魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

素人考え 2

2020年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム
緊急事態宣言が全国に拡大。マスコミは大騒ぎしているが、「いまさら」だ。
感染者数が急激に増えていると言うが、「投票の終わった選挙」の開票報道のようなもので、一喜一憂する話ではない。開票速報(検査)が始まっただけのこと。
「○○候補が票を伸ばしています」と言っても、とっくに結果は決定している。

中国観光客が来た時、既に投票は終わっていた。帰国者の感染は、期日前投票の加算に過ぎない。
日本の後手後手のコロナ騒ぎは、テレビの選挙特番が始まったら、選管が投票箱をなくしたと大騒ぎで伝えている、次から次のドタバタ劇だ。

2ヶ月も過ぎて、「感染を増やさないために」とか、「径路不明の感染者が増えた!」とか、あたかも現在進行形のように、大声で騒いでいるが、もう、「あなたも私も感染者」だ。
「クラスター」などと、この政府、得意のカタカナ語で曖昧にしているが、「ベースロード電源」と同じで、実態を隠す「猫だまし」だ。

一番確かなことは、死者は検査済みだから、死者数だけが信頼の置ける数字だ。
「増えているゾ、拡がっているゾ」の、オドロオドロしい声と関係なく、巷はとっくにウイルスで満たされている。増えているのは調べた数であって、報道も感染者「確認」数と発表している。
ここで念頭に置くべきは、感染者数=発症者数ではないという事で、死者数が増えないのに、「感染者」の大声で、不安ばかりが拡がり、「ワタシもオレも」と医療機関に飛び込み、ますます、医療崩壊の危機が拡がる。今頃になって、軽症者を受け入れる施設が出てきたが、真っ先にやるべき事だった。

緊急事態宣言の意味

とっくに、感染は拡大しているのに、それでも、接触を抑制する意味は、感染のループを断ち、無症状者各自のウイルス撲滅と免疫獲得を待つことで、感染抑止よりも意味があるのだろう。
しかし、もしかすると、結核風土の日本人には、潜在的抵抗力があるのかも知れない。とすれば、外国のような厳格な封じ込めは、もともと不要なのかも知れない。
韓国のように準備ができていたわけでもないし、台湾のように完全シャットアウトしたわけでもないのに、この少ない死亡者数には、もちろん日本の医療レベルと、国民の清潔意識の高さもあるだろうが、何らかの隠れた根拠があるに違いない。
それでも、過剰な予防策は、至らないより優れている。
一月、家に閉じこもるのは、悪いことばかりでもない。追われる時間から離れて、様々なことをゆっくり振り返ってみる、「心のホリデー」と考えれば、楽しいかもしれない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿