことを考えない設計に腹が立った。
17時22分、国民宿舎古岩屋荘に着く。早速コインランドリーで
洗濯、温泉の源泉は13℃のようだが、沸かした湯は温かくて
ツルツル。久しぶりに10kg近い荷を背負い、山道を含め31km
歩いて筋肉痛の肩や足をもみほぐす。
食堂に行ったのは18時40分過ぎ。料理は一番安い値段にした
が、8品あり十分。夕食後、2日分のレポートをメモして、21時
30分に就床した。
〈コースタイム〉さかえや旅館6:00ー堂の浦の薬師堂7:07~10ー
落合(県道42号へ)7:30ー大込の分校跡8:00~08ー三島神社8:25
~30ー畦々の三差路9:00ー下坂場峠9:25ー宮成の三差路9:40ー
鴇田峠10:35~49ー44番大宝寺12:00~45ー住吉神社13:38ー狩場
(昼食)13:52~14:00ー八丁坂下14:45ー八丁坂上15:07~16ー45番
岩屋寺16:12~45ー国民宿舎古岩屋荘17:22
(距離 31km、地図(1/5万) 久万、松山南部、歩行地 小田町、
久万高原町、歩数57,600)