魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

この程度(2)

2014年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

日本外交の歯がゆさから、クリミア情勢に対する素朴な思いを書いてしまった。書きながら、事はそう単純ではないことも解っていたから、かえって短い内容になったが、やっぱりもう一言。

クリミアやコソボが突きつける世界史の複雑さは、二千年、蓬莱の極楽島で暮らしてきた日本人には、理解できない事なのかもしれない。
これらの問題は、国とは何か、民族とは何かという、誰でも解っていると思い込みやすい、仮想現実だからだ。

蓬莱島の日本人は筋道論に陥りやすい。
縄文弥生、源平合戦、南北朝、豊臣徳川、勤王佐幕、右翼左翼・・・
二極化認識の、二者択一で考えていれば、日本は治まった。コップの嵐に飛び込んでくる第三者はいなかった。
争いに疲れたら、道理や筋道で事は収まった。

しかし、騎馬民族がなだれ込んでくる大陸、あるいはその余波を受けたヨーロッパは、道理だけでは収まらない現実を体得している。
筋道論の立前とは別の、力の現実が本音であることを知っている。
筋道論は、本音を隠して本音を追求するための、魔法のランプだ。

「酒は百薬の長」は、酒が健康をつくるのではない。酒も薬の一つであるという意味だが、日本人はともすれば酒に頼り、深酒をしやすい。
まじめに酔っ払うのだ。そして、周囲は酒の上のことでは済ませてくれない。

立前の筋道論
クリミア住民投票の不当性を表現する例え話として、
中国が尖閣に中国人を送り込んで住民投票をさせれば中国のものになるではないかとか、北方4島で住民投票すればロシアのものになるという人がいる。

一見、理にかなっているが、歴史、土地、住民が全く違う。仮に中国が沖縄を占領して住民投票をしたとして、沖縄住民は喜んで中国帰属に投票するだろうか。断言はできないが、考えられないことだ。
クリミアやバルカン半島の、歴史や住人を見れば、本来、誰のものなど、とうてい言えない。

アジアとヨーロッパのせめぎ合うような土地に、近代国家の線引きなどとてもできないし、島国日本人の感覚で考える道理など意味が無い。どういう経緯であろうと、現実にそこにいる人々のものと言うのが世界の本音だ。
それを百も承知で語る国際法が外交だ。理屈だけでは通用しない。

本音先行の人たち
どこにでも進出する中韓などの大陸人は、何よりも、先ずは本音から始まる。理屈は後でついてくる。
日本が大陸人に歯が立たないのは(だから嫌うのだが)、あらゆる手段で、まず既成事実化した上で理屈を語り出すから、筋を通して事を行おうとする日本人は、始めから劣勢に立たされる。
ことに日本人が理屈っぽくなった近年は、この傾向にある。

中韓がアメリカで反日を行うのも、アメリカが本音人間の集まりでできた国だと知っているからだ。住んでいる者の国がアメリカなら、住んで乗っ取ってしまえばそれが自分の国になる。反日の動機の一つには、日本は乗っ取りができないこともある。

日本で、中国人より朝鮮人が乗っ取りに成功しているのは、中国人の自尊心は揺るぎがなく、どんな場合も中国人であることを捨てないからだ。韓国人が二言目には言う「自尊心」は、それだけ自尊心が無いことを表している。いつでも捨てたり拾ったりできる。

パージ
インデアンを蹴散らして打ち立てたアメリカは、立前の法治の裏では、腕力と金とハッタリが支配している。現実に居座った人間が支配する国であるならば、欧米人よりも、大陸アジア人の方がよほどウワテだ。

暗にそれを恐れたアメリカは、何度か東洋人を閉め出そうとしたが、人種差別の自縛に絡まり、むしろ、積極解放の方向にある。
アメリカに進出しない現代日本人が、アメリカでの中韓の反日に対抗するには、在来のアメリカ人に、中韓などの大陸アジア人が、悪意でアメリカを乗っ取ろうとしていると印象づけるのも、一つの方法かもしれない。


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