魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

上品国(2)明日の日本

2011年03月02日 | 日記・エッセイ・コラム

ネットを使った受験不正。いつまで騒ぐつもりなのか。その気になれば1時間で解決することを、何日も掛けて大騒ぎする。それこそが問題であることが、さらけ出されている。

想定可能で単純な事件。それを、時間を掛けなければ解決できず、大騒ぎをしている。民主主義の短所を集めたドタバタ喜劇だ。
これこそが、日本の衰退原因であることを、よく表している。

子細で複雑なルールに囚われ、想定マニュアル外のことに、何一つ対処できない。
社会のあらゆる場面で、起こりうることに「想像力」が全く無い。
無見識なメディアが、どうでも良いことを騒ぎ立てる。

入試不正も、就職難も、入り口と出口で、全く同じ問題だ。
日本は、産業革命パラダイムの規格大量生産に合わせて、完全にシステム化してしまった。
大成功をもたらしたシステムが、新興国の模倣システムに生産を奪われた今、日本全体を覆い尽くした巨大システムを、解体処分できなくなっている。何とかもう一度、稼働させる方法ばかり論じられている。

入試から、新卒一括採用まで、日本の大量生産システムに合わせた制度は機能しなくなり、大企業そのものが、新興国移転のための外国人採用に転じている。
就職の手段と化した入試の、その先の就職展望がなければ、入試に厳粛さが失われるのは当然のことだ。

明日の日本
教育改革も、単純に、ゆとり廃止の詰め込みに向かうが、この時代錯誤に誰も気づかない。詰め込み教育で得られるものは、産革パラダイム用の高品質部品だ。
産革パラダイムに都合が良いからこそ、新興国の成績が向上している。

ゆとりの問題は、ゆとりの使い方にあったので、もう一度詰め込んで、ガムシャラ硬直人間をつくっている時ではない。
大学生が分数ができないことが問題なのではなく、大学に行かなければ一人前と認められない社会が、無用な大学生を生むので、教育の目的と制度の改革の方が先なのだ。

分数ができなくても、リーダーシップや創造力を発揮できる人もいれば、思いやりや行動力に満ちた人もいる。
逆に、今の日本のこの事態を招いたのは、詰め込み競争を勝ち抜いてきた大人ではないのか。

これからの日本の教育に必要なものは、企業を動かす人間より、
生活をするとはどういうことか、どうすれば食って行かれるのか、
人としての原則を体得させた上で、そのために必要な手段を教え、創造力の訓練をする。そういうことの方が重要だ。

あらゆる職業の中から自分に適した職業を探し、そこから、訓練や学習を積んでいく。もちろん、学問が一番適しているなら学究の道に進めばいい。
職業の貴賎意識がなくなった日本が進む次の社会は、あらゆる職業が、誇りと収入を求めることのできる社会だ。

産革パラダイムの大量生産のためだけに、子供が選別される社会から、早く足を洗わなければ明日の日本はない。