魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

でくの坊

2011年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム

このところ、年の瀬で少し疲れたのか、書く気がしない。

ただ、一つだけ、
サッカーの新ユニホームは一体、誰が考え、誰が決定したのだろう。
「絆の一本線」
聞いた時、まさか、あそこにあんな風に配するとは思わなかったので、見た瞬間、「うそだろ」と、のけぞった。
本当に、これで試合をするんだろうか?

このところの日本サッカーは、「夢を越えた」ぐらいのワクワクだったので、「何の罰ゲームだ?」と、ワケが解らなくなった。
ユニホームが試合するわけではないし、試合が始まれば、選手はそんなことは忘れているだろうが、着衣は人の心理に影響する。

「絆」だから「一本線」という発想もオヤジなら、太いファースナーみたいな、ど真ん中の縦線も、着想した人の生い立ちまで想像するぐらい不毛だ・・・不毛だ、 もう一度、「不毛だあ

しかし、ここまでのナンセンスは、むしろ、横尾忠則なみの斬新なのかも知れない。とも思う。
センスは人様々だから良いとしても、
一体、試合中の影響力は、プラスなのだろうかマイナスなのだろうか。

試合の最中、動き回る「棒」は、パスの目安になって良いのだろうか、それとも、ペナルティーキックで、狙われやすくはないだろうか。
見方に有利で、敵に不利になるデザインであれば、それは、スピード水着以上の、画期的な智恵だが、不利になるようなら、「でくの棒」だ。

試合運びを考えた深謀ならガマンするが、もし成績が下がるようなら、それは、選手のせいではない。「でくの棒」の仕業だ。


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