魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

陸奥常陸

2011年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム

大津波に見まわれた地域は、1000年前にも見まわれていた。
いずれの集落も、様々な歴史を重ねながら、1000年以上も営みを続けてきた。
その間、幾たびも津波に見舞われながらも、集落は同じ場所にあった。

津波学者や地質学者が、異口同音に、
「復興の町作りには、子孫のことを考えて、高台に再建して欲しい」
と言っていた。

住んでいた人には、歴史や愛着もあるだろうが、豊富な知識のある現代なのだから、もうこれ以上、危険な土地に住まいを再建しないで欲しい。切にそう願う。

危険な平地は、農地や工場など、再建可能な用途にして、生活の場は高台に移せないものだろうか。
そうすれば、あえて、防潮堤などつくらなくても、最低限、命と文化は守られるし、経済機能もいいはずだ。

こんなひどい大災害なのだから、東北一丸になって、日本最先端の、機能的な「国」を、一から築いて欲しい。

復旧ではなく、興域、興国をして欲しい。

原日本の故郷、人も景色も美しい東北・・・この先は涙が出る