魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

目を覚ませ

2010年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム

「♪マーメが欲しいかそらやるぞ」と、ハトが豆を、子供にまくと、「コーメがいいけどマメもいい」とバラマキ好きも参加した。
バラバラと音がするが、大丈夫だろうか、何か壊れる音かも

しかし、一方で
休暇の分散化案は、中身は解らないが良いことだと思う。
金がなければ知恵を出せ・・・
金がない時こそ、良い知恵が生まれてくる。
知恵は、どこでも生まれ、無限の可能性を持つ。しかもタダだ。

出勤時間をずらしてラッシュが緩和した。
高速道路を造らなくても、走り方のルールを変えれば、一銭も掛けずにスピードアップや事故を減らせる。
ホールを造らなくても、野原でイベントをやれば金と人が集まる。
CO2削減や少子化など、夜間放送を止めるだけで大幅に向上する。
金がかかると言われているもののほとんどが、ルールを工夫するだけで、まったく金が要らなくなる。

金を掛けなければできないと思っていることの、ほとんどすべてが、
金を掛けるシステムに乗ってやっているからだ。
知恵が出ないのは、金漬けで、ゼロから考える習慣を失っているからだ。

日本の停滞はハングリー精神が失われたからだという。
満ち足りると、原点を忘れる。
40年前。
中東のホテルでアメリカの若者が「ホット・シャワーがない!」と怒っていた。それを聞きながら、『シャワーがあるだけでも喜べよ』と思った。
20年前。
日本のオートキャンプの管理人が「夜中に、川のせせらぎの音がうるさいと、文句を言いに来る人がいる」とあきれていた。
既に、この時、日本人は40年前のアメリカ以上に、原点を失っていた。

それから20年間、日本は沈みっぱなしだ。
いまだに、目覚めていない。それどころか、原点を知る世代が現場から消えていくに従い、ますます衰退している。
挙げ句の果てには、ハングリーな元気者の韓国に習おうとまで言う。

「0」の原点から「考える」のではなく、「見習」おうと言うのだ。
マスコミ、政治家、財界までも、「マニュアル思考」しかできない。
本当に、おでこを叩いて「Anybody home?」と言ってやりたくなる。

金があるから「金銭思考」をする。金がなかったらどうするか。
橋がなければ渡し船。机がなければミカン箱。知恵と工夫があればどんなことでもできる。

愛の証がダイヤの指輪だと、初めから思い込んでいるようでは獲得の知恵は出ない。愛が何かを知ることもない。