魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

明日へ舞い上がれ

2009年05月08日 | 新鎖国論

北野武とは意見がよく合うが、先日は少し意見が違った。
不況のために若者が欲をあきらめさせられている。車が要らないと言うのは本当は買えないからだ、と言っていた。

タケシだけではない。若者の心配をする番組が多い。
無欲な草食系の安全主義の若者が増えて、日本の将来は大丈夫だろうか。周りの国は、若者がギラギラしているのに、と大人が心配する。

確かに、近代を振り返ると日本には、今のアジアの周辺国の若者の活気があった。このままでは、日本はあっという間に追い抜かれてしまう。年寄りが心配するのは無理もない。

若者なら、必ず車は欲しいはずだ。きっと、魅力的な車を売り出せば、また、若者がそれにあこがれて購買意欲がわくに違いない。世界中の自動車会社は、競ってオープンカーを売り出しているという。

日本の若者が去勢されて、沈滞をしていると思うのは、消えゆく老兵のノスタルジーと杞憂だ。
何時の時代も様々な趣味はあるから、高級オープンカーもそれなりには売れるだろう。新興国の富裕層も飛びつくだろう。

しかし、老兵には見えない。
自分たちが大量生産、大量消費時代の「時代の子」であったことが。
日本の若者は去勢されているのではない。進化しようとしている。
産業革命パラダイムから脱皮して、次の何かに生まれ変わろうとしている。

新興国の若者が次の時代の勝者になるか、シベリアの氷土に閉じこめられるマンモスになるか。
むしろ日本には、迫り来る氷河期に気づいて、いち早く南に向かう大人と若者がいるかに掛かっている。
いくら若者が新しい世界を求めても、大人のリーダーが足を引っ張っていては、群れは、逃げまどう大集団に踏みつぶされ、ともに氷土に眠ることになるだろう。

新しい世界へ
大転換の時。最後のパイに新興国が群がっている時。
自己完結型の経済循環を目指し、経済鎖国*モデルを急ぐ必要がある。

恐竜は小鳥になって生き延びた。
すべてのモノが完成期には、ムダをそぎ落としコンパクトになる。
日本は元々、小さくまとまって完成していた。近代の荒波にもまれた後は、もう一度、いかにコンパクトな文明モデルが可能か、世界に示す必要がある。
大量消費の熱に浮かれていた「消えゆく世代」は、むしろ、若者の価値観に学ぶべきだろう。

狭い日本そんなに急いでどこに行く
狭い地球ゴミも家に帰れるかい


誤解されそうだが、経済鎖国とは、輸出に頼らない地産地消のことで、植民地主義のブロック経済や保護貿易ではない。