魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

変わらぬもの

2009年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

インフルも、みんなでかかれば怖くない。

もう、日本インフル列島だ。
ホンマモンの、恐怖の大魔王登場の予行演習として、実に効果的であったことは間違いない。多くの問題点が浮かび上がってきた。

いまのところ毒性は軽そうだということもあり、経済的視点からも、普通の対応に向かっている。
これだけ蔓延すれば、もう、どうしようもない。
だから、普通の対応にしようと言うのは、本末転倒だ。
「みんなでかかれば怖くない」の論理だ。

どだい、最初に「対策パフォーマンス」が先行し過ぎた。
専門家が過度に敏感になるのは当然のことだが、それを真に受けるのではなく、情報を見極めて判断し、指示を出すのが政治家の仕事だ。

風林火山
疾きこと風のごとく、徐なること林のごとく、侵し掠めること火のごとく、動かざること山のごとし・・・であるべき政治家が、
「風(インフル)と聞いて林に火を付け山を火事にしてしまった」

この分だと逆に、ホンマモンが登場したとき、今回に懲りて、経済対策に目を奪われ、手遅れにしてしまう可能性がある。
政治家の、腹が据わってないからだ。

それにしても、このマスク・サティアンはどうだ
マスクが便宜的な予防策であるにもかかわらず、企業などがイメージ戦略もあって、マスク出勤を義務づけたりしたことで、マスクが踏み絵のようになってしまった。

多くのカルト集団に見られる異様な姿は、外から見れば全く、アホで異様な行動だが、当人達にはちゃんとした理由があって、真剣そのものだ。

戦時中、日本国民は本気で勝てると思っていた。新型爆弾の放射能には白衣で対応した。そのすべてが、戦争が終わって見れば、「何だったんだ!」と、ボーゼンとした。

文化や民族性というものは、非常時に現れる
善し悪しは別にして、日本人の本質は、変わっていないようだ。