転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



SNSで偶然この本についての感想を見かけて、
懐かしい名前に興味を覚え、買って読んでみた。
作詞家・安井かずみを、私自身、世代的にそれなりには知っている。
彼女の書いた数々のヒット曲が流れる時代を、リアルタイムで体験したし、
その後の、加藤和彦との華麗で豪奢なDINKS生活についても、
バブリーだった当時、雑誌記事などで目にしていた。
あのようになりたいと憧れたことは一度もなかったが、
時代感覚を体現する、究極の偶像であることは強く感じていた。

安井かずみに関して私が当時、抱いていたイメージは、
ほっそりした、強くて格好いい女性で、特徴的な濃いアイメイク、
公私ともにリッチで、センスがあって、そしてヘビースモーカー。
あれだけのヒットメーカーだったから、印税も多分とてつもなくて、
我々が想像もできないような贅沢な暮らしをされているのだろうな、
等々と、別世界の人として感じていた。
御夫君はこれまた稀代の作曲家でありパフォーマーである加藤和彦で、
この人のことも私はザ・フォーク・クルセダーズの頃から観ていたので、
なんとまあお似合いなのだろうかと感心したものだった。
ちなみに彼が8歳年下。翔んでる女の結婚はこうでなくては、みたいな(^_^;。

『安井かずみがいた時代』では、彼ら二人を知る26人の証言者たちが
それぞれの関わりの度合いに応じて、各自の印象や思い出を語っている。
人間とは多面的なものであり、彼らの証言はそれぞれ断片的なものだから、
いずれの話もその断面においては真実であろうし、
仮に、安井かずみ・加藤和彦それぞれが回顧したり証言したりしたとしても
それだけが絶対的な事実や真実であるとも限らないだろう。
理想的なカップルと持て囃された二人の内面は、如何様であったか。
年齢も年収も社会的地位も「上」であった安井かずみが
夫婦関係において女王様であったのも本当だろうし、
反面、昭和の前半に育った彼らが「男が大黒柱」「夫唱婦随」のような
古典的な規範から自由になっていなかったこともまた、嘘ではないだろう。

様々に貴重な証言が収められているのだが、
私としては、吉田拓郎の述懐がとても印象に残った。
1970年代初期、沢田研二の『危険なふたり』が売れていた頃、
かまやつひろしに、パーティーがあると誘われて安井かずみの部屋へ行ったら、
「スリー・ディグリーズの『荒野のならず者』が流れていて、
コシノジュンコさんが踊りながら出てきたんです。
とんでもないものを見たって思いましたね。
当時のスーパーモデルたちがいて、みんなで輪になって座って
音楽を聴いたり、踊ったり、お酒を飲んだり。
あの時代らしく無茶苦茶やっていて、
夜中になると男も女も裸になってプールに飛び込むんです」。
70年代流・進歩人的「パリピ」の極み(汗)。
そりゃ広島から出てきた拓郎が「東京」にショーゲキを受けた筈である(^_^;。

拓郎は、その時代の奔放な安井かずみを知っていたから、
のちの加藤和彦との結婚には驚いたと言っている。
拓郎は加藤和彦とも音楽仲間であり、彼の才能を唯一無二と評価していた。
しかしそれゆえにこそ、加藤和彦の「優し過ぎて弱い」面も
彼なりに昔から感じていた。
拓郎は、加藤が自分より先を歩いてくれる女を求めた気持ちは理解できるが、
「歴戦の兵(つわもの)のZUZU(安井かずみ)が
なんでそんな頼りない男に熱をあげたのか。さっぱりわからない。」
結婚以来、安井かずみは、生活も趣味も交友関係も大きく変わってしまい、
加藤和彦の曲でなければ詞も書かなくなり、二人だけの世界へと耽溺してゆく。
それを拓郎は痛ましい思いで眺めた。
日本一ゴージャスなのに、内実は空虚な二人が、
懸命にその作り事のような関係を維持している、と拓郎の目には映った。

この本の終盤には、実妹のオースタン順子氏、
渡邊プロダクショングループ会長の渡邊美佐氏による、
安井かずみの内面に更に深く迫る証言も収録されており、
それらもまたなかなかに読み応えがある。
結婚生活は17年間だった。
安井かずみが肺がんで没して、今年で30年、
その後、加藤和彦が軽井沢で自死して、この秋で15年。
安井かずみ・加藤和彦夫妻は、実際、抜きん出た才能に恵まれ、
当時の先端を行くほど国際感覚にも優れており、
華やかで充実したライフスタイルを顕示して時代を駆け抜けたが、
光と陰が表裏一体であったこともまた、この本を読んで強く感じた。
月並みな言い様だが、眩しいほどのきらびやかさがあればあるほど、
その陰の部分の闇も深かったのだろう、と読み終わって思った。

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