魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

気高さで

2010年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

30年ぐらい前、舞踊関係の人で、ナチスドイツがパリに侵攻した時、パリにいたという人に会った。80歳ぐらいの人だから、1940年なら40歳前後と言うことになろうか。

詳しい話を聞きたいのだが、酒の席のうえ、何しろその人はホモで、何を聴こうとしても、こちらにばかり興味を持って、適当なことしか答えない。話したく無かったのかも知れない。そのうえ、横にいる伴侶が牽制するので、早々に退散した。

聴きたいことはいっぱいあった。その時のパリの様子、どうやって日本に帰国したのか・・・知識的には、ある程度知っていることでも、体験者に話を聞けば、多くの発見がある。

子供の頃、写真誌で見た多くの写真は衝撃だった。アウシュビッツのガス室に送られる人々など、戦後、多くの非道が暴かれ公開された。
パリ解放では、ドイツ軍に協力した女として、群衆の中で丸刈りにされ裸にされた女性が写っていた。
雨の泥沼を行く日本軍の後を、たくましく追う女性達の写真も多く見た。

今では、ネットで簡単に見ることができるが、写真で見た光景や、体験者の話と、現在の定説になってる話とは、どうにも、つじつまが合わないことが多く、ますます、歴史というものは鵜呑みにできないと思うようになった。

歴史に善悪はない。あるとすれば、人間の愚かしさの足跡ぐらいだ。
歴史を口実に人を裁こうとする人間は、自らの愚を隠すために、他を非難すれば、自分が浄化されると勘違いしている。

だから、他国の歴史を誹謗する人達ほど、自らに隠したいことが多くある。
確かに、日本の近代史は、誇れるようなことはないのかも知れない。
しかし唯一、日本が誇れるとすれば、他国を誹謗しないことだ。

どんなに罵られようと、理不尽な要求をされようと、これから先も、日本は他国を誹謗中傷しないで行きたいものだ。
誹謗に誹謗で答えれば、同類になる。