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占いという もう一つの眼

養育環境

2016年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

俳優の高畑裕太が強姦で逮捕された。残念なことだ。
今回の事件で真っ先に思い出したのは、荒木一郎だ。母親が有名女優という共通点と同類の犯罪内容だ。
母親が有名女優で、恐らくは発言権も母親が握っているであろう家庭で育ち、本人も俳優をしていた。
犯罪内容は違うが、三田佳子の息子のケースもある。
また、息子ではないが、美空ひばりも弟で苦労した。美空ひばりも母親と一卵性親子と言われるほど家の中心だった。

こういう話しをすると、「やっぱり女が力を持つと、子供がまともに育たない」と言った意見が出てくるかも知れない。
しかし、母系社会提唱者としてハッキリ指摘しておきたいのは、これは、男性社会の中で母親が力を持ったケースだ。

前出のいずれのケースも、女性の大黒柱が、男の子を一生懸命育てていた。問題は、この「一生懸命」なのだ。
男性社会の中で女手で男の子を育てる母親は、「男でしょ」「男なんだから」と、偏って「男」にしなければならないと考える。それが、いつしか、「男なら何でもできる」ような感覚に変わってしまう可能性がある。
成長期に父親が関わっていると、男の弱さや責任も、自然に学んでいくが、その機会が無く、俳優などのチヤホヤされる立場になると、自制の意識が無くなってしまうのではなかろうか。

母親が力を持ち、女手で子供を育てる場合、もし、母系社会であれば、男の子に、無意味な「男」意識など植え付けない。男は、実質的に、ありのままの男であれば充分だ。
母系社会であれば、才女の子供に、今回のような不祥事は起こらなかったのではなかろうか。

有名人の子供の不祥事に、世間は喜んで親を叩くが、有名人は、それだけで一般人とは違う環境に置かれている。養育係がいれば別だが、男親女親にかかわらず、有名人の子育ては始めからハンデを負っていることを、理解して上げてほしい。