近年、古都観光の仕掛け「きもので街歩き」が、大人気で、日本人外国人を問わず観光客が楽しそうに、街をレンタル着物で歩いている。
しかし、和服の街、京都の人々は顔をしかめている。和服振興を呼びかけている京都の人がなぜと言うことになるが、トラディショナルな和服を知る人々にとっては、全くの常識外れだからだ。
およそ、和服の雅やシックの概念から外れた、柄行きと、着こなしで、和服のイメージを壊していると感じている。
日本の伝統衣装の和服だが、高度成長期を境に、この半世紀ほどの間に、徐々に着る人がいなくなり、和服産業は、ほぼ壊滅状態にまでなった。和服産業は裾野の広い産業で、一度途絶えると、復活は難しい。
日本人が和服で暮らしていた時代は、当たり前の事ながら、誰でも自分で着ていた。ところが、洋服で育った人が増えるにしたがい、和服の種類、TPO、小物の使い分けに至るまで、知る人がいなくなっていった。
着物を売ることは、一つの文化教室のような仕事となり、取り合わせから着付けまで、すべて呉服屋の仕事に変わっていき、ますます、日本人の生活から、和服が遠ざかっていった。高度成長期の着物バブルで値段のつり上がった着物は、バブル崩壊の1990年代にほぼ壊滅した。
なお、きもの、着物、和服、呉服は、同じものだが、呼び方を変えたのは、着物は広くは洋服も含む「用途」を表すが、和服は褌からはっぴまで含む日本の伝統衣類だ。現代人が通常意識する和服は、呉服屋で売っているおしゃれ着であり、これを敢えて「きもの」と呼ぶことにした。しかし、ひらがなで書くと読みにくいので着物と書いている。呉服屋で売っているおしゃれ「きもの」は、呉服でもある。本来、呉服は中国の呉から伝わった、絹織物のことを指していたと思われる。したがって、呉服は、厳密には着物になる前の生地、反物で、それを売るのが呉服屋だ。
ニューウェーブ
21世紀になり、高度成長からバブル崩壊と、熱気から覚めた日本では、伝統への回帰志向が強くなり、若者を中心に伝統衣装に目が向けられたが、価格的に手が届いたのは浴衣だった。この結果、浴衣が和服として広まり、文字通りのホームウエアが外出着として着られるようになった。いわば、街にジャージやパジャマが広がったようなものだ。
そうして、「きもの」としての浴衣が広まるにつれ、浴衣の自由な柄行きと洋服に慣れた現代の若者センスが融合し、浴衣といえども、派手な色合いや自由な帯使い、洋物との取り合わせによって、徐々に、新しい着物文化が芽生え始めた。古い形にとらわれない着物文化は、着物の歴史の中で幾度も大きな波を経験しているから、これはこれで素晴らしい伝統文化の創造だと思う。問題は、今流行の、きもの観光だ。
レンタル着物屋で着せてもらって街を歩く若者や、外国人は、伝統的な着物がどんなものであるかは、全く知らない。しかし、彼らが求めているのは、日本の伝統文化の体験であり、伝統文化の創造ではない。
観光客は、伝統の何たるかを知らないから、レンタル屋の勧めるままに着るのだろうが、その着物は、およそ伝統文化から逸脱している。
伝統産業としての着物は、生地も染色も自然素材だから、どぎつい色になりにくく、江戸時代の贅沢禁止令の影響もあって、全体的に、渋さが基調になる。
ところが、大正期のバブルと大正ロマンの開花で、着物もファッションが多様化したのか、銘仙のように安価な薄絹で、斬新なデザインとリバーシブルで、色柄を楽しむ時代があった。その後、戦争でファッションを諦めた世代の、和服への憧れから、高度成長期に入ると、一気に着物ブームが起こり、それも伝統的で高価な着物バブルとなった。
現在の着物の常識は、この着物バブルの頃の伝統的な江戸様式になっている。
チンドン屋でも着ない
その伝統的常識で見れば、観光客が着せられているレンタル着物は、異様な代物だ。派手な色合いばかりで、そのカラフルさは、銘仙の斬新なデザインとも違い、和服の自然な色合いが無く、まるで、カーテン地を着て歩いているようだ。
何であんな物を着ているのか理解に苦しむが、聞くところによると、やはり、あの手の生地で、大量に仕立てさせた業者がいたそうだ。
おそらくは、若者の浴衣感覚と、外国人の色センスから、レンタル屋で人気するのが派手な物ばかりであることに目を付けたレンタル業者が、「それなら」と、その好みに迎合して、しかも、安価な物を大量生産したのだろう。
客が喜ぶのならそれで良いかもしれない。しかし、それは「騙し」だ。これが日本の伝統だと思われたら、観光客も不幸だが、着物文化そのものが貶められる。
何も知らないで伝統を求める観光客には、「これが伝統和服です」と、半強制的にでも、和服らしい物を着せるべきだ。化繊でも何でも良い。色合い柄行きだけは、和の自然色、伝統的な和柄を基調にして欲しい。
着物姿の観光客が、古都らしさを引き立てるか、古都の景観をぶち壊しにするか、これは意外に重大問題であることに、京都市は注力すべきだ。レンタル業を着物業界が直接行う方法もあるし、京都市も景観条例の一環として、レンタル着物業者を認可制にすべきかも知れない。