魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

甦れ騎馬民族(3)

2009年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

寄り合い所帯の日本人には、農耕民と遊牧民の血が流れている。
日本人が単一民族だといった、勘違いをしている人たちもいるが、日本人が優秀だとすれば、むしろ、雑種だからだ。
古代アメリカ(1)

優秀の定義は解らないが、日本人の意外な適応力は、雑種の万能性にある。凝り固まった一つの型に収まっているように見えて、その中に万能のDNAを秘めている。

せっぱ詰まると、意外な解決策がどこからともなく現れる。
もっとも、その、せっぱ詰まる原因をつくるのも、また日本人だ。
一つうまくいくと、現実を無視して、その道を際限なく追求する。

最大の失敗は戦前の軍国主義だが、
その後も、ブラウン管テレビでうまくいくと、フラットテレビを造り出す。ウォークマンが当ったら、何でもかんでもウォークマン。ガソリン車が売れたら、何とかハイブリッド車で生き延びようとする。

ハイブリッド車が、あくまで、とりあえずの策であったことを自覚しなければ、日本の自動車産業はこれで沈没する。
フラットテレビで自滅した、SONYの轍を踏むことになる。

産業革命の大地は枯渇した
新天地を求めて移動しなければならない。
甦れ、騎馬民族のDNA

自動車は「移動手段のあり方」から考える時だ。
人間はなぜ移動するのか・・・

自動車は、アメリカの荒野を移動する幌馬車を引きずった乗り物だ。
狭い日本に鉄道が向いていたように、狭くなる地球には、ハイウエイより鉄道を幹線にする方が合理的だ。

例えば、移動ボックスのまま幹線鉄道に乗るなど、個人移動と幹線大移動を組み合わせた移動システムなど、新コンセプトが必要だ。

エネルギーは、「個別発電」を前提とすれば、ダムや原子力など大規模発電、大送電インフラは要らなくなる。

世の中全体のしくみを、「ゼロから考える発想」が、今ほど求められている時はない。

無限の荒野に走り出せ。ニッポン人・・・かな


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