病気で寝ている時に、見舞客に困ることがある。
苦しい最中に、「大丈夫か!」「ここにいるぞ!」と、枕元で騒ぎまくる人がいる。終いには「日頃の心がけが悪い!」「療養態度が悪い!」と、説教まで始める。
本当に病人を案ずる人は、「何かあったら言ってくれ」と、頼まれるまで静かに待機する。そして、頼まれたら黙って行動する。
病人の枕元で騒ぐ人は、自分も、声をかけてもらいたい人であり、何をするにも、独りで生きられない自分のためだ。
国も人となりと同じだ。日本で起こった「大事件」に、各国各様の反応があり、日本以上に大騒ぎをし、終いには、日本政府批判まで始める国もある。
後が怖い
人も国もさまざまの、感性があるわけで、どんな態度も、有り難い。
有り難いが、見舞いを受けるには、それぞれ配慮が必要になる。
怪我や病気に駆けつける人の中には、頼みもしないのに、病床で大騒ぎをした挙げ句、後々「世話をしてやった、してやった」と吹聴するばかりか、「おまえには貸しがあるだろう」と、事あるごとに様々な要求をする人がいる。
阪神大震災の時、暴力団が炊き出しをしたが、これについての評価は様々だったように記憶している。
あの時、暴力団に何らかの魂胆があったとは思わない。
心から、被災者の役に立ちたいと思っていただろう。
しかし、「渇しても盗泉の水を飲まず」という言葉もあれば、「武士は食わねど高楊枝」とも言う。
いかに善意であっても、誰からでも無条件に受け入れて良いものではない。後の災いということもあるからだ。
日頃、揺すりタカリを生業とするような人なら、なおさらだ。
やっかいな人ほど、優しそうな顔をするのが世の常だ。
ところが、このやっかいな人の親切は、断るのが、またやっかいだ。
「てめえ、オレの酒が飲めねのか!」と、逆ギレされる。
阪神大震災の時、国を挙げて「ざまー見ろ」と言った国を、ニュージーランドのように、体よくお断りをする方法もあるが、それができないなら、腹を決めて太っ腹で受け入れる道もある。
真心のこもった「貧者の一灯」として有り難く受け入れ、もし、後に請求書が来た時には、「鯛を釣るためのエビ」であったと解釈して、相手にしなければいい。
ところがどうも、一人っ子日本は、良い子になりたいお人好しの
「おぼこ、ぼんぼん」で、何度でも押し売り被害に遭う痴呆老人のように、悪徳業者のカモになりやすい。