読み間違えて『休憩所』と口に出している見学者が何人もあったが、
ここは『休泊所』、「動く監獄」として恐れられた小屋の再現だ。
明治時代、外役作業の際に受刑者たちが使用した仮設の施設で、
工事の進行に伴って、建てては移動の繰り返しだったそうだ。
こうした休泊所は、のちに戦前の北海道のタコ部屋のモデルともなった。
札幌―網走を結ぶ中央道路の建設には、明治24年の春から晩秋にかけて、
1,000人以上の受刑者が投入され、その工事中に少なくとも200名が命を落とした、
と言われている。
非人道的な労働条件のほか、過酷な気象状況や劣悪な食糧事情も、
彼らの心身を短期に著しく損なう要因となったと考えられている。
開拓事業は、多くの犠牲の上に成り立ったものだった。
……しかし娘の感想はまた別のところにあり、
「竪穴式住居って、普遍的・基本的なもんなんだねぇ」
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