魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

冷徹の時

2022年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

1949年、国連はイスラエルを加盟承認した。3000年前の伝承を根拠に自国と定め、現住民と争いながら建国宣言した国を、国連が承認したのだ。今のウクライナのクリミアやドンバスを承認したようなものだ。国連の一方的な判定には、ユダヤ人の壮絶な悲劇に、世界が同情していたことが大きい。
今日まで続く中東の混乱は、欧米の植民地主義と国連の情緒的判断が尾を引いている。

悲劇を目の当たりにすると、世界は判断を誤る。ウクライナは絶対的な被害者で、ロシアは絶対的な悪と決めつけて判断すると、歴史に大きな禍根を残すことになる。
日本には嫌韓ムードが満ち満ちているが、嫌韓でありながら、ウクライナに一方的な応援をしている人は、一面的な感情でしか考えられない人だ。もちろん、この意味もわからないだろう。そして、世界には圧倒的にそういう人が多い。国連も例外ではない。
今も、世界中でロシア人叩きが起こっている。コロナが広がるとアジア人叩きが広がり、真珠湾攻撃で、日本人は問答無用で収容所に送られた。

ウクライナの悲劇で、「被害者」ゼレンスキー大統領のSNS的演説に感動する国会議員やマスコミは、ウクライナの正義ありきだ。
麻原彰晃の言葉に感動したエリート達は、「素晴らしき尊師」ありきで、自分たちの持てる知識を駆使して麻原の言葉を合理化し、素晴らしいお言葉と解釈し、心酔した。
情緒による「思い込み」に従えば博識のエリートといえど、冷徹な判断ができないことを物語っている。
ゼレンスキー演説がいかなるものであるかも判断できない政治家は、突然、キエフをキーウに変更し、チェルノブイリをチョルノービリに変えた。これ自体は問題ではないが、情緒に駆られていることが問題なのだ。

状況を配慮せず、願望だけで無自覚に挑発し、結果的に戦争を招き、多くの犠牲者を出した後で、妥協案を出し、あげく、中国を加えた安全保証枠を求め、残酷な戦場に怒り、停戦交渉を拒否し、国連をなじる。言動に嘘はなく、全くその通りなのだが、これは政治家のすることではない。
定見のない名優に、感動、賛同して、盲動する人々の意見で、世界の枠組みが決まっていくとしたら・・・
同じ事はバイデンのミス演説にも言えるが、悲劇の現場の声にはインパクトがあり、誰も反論できない。
こんな状況で生まれたのが、今も混乱する安保理や、中東問題ではないのか。

今こそ、エリート達は冷徹になる時だ。
映像の世紀、加古隆の「パリは燃えているか」を聞きながら考えて欲しい。
今、何をすべきなのかを。


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