魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

マガサス

2009年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム

痴漢の捜査経験がある検事が痴漢をした。
一般には、理解できないことだろう。

こういうことが起こると、警察関係者から聞いた話を思い出す。
犯罪捜査をしていると、なぜかその犯罪をやってみたくなってくる。
のだそうだ。

心理学的なメカニズムは、いかようにも説明できようが、
ごく単純な話、その世界に囚われてしまう。ということだろう。

人間の規範意識など、初めからいい加減なものだ。
良いこと悪いことは、自分の体験で決めたものではない。
そう言われ、そう教えられたから、そう思っているだけだ。

皆が当たり前で行っていることを、自分がやらない、経験していないことが、不自然に思えてくる。
泥棒の中で育てば、泥棒は悪いこととは思えない。

朱に交われば赤くなる
不法行為を罰するために、その世界を知っていくと、行為の事実の世界に埋没し、自分のモラルと相手の世界のどちらが正しいか、といった、境界線が消えていく。

あんなに簡単にやっていることなら、自分だってできる。と、少年の向上心のようなものがわいてくる。
すなおで勉強熱心な人ほど、こういう気持ちになるのだろう。

元々、人の言うことを聞かないようなひねくれ者は、善悪の教えにすなおではないから、モラル意識がそれほど強くない、代わりに、犯罪事情を知っても、それは人ごとだと思う。

悪を憎むまじめな人は、知識にすなおだ。
そう簡単に割り切れるはずのない善悪を、あっさり決めつけられるような危険性は、オウムの例もあれば、帝国軍人の例もある。
知識豊富な心理学の専門家だってだまされる。

警官や検事判事が万引きや痴漢をしたりすれば、世間は非難だけするが、
むしろ、まじめな人だったからそうなったのかも知れない。