魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

中国は兄

2010年04月01日 | 兄弟関係

韓国の何でも「韓国起源説」には、日本も中国もネット中心に、驚き呆れ激怒している。あまりにも荒唐無稽だったり、端午の節句ユネスコの無形文化遺産登録のように、詐欺まがいのやり口で、他人の文化を盗み取っていく執念には、言葉を失うばかりだ。

この30日の中国の新聞は、この韓国の姿勢にむしろ「敬意を払うべき」だとした。

腹を立てるより、一つのギャグとして楽しみ、同時に、物作りだけでは尊敬されないと気づいた韓国が、「何としてでも」文化の輸出国になろうとしている姿は、我が国も見習うべきだ。と、論じた。

中国では何があっても、すぐ「学ぼう」と言う結論になる。
発展途上国として国民を啓発しているのか、「学成りガタし」の教えに忠実なのか、「学問の喜び」という、自分の向上に関心を持つ、いかにも長子らしい態度だ。

韓国のように、何でも競争相手を求めて大騒ぎをする概念のない中国や、日本にすれば、韓国の動機が良く解らない。
「いったい、何をしたいんだ?」と呆れるばかりだ。

でも、放って置くと、いつの間にか、何でも自分の手柄にされている。
不愉快だが、長子には競争心がないから、対処法が解らない。
そこで、結局、「そうか、そういう方法もあるのか」と感心し、
「う~ん、なるほど、こういうこともよく学んでおこう」と、また自分の中に籠もることになる。

長子中国はそういう形で末っ子朝鮮の、やんちゃと無節操を大目に見ることで自負心に籠もり、一人っ子日本は、しばらく離れておこうと平安に籠もることになる。

中国が韓国について「敬意を払うべき」と言う少し前に、日本は「韓国を見習おう」と言い出した。

やはりここでも、中国長子、朝鮮半島末っ子、日本一人っ子の図式が成立したようだ。