魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

不孝孝行

2019年07月06日 | 兄弟関係

先日、「介護兄弟」で、弟妹の世話になるのは考え物だと書いたばかりだが、その後、また、こんな話を聞いた。
姉と弟の40代の姉弟。70代の母親が一人暮らしになったので、東京にいる弟が、自分が面倒を見ると連れ帰った。母親は夫が亡くなったばかりで、呆然としており、弟にしたがった。姉も市内に嫁いでいるが、遠くで毎日は面倒を見られないので、弟の積極性に任せた。
すると、3ヶ月もしないうちに、弟から、母が痴呆になったと連絡が入り、医者も認定しているという。

東京に行くまでは、全くそのような徴候はなかったので、驚いた姉が、東京に行って見ると、弟は共稼ぎで昼間は留守、子供達も学校や仕事で、帰ってこない。母親は見ず知らずの土地で友人知人も無く、出歩く術も分からないので、毎日、独りで家に閉じこもった状態でいた。その上、痴呆を疑った弟夫婦に、連れて行かれた医者に、痴呆を認定されたので、痴呆老人として、さらに、外出を禁じられている状態だった。

確かに、姉と会っても、すっかり無口で、何も話さない。
姉は、弟から聞かされているので、こんなものかと思ったが、出てくる前に、格安で手に入れた大島紬の古着を、母親に見せようと持ってきていた。出して見せると、突然、
「わあ!これ、私が着るわ!」 と言うなり、帯はあれを使って、これこれの時に着て行けば良いとか、饒舌に話し始め、弟一家は子供まで、あっけにとられてしまった。
誰もそんな姿を見たことがなかったからだ。
その後、母親が実家に帰って見ると言うので、弟から姉に、電車に乗せた時間と車両を事細かに連絡してきたが、姉が迎えに出ると、母親は自分で荷物を持って下りてきた。

知る限り、たいていの痴呆症とされている老人は、こんなものだ。
確かに老化はあるだろう。子が知る昔の親の姿ではないだろう。しかし、その異変に出遭ったとき、長子と弟妹では反応の仕方が異なる。
長子は「歳を取ったなあ・・・」と思い、
弟妹は「とうとう、惚けた!」と思う。
長子は親と対等で、良くも悪くも、いわば立場の違う友達のように感じているが、弟妹にとっての親は、親という存在、一つの役職のようなもので、社員から見る社長のようなものだ。

友達は、能力より人格を見るが、上司は人格より能力を見る。友達は能力が無くなっても友達だが、上司は能力が無ければ辞めて貰わなければ困る。
「介護兄弟」では、そういう、割り切り思考の弟妹をデジタルと説明したが、アナログ思考の長子は、親をそれほど敬っていなかった代わりに、能力が衰えても、「親」を辞めて貰おうとも思わない。境界がない。

もちろん、痴呆には重篤なものもあるが、ほとんどは環境次第で変化する。痴呆として扱われると、人として、どんどん劣化していく。多少の認知度が衰えるのは、生き物として当たり前のことだが、それに対し、至れり尽くせりや、行動制限をして、意思決定力を奪うと、一気に廃人になる。

痴呆のテストで、「今日は何曜日ですか?」、「昨夜は何を食べましたか?」などと聞いているのを見て、『おいおい、冗談じゃない!そんなこと、昔から分からねえよ!』と、呆れてしまった。現役でも、自由業や農業などは曜日を意識していないし、生活の乱れている人は、昨夜何を食べたかなど知ったこっちゃない。
何もしないで、家で話もしないでいると、曜日も食事も関心が無くなるのは当然だ。だからと言って、人としての能力を失ったわけではない。
もちろんそれだけで判断するわけではないが、専門家の判定が金科玉条ではない。

銭湯で、90歳ぐらいの人が、紙パンツをはいて服を着て、独りで帰ったのを見て、判断力を持てる暮らしをしているのだろうなと、感心した。
衰えと無能とは違うのだ。


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