小池百合子、橋下徹、中国と聞いて、何かの共通点を即座に理解した人は、何らかのプロか、このブログの愛読者だろう。そう、カニ座だ。
カニ座は第4室、天宮図の最も下の天底に位置し、人間が他者に目覚める幼児期を表す。家族や祖先、近所や祖国の「根っこ」であり、ナショナリズムの根源だ。
また、カニ座は月であり、反射によって輝く。月は母性の象徴だが、母子こそが他人の始まりであり、しかも、相互に照らし合う、自他の曖昧な人間関係だ。
母性のカニ座は、他者を守らなければならないと思い、母が我が子を抱きかかえるように囲い込む。相手を束縛し、自分の世界以外、何も見せないようにする。カニ座の男が束縛しない女は本気の相手ではないし、カニ座の女は、男を自分色に染めようとし、自分も染まりたいと思う。ペアルックを好む人も多い。
冒頭の三者は、人と国だが、国は人と文化で成り立ち、人と同じ姿になる。人も国も定義の曖昧なものだが、曖昧ながらも、それなりの個性がある。
では、中国と小池百合子の共通性は何だろう。
小池は、時の勢いに付き従うコバンザメとして政界を渡ってきた。そして、サメ同士が共食いをして弱体化したとみるや、牛に乗って来たネズミのように、ポンと飛び降りて、先頭の座を奪ってしまった。
中国も、徹底的に先進国を利用して模倣し、欧米が混乱したとみるや、自分こそがリーダーであると振る舞おうとしている。
思い起こせば、橋下も有力者に愛想を振りまいていた。
カニ座は模倣の天才と言われる。太陽の光で輝く月は、光源を必要とするが、太陽の光さえあれば、自分が太陽のようなつもりになる。親に保護された子供は、大将のような顔をしている。
お笑いもカニ座の世界だが、突飛な個性芸術とは真反対の、「そうそう、あるある」と思わせる、既成概念をくすぐる芸だ。
工業であれ文化であれ、現在の中国の態度を観ていると、古代中国の四大発明の名誉も、実は、他者から奪ったものであることを確信する。
では、カニ座には主体的な能力が無いかと言えば、この鏡の能力こそが、他者のマネできない個性であり、何者をも自分のモノにしてしまうブラックホールの恐ろしい力を持っている。今や、中国はさも指導者のように振る舞い、小池は民進党を丸呑みする気はさらさらないと、高飛車に言い切った。
小池新党は「希望の党」だそうだ。「希望」は水瓶座のもので、既存のものを守ろうとするカニ座とは全く相容れない。しかし、中国が、自分の言動とは真反対の立前で、他者を攻撃する空々しさこそ、カニ座の抜け目ない実利主義だ。言葉と本音が乖離するのは表裏の関係にある山羊座とも通じる。好色なカニ座は、言葉では「いやらしい」「なりませぬ」と言いたがる。(山羊座はこの方面ではむしろ前向き過ぎるが)
一般に、国際感覚のある人ほど、日本語を大切にする。国際感覚は充分あるはずの小池のカタカナ語の多用は、国際感覚からではない。カニ座の習性、本音のカモフラージュだ。
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