魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

論語読み

2010年03月26日 | 占いばなし

先日も名前が出ない話をしたが(1192)、「情報占い」とも合わせて、実態を把握するポイントの話をもう一つ。

電話やカウンターでの相談窓口などで、説明訓練を受けた相談担当者と相談者が、かみ合わなくなることがある。
例えば
相談者「本人が入院しとって来られへんのや」
担当者「では、委任状をお持ち下さい」
相談者「そやし、それを持って来られへんのや」
担当者「ですから、委任状を書いてもらってください」
相談者「そやし、来られへん言うてるやないか#!」

ここで、担当者は相談者が「委任状」を理解しているか考えてみるべきだし、もし理解してないとすれば、具体的にどう説明すれば、相手に解ってもらえるか考えなければならない。

ところが、自分自身が、「委任状=まかせることを承諾証明する書類」と憶えているから、「委任状」と言っただけで、キーで打ち込めば理解するPCように、相手が理解すると思っている。
そして、それ以外の対応方法が用意されていない。

この場合、「では、ご本人があなたにお任せしますと書いた委任状をお持ち下さい」のように、委任状とは具体的に何をするのか解る説明をすべきなのだが、自分自身も本質的で具体的な意味を理解していないから、とっさに説明できない。

これは極端な例かも知れないが、世の中の優等生にはこういう人が多い。社会に出て現実対応の訓練をして、初めて一人前になるわけだが、それでも、どこまで行っても「本質」が解らない人がいる。
秀才から官僚、官僚から政治家、のようなコ-スを辿った人には、言葉は流暢だが、言葉や単語を用いない「現実」理解ができない人がいる。

占い的な理解は、全くこの反対だ。むしろ、言葉を捨てて、イメージ的に「本質」にせまろうとする。
しかし、占いを学習する時には、数多の単語が際限もなく出てくる。
本質を追究しようとした「古聖賢」の、表現努力のこともあれば、
どこまで行っても理解できない秀才が編み出した、無意味な単語の羅列であったりする。

現在でも、占いを勉強する人には、やたら専門用語を羅列する人が圧倒的に多い。中には鑑定中に専門書の難しい単語を見せて「ホレ、ここに書いてある」と、威圧しようとする占い師までいる。
占学の徒同士が、専門用語で話すのは解るが、占ってもらう人に専門用語でしか説明できないとすれば。要するに、本人も解っていない。

占いだけではない。有名人などの単語の言い間違いで、バカと判断する人は「本質」が何かを知らない人だ。スターバックスのコーヒ注文ができなくても、バカではない。