魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

無責任

2011年03月31日 | 自動車人間学

東電の清水正孝社長が入院した。また、シャーシだ。
自動車人間「シャーシ」は、過剰に責任を感じるが、責任の取り方が間違っている。
責任をとるとは、腹を切ることではない。死力を尽くして対応、対処することであり、その過程で死ぬ事をも顧みないことだ。

シャーシは自意識過剰のため、問題が起これば、問題を直視するのではなく、自分を見つめる。だから、自分の身体をどうにかする。
辞職したり、自殺したり、病気になったりする。

シャーシの有名人と言えば、
西郷隆盛は武士だから切腹したが、最近の政治家を見ると
偽メールの永田寿康も、元農水相の松岡利勝も自殺。
前原誠司外相は即座に辞任。安倍晋三総理は病気入院。
そして今回は、清水正孝東電社長が、事故が発生した時から病気で、ついに一度も謝罪することなく、入院した。

一連の経過の謝罪には、老いた会長が出てきて対応した。
清水社長はこれまで、あたかも敏腕経営者のように、あちこちに顔を出し、さんざん、もっともらしいことを並べてきた。
事故にまともな対応ができないのみならず、謝罪さえもできない。

上記の政治家達も、威勢は良いが、一度も謝ったことがない。
行き詰まれば、投げ出して、腹を切るか、病気になる。
そのことによって、西郷隆盛のように名誉を守った人もいたが、
持ち場を放棄して逃げるのは、自分がいかに責任を感じても、客観的には卑怯であり、無責任になる。
実は西郷隆盛も、好意的に色々と解釈されているが、決して責任感のある「熟慮」から出た行動とは言えないのではなかろうか。

清水正孝東電社長は、せめて、謝罪だけでも顔を出すべきではないのか、もし、会見中に心臓発作で死ぬようなことがあれば、少しでもシャーシ流の責任を取ったことになるだろう。
自ら現場に出向いて、放射能を浴びながら制御したならもっと良い。

そうでない以上。卑怯、無責任の叱責を逃れることはできない。

P.S.
清水社長は、13日に一度謝ったらしい。見落としていた。ただし、この段階では、まだ深刻さを認識していなかったようだ。