間もなく2度目の四国遍路に出かけますので、途中で中断と
なりますが、一昨年秋に歩いた四国遍路(後編)を始めます。
前半の遍路では、初めてデジカメを買って持参したのですが、
メモリが少なかったので、1日に10枚前後しか撮影できません
でした。そこで後半は、予備メモリを買い足しましました。
写真は、前半より多くご覧いただけるかと思います。
===========================
四国遍路後半は、春の区切り、43番札所明石寺と44番大宝
寺の間、愛媛県内子町を2004年11月13日にスタートし、88
番大窪寺に11月下旬~12月上旬の結願(けちがん)を目指して
歩くことにした。
春の遍路の際、40番観自在寺で、「トレッキング・ザ・空海」と
いう催しに誘っていただいたYさんが、高知県でのNPOの仕事
を終えられ、11月3日から逆打ち遍路中と聞いた。
途中でYさんと、どこで行き会えるかも、大きな楽しみである。
第1日 2004年11月13日(土) 晴
=柿実る小田川沿いに=
2ヶ月前に予約購入した超割航空券にて、東京・羽田空港9時
25分発のANA585便に乗る。出発便の混雑で20分近く遅れ、
松山空港到着も予定の10時45分が、11時過ぎとなった。
連絡バスでJR松山駅に行く。予定の内子線の列車に乗るには
急いで昼食をする必要がある。駅構内で(場違いの感もする)
喜多方ラーメンを食べ、12時3分発1両のワンマンカーに乗る。
乗客のほとんどは高校生だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/a8/2ae06d83a3cdb218bc0f948d256957ce.jpg)
13時3分、内子駅に下りた。前半の区切り以来、約8か月ぶり
である。
今日は、お寺へのお参りはないので白衣は着ないことにした
が、日よけのため菅笠はかぶった。
駅を出ようとしたら、男女の歩き遍路が来た。今日ここで区切
り打ちという、京都の男性と神奈川の女性。お接待でもらったと
いうパック入り海苔巻きをいただく。
昼食は食べたばかりと言ったのだが、お2人も昼食後にもらっ
たようだった。10分ほど話して出発する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f1/c9f09c19f606ec3b279b89e7f2371399.jpg)
内子町の中心街には、前回寄った住まいと暮らしの博物館や、
下芳我家など、古い造りの家が残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/68/5947ea8bfcd7f62a111c82746f8dd2f5.jpg)
町外れのY字路を左に入ったら、向こうからレトロバスが来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/5d/169a2d5b0cdaeb24032bd84cd604936c.jpg)
珍しいので写真を撮っていたら、バスが止まり運転手が、道が
違うことを教えてくれた。
Y字路まで戻り、橋を渡ってすぐ先を左に進み、次のT字路を
右折して進んだら、また自家用車が止まり、道が違うと言う。
再度戻って言われた道を進み、道の駅のそばに出た。町を
抜けるのに20分近くロスしたろうか。出だしから2度も間違える
ようでは、この先が思いやられる。
でもその先は、小田川沿いの国道379号をひたすら進む
だけ。干し柿を吊した家に秋を感じる。七反から長野へ向かう
辺り、ミゾソバが咲き、初めてこの花の名を知った新潟・村上を
思い出す。
川の土手には、10月の台風の際の増水状況がうかがえる、
布やビニール片が、現在の流れより5m以上も上に引っかかっ
ていた。
梨、桃、柿の直売所を過ぎ、長岡山トンネル(392m)に入る。
天井が高く、照明が明るくて広い歩道があるので安心して歩け
る。この国道は、トンネルだけでなく歩道の幅もずっと広いので
助かる。
トンネルの先に、「お遍路無料宿」と書かれた建物があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/d1/6cd4c4398d56362fe9956236caeb7753.jpg)
そっと戸を開けてみたら、野宿で回っているという男性遍路氏
が休んでいた。私も入って休憩させてもらう。
彼は、昨日、一昨日は駅やバス停に泊まったが、寒くて寝られ
なかったので、今日は早いがここに泊まるという。10月13日に
出発し、台風の日は、徳島県神山町で雨宿り先を追い出され
たりしたことなどを聞く。
もらった海苔巻きを差し上げたら大変喜ばれた。私も食べ切れ
そうになく、始末に思案していたのでよかった。
上和田の田んぼ、青々と伸びたひこばえに固い粒が付いてい
た。柿畑には柿がたわわに実り、この先、小田町との境界付近
まで、内子町内は柿畑が多く、色づいた柿の紅葉がよい彩りを
見せていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/c6/a08a8f64fe66287e0e58ea6b173f4a6f.jpg)
夫婦で木を切って薪にしている家がある。近くの大瀬電話交換
局は谷間にあり、パラボラアンテナが南方の山上に向いていた。
15時を過ぎると、日陰は涼しくなった。明応寺や大瀬郵便局
のある成屋集落は、狭い通りに旧街道らしい家並みが続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b6/e33df4860b32bc662f416cacfcb83a0d.jpg)
県道241号を北に分ける河口橋バス停は、丸太組みの待合
室。近くに「曽我五郎、十郎首塚まで徒歩20分」の表示があっ
たが、暗くなりそうなので寄るのはあきらめた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/35/2923aa8bd5b96c3c7cda5ea833dad2c3.jpg)
日が傾き、コンクリート壁面に自分の影が長く映る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/7b/bdedae4fc8bb389caca23054c82efec2.jpg)
石積を過ぎると歩道は無くなった。川登の分校跡らしいところ
に、筏(いかだ)流しの里資料館があったが、ここも時間の関係で
寄らずに通過する。
千人宿大師堂のそばの、柿の葉がきれい。楽水大師堂前の
小田川カーブ点には、筏流しの里の写真が貼ってあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/06/0ad7c6cf4db8bf8e94315cd39df955d0.jpg)
付近の斜面の柿畑も、柿色の紅葉がよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/37/c26357b0fd17402c15767a1a86a2769d.jpg)
小田町に入って間もなく、田渡川を渡ったT字路の向こうに、
今日の宿、さかえや旅館があった。17時18分に着いた。
埼玉に比べ日没がかなり遅い。快晴だったこともあり17時
過ぎまで明るく、経度の違いを実感する。
遍路宿らしいひなびた旅館。急階段を上がって2階の部屋に
入る。風呂は、脱衣所と洗い場と浴槽の間に仕切りがない。
2階のトイレは方形でなく変形の落とし便で古色蒼然。でも、
おかみさんが「けんちゃん」と呼ぶご夫婦は仲が良さそうで
適度な話好き。
夕食は、地元産だという里芋、シュンギク、椎茸などの煮物と、
サンマ焼き、アジ焼き、卵とじうどんなど盛り沢山。食べきれ
ないので、サンマ焼きは朝食に回してもらうことにした。食後の
デザートは、やはり柿だった。
この宿の名、へんろ地図には、「徳岡旅館(さかえや旅館)」と
なっている。聞くと、著者の宮崎さんが、姓の徳岡も旅館名と
したようで、表の看板どおり「さかえや旅館」が正しいとのこと
だった。
夕食後、おかみさんに、明日のコースのことを聞き、明後日の
距離のことと考え合わせ、明日の宿を国民宿舎として、予約した。
宿の室内からは携帯は通じず、そばの橋の上から電話する。
21時前就床、部屋には暖房が無く寒いが、布団は暖かかった。
〈コースタイム〉内子駅13:15ー道の駅14:00ー石浦バス停14:40ー
へんろ無料宿15:00~10ー大瀬郵便局15:54ー千人宿大師堂
16:14ーさかえや旅館17:18
(距離 15㎞、地図(1/5万〉大洲、久万、歩行地 愛媛県内子
町、小田町、歩数 26,600)
なりますが、一昨年秋に歩いた四国遍路(後編)を始めます。
前半の遍路では、初めてデジカメを買って持参したのですが、
メモリが少なかったので、1日に10枚前後しか撮影できません
でした。そこで後半は、予備メモリを買い足しましました。
写真は、前半より多くご覧いただけるかと思います。
===========================
四国遍路後半は、春の区切り、43番札所明石寺と44番大宝
寺の間、愛媛県内子町を2004年11月13日にスタートし、88
番大窪寺に11月下旬~12月上旬の結願(けちがん)を目指して
歩くことにした。
春の遍路の際、40番観自在寺で、「トレッキング・ザ・空海」と
いう催しに誘っていただいたYさんが、高知県でのNPOの仕事
を終えられ、11月3日から逆打ち遍路中と聞いた。
途中でYさんと、どこで行き会えるかも、大きな楽しみである。
第1日 2004年11月13日(土) 晴
=柿実る小田川沿いに=
2ヶ月前に予約購入した超割航空券にて、東京・羽田空港9時
25分発のANA585便に乗る。出発便の混雑で20分近く遅れ、
松山空港到着も予定の10時45分が、11時過ぎとなった。
連絡バスでJR松山駅に行く。予定の内子線の列車に乗るには
急いで昼食をする必要がある。駅構内で(場違いの感もする)
喜多方ラーメンを食べ、12時3分発1両のワンマンカーに乗る。
乗客のほとんどは高校生だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/a8/2ae06d83a3cdb218bc0f948d256957ce.jpg)
13時3分、内子駅に下りた。前半の区切り以来、約8か月ぶり
である。
今日は、お寺へのお参りはないので白衣は着ないことにした
が、日よけのため菅笠はかぶった。
駅を出ようとしたら、男女の歩き遍路が来た。今日ここで区切
り打ちという、京都の男性と神奈川の女性。お接待でもらったと
いうパック入り海苔巻きをいただく。
昼食は食べたばかりと言ったのだが、お2人も昼食後にもらっ
たようだった。10分ほど話して出発する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f1/c9f09c19f606ec3b279b89e7f2371399.jpg)
内子町の中心街には、前回寄った住まいと暮らしの博物館や、
下芳我家など、古い造りの家が残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/68/5947ea8bfcd7f62a111c82746f8dd2f5.jpg)
町外れのY字路を左に入ったら、向こうからレトロバスが来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/5d/169a2d5b0cdaeb24032bd84cd604936c.jpg)
珍しいので写真を撮っていたら、バスが止まり運転手が、道が
違うことを教えてくれた。
Y字路まで戻り、橋を渡ってすぐ先を左に進み、次のT字路を
右折して進んだら、また自家用車が止まり、道が違うと言う。
再度戻って言われた道を進み、道の駅のそばに出た。町を
抜けるのに20分近くロスしたろうか。出だしから2度も間違える
ようでは、この先が思いやられる。
でもその先は、小田川沿いの国道379号をひたすら進む
だけ。干し柿を吊した家に秋を感じる。七反から長野へ向かう
辺り、ミゾソバが咲き、初めてこの花の名を知った新潟・村上を
思い出す。
川の土手には、10月の台風の際の増水状況がうかがえる、
布やビニール片が、現在の流れより5m以上も上に引っかかっ
ていた。
梨、桃、柿の直売所を過ぎ、長岡山トンネル(392m)に入る。
天井が高く、照明が明るくて広い歩道があるので安心して歩け
る。この国道は、トンネルだけでなく歩道の幅もずっと広いので
助かる。
トンネルの先に、「お遍路無料宿」と書かれた建物があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/d1/6cd4c4398d56362fe9956236caeb7753.jpg)
そっと戸を開けてみたら、野宿で回っているという男性遍路氏
が休んでいた。私も入って休憩させてもらう。
彼は、昨日、一昨日は駅やバス停に泊まったが、寒くて寝られ
なかったので、今日は早いがここに泊まるという。10月13日に
出発し、台風の日は、徳島県神山町で雨宿り先を追い出され
たりしたことなどを聞く。
もらった海苔巻きを差し上げたら大変喜ばれた。私も食べ切れ
そうになく、始末に思案していたのでよかった。
上和田の田んぼ、青々と伸びたひこばえに固い粒が付いてい
た。柿畑には柿がたわわに実り、この先、小田町との境界付近
まで、内子町内は柿畑が多く、色づいた柿の紅葉がよい彩りを
見せていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/c6/a08a8f64fe66287e0e58ea6b173f4a6f.jpg)
夫婦で木を切って薪にしている家がある。近くの大瀬電話交換
局は谷間にあり、パラボラアンテナが南方の山上に向いていた。
15時を過ぎると、日陰は涼しくなった。明応寺や大瀬郵便局
のある成屋集落は、狭い通りに旧街道らしい家並みが続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b6/e33df4860b32bc662f416cacfcb83a0d.jpg)
県道241号を北に分ける河口橋バス停は、丸太組みの待合
室。近くに「曽我五郎、十郎首塚まで徒歩20分」の表示があっ
たが、暗くなりそうなので寄るのはあきらめた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/35/2923aa8bd5b96c3c7cda5ea833dad2c3.jpg)
日が傾き、コンクリート壁面に自分の影が長く映る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/7b/bdedae4fc8bb389caca23054c82efec2.jpg)
石積を過ぎると歩道は無くなった。川登の分校跡らしいところ
に、筏(いかだ)流しの里資料館があったが、ここも時間の関係で
寄らずに通過する。
千人宿大師堂のそばの、柿の葉がきれい。楽水大師堂前の
小田川カーブ点には、筏流しの里の写真が貼ってあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/06/0ad7c6cf4db8bf8e94315cd39df955d0.jpg)
付近の斜面の柿畑も、柿色の紅葉がよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/37/c26357b0fd17402c15767a1a86a2769d.jpg)
小田町に入って間もなく、田渡川を渡ったT字路の向こうに、
今日の宿、さかえや旅館があった。17時18分に着いた。
埼玉に比べ日没がかなり遅い。快晴だったこともあり17時
過ぎまで明るく、経度の違いを実感する。
遍路宿らしいひなびた旅館。急階段を上がって2階の部屋に
入る。風呂は、脱衣所と洗い場と浴槽の間に仕切りがない。
2階のトイレは方形でなく変形の落とし便で古色蒼然。でも、
おかみさんが「けんちゃん」と呼ぶご夫婦は仲が良さそうで
適度な話好き。
夕食は、地元産だという里芋、シュンギク、椎茸などの煮物と、
サンマ焼き、アジ焼き、卵とじうどんなど盛り沢山。食べきれ
ないので、サンマ焼きは朝食に回してもらうことにした。食後の
デザートは、やはり柿だった。
この宿の名、へんろ地図には、「徳岡旅館(さかえや旅館)」と
なっている。聞くと、著者の宮崎さんが、姓の徳岡も旅館名と
したようで、表の看板どおり「さかえや旅館」が正しいとのこと
だった。
夕食後、おかみさんに、明日のコースのことを聞き、明後日の
距離のことと考え合わせ、明日の宿を国民宿舎として、予約した。
宿の室内からは携帯は通じず、そばの橋の上から電話する。
21時前就床、部屋には暖房が無く寒いが、布団は暖かかった。
〈コースタイム〉内子駅13:15ー道の駅14:00ー石浦バス停14:40ー
へんろ無料宿15:00~10ー大瀬郵便局15:54ー千人宿大師堂
16:14ーさかえや旅館17:18
(距離 15㎞、地図(1/5万〉大洲、久万、歩行地 愛媛県内子
町、小田町、歩数 26,600)