魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

脱出装置

2011年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

始めて旅客機に乗ったとき、パラシュートが付いてないことを不思議に思ったことはないだろうか。

パラシュートは、飛行機に非常事態が起こった時のためにある・・・そう思っているのに、飛行機にパラシュートが無いと言うことは、最後の非常手段が無いと言うことだ。

飛行機会社にすれば、「お客様を、そんな危険な目に遭わせるようなことは”あってはならないこと”ですから、万全の対策をこうじております」と言うかも知れない。
乗る側は、何となく「そんなに安全なんですかあ♪」と信頼して乗っている。

確かに、自動車の事故率より遙かに少ないかも知れないが、一年に何回か、世界のどこかで、少なからず死者が出ている。
今でも、飛行機に乗るのは「ギャンブル」だ。

パラシュートのない旅客機に、一度乗れば、一蓮托生、いざというときは、みな、行き先変更のパックツアーだ。
客は飛行機会社に「非常脱出装置のない飛行機なんか乗らない」と、言えば良さそうなものだが、そんなことを言えば無知な野蛮人と思われそうで、誰も言い出さず、飛行機会社の言いなりになっている。

中には少しでも安全なファーストで、と思う人もいるようだが、死ぬ時はファーストも貨物も同じ事だ。(案外、エコノミーの最後尾などが助かっている)

システム社会、システム災害
産業革命パラダイムの現代人、殊に日本人は、システム社会で暮らし、自分が勝手に判断するより、システムに従う方が安全だと思っている。そして、システムに従わない人間を日頃から駆除する。
「空気が読めない」「前例無視」「傲慢」「非常識」・・・
こうして、閉塞社会を生み出した。

その閉塞システムを全部ひっくり返したのが、この大災害だ。
1000年の大津波が、想定の防潮堤を乗り越え、想定の避難所を押しつぶし、想定の原子炉安全装置を根こそぎ破壊した。
大津波から助かったのは、指定避難所を見限って、自分の判断力(=人間力)で逃げた人達だった。

想定外のことは起こるのだ。
日本人は、素直に正直に、飛行機会社を信頼して、日本ジャンボに乗っている。飛行機がダッチロールを始めても、慌てず騒がず、シートベルトをして座っている。その冷静な自制心が世界中から賞賛されている。
機長は、飛行場に帰る事だけを考えて懸命に操縦している。海上に不時着する事は考えていない。そうしているうちにも、次々と悲観的な情報が入ってくるが、今更騒いでも仕方がない乗客は、歯を食いしばって耐えている。

でも、もし、無事生還できたら、孫、子の代まで言い伝えよう、
非常脱出装置のない飛行機には乗るな・・・ と

「脱化石、脱原発で、真のクリーンエネルギーを~!」

今回見舞われている惨状は、「確率外の、やむを得ない結果」と言って済む問題なのか。
システム社会より、ソフト社会。知恵が生きる人間力社会をつくろう。