魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

評判の先

2016年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム

金メダルの内村航平に、英国記者が「審判に好意的に見られているのでは」との質問が出て、僅差で銀になったウクライナのベルニャエフが「そんなことは無い」と怒った。これも、オリンピックの美談となったが、なぜ英国記者はそんな質問をしたのだろう。

もともと、欧州人は皮肉を楽しむところがあり、ことに、英国は陰謀やスパイが大好きだ。ハニートラップ事件も多く、007も英国だ。風刺記事もフランス人は明け透けに笑い者にするが、イギリス人は奥歯に物の挟まった言い方をする。今回の場合も、暗に、裏金が動いているのではないかと言いたかったのだろう。

なぜ、そんな風に勘ぐったのかと言えば、金持ちの中東や、東アジアの国では、オリンピックやサッカーでの、ドーピングや賄賂疑惑が後を絶たないからだ。
英国記者にとっては、アジアに区別は付かない。アジアは薄汚いことをする連中だという先入観が染みこんでいる。だから、今回のような接戦での勝利には、何らかの裏があるに違いないと確信したのだろう。

日本人としては、心外この上ないが、オリンパスで不当な扱いをされた社長も英国人だし、日本企業のブラックな経理体質が次々と明るみに出ている状況を見ても、欧米人から見れば、「やっぱり東洋は」ということになる。

この東洋観は、東洋を十把一絡げで「どう相手にするか」という目で見るから、中国だろうが日本だろうが、自分(欧州)の役に立つなら相手の気持ちなどどうでも良い。家畜を飼うのと同じ目で見ている。欧州人にとってはアラブは敵だが、東洋は敵でさえない。
友好的な付き合いをしているからと言って、勘違いしてはいけないのは、人は敵よりもペットの犬に対しての方が親身になって付き合う事を忘れてはいけない。
今の英国にとって、日本は可愛い犬かも知れないが、中国は役に立つ牛なのだ。

もちろん世界の人、個々は、色々な人がいるから、そうした偏見を超越した人は多い。しかし、総体的に見れば、人間は互いに偏見でしか相手を見ることができない。
増して、日本でも、今のメディアやその関係者のレベルを見れば、かなり低俗なレベルが目立っている。英国の記者も似たようなものと考えて良いだろう。

英独仏などの主要な欧州国が、中国の無法に対しほとんど無関心なのは、どんなに東洋でもめようと米中で衝突しようと、自分たちには全く関係がなく、直接被害がないからだ。中国を押さえ込んだり制裁したりするより、漁夫の利を狙って自分たちさえ儲かれば良いと思っている。ドイツは中国で車を売ることばかり考えているし、金融利権を狙う英国は真っ先にAIIBに参加した。元々、ポンドを凋落させたアメリカのドルは面白いはずがない。

ロシアを押さえるために、日英同盟を結んだ英国は国際貢献など関心がない。自分たちの都合次第で中国だろうが韓国だろうが媚を売る。
教養に溢れ、お洒落で上品な欧州人は、中韓のような下品な態度は取らないが、未だに東洋蔑視の意識が消えたわけではない。ダウントン・アビーやEU離脱も、懐古趣味の表れだ。

日本では、東洋の中で日本は特別と思っているが、上流階級の奥様は下男より犬を大切にする。
海外からの日本の評価を喜んでも何の意味もない。可愛がられる犬になって喜ぶのではなく、相手以上の広い視野と心を持って、逆に、相手に評価してもらいたいと思われる存在になることの方が大切なのだ。日本の意見を聞いてから考えようと。