魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

近頃の正月って

2007年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム

何で正月を祝うのか。近頃何で正月が「うすい」のか。これは案外、重大な問題だ。

年の初め」でも話したように、正月は人為的に決めたものだ。社会の形は時間と空間の取り決めから始まる。自分たちのテリトリーと時間の尺度を決めて、みなが同じリズムで社会活動を営む。
その中で、正月は、時間を共有する同じ社会の人たちがルールの再確認をする時であり、価値観や仲間意識を確かめ安心する時だ。だから、みなで正月を祝えば「よかった!」と思えて「めでたい」わけだ。

社会にはみなが共有する信条=神話が必要だ。
ともに仲間であり、運命共同体であり、ルールを守っていこうとする動機の共有だ。アメリカの神話は「自由の国」であり、日本は・・・う~ん、多分「神と仏の国」なのだろう。
自由とキリスト教の国アメリカがクリスマスを盛大に祝うように、日本では除夜の鐘を聞き、初詣をする。

どの社会も、形や時期は違っても、正月は社会の神話を確認する時として、様々な理屈をつけて日常とは違う行動をとるわけで、大きな祭りであることには違いない。
暦は宗派を越える信仰(仮想概念)に基づくわけで、新年を共に迎えることは、既に一つの宗教統合の枠の中に入っていることになる。

近年、日本の正月が「うすく」なってきているのは、「日本教」が消えつつあることであり、そのことは、日本の社会のルールやモラルが崩壊していることを物語っている。
元日から店が開き、門松の代わりにライティングで飾り、初詣はせずに海外で過ごす・・・。

もともと、旧正月を祝わなくなった時から農耕日本の正月は消え始めていたが、今や、初詣はにぎわっていても、クリスマスと同格のセットとなり、正月の意味は完全に消えている。


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