転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は夕方に羽田に着き、夜7時半に東京を出る新幹線で広島まで帰った。
車中、私はもう名古屋も知らず広島駅の手前まで爆睡した(^_^;。
やはり、飛行機と違い、地上を走行していると思うと安心なのだった。

友人や職場へのお土産は知床のお菓子や、監獄の出所祝いクッキー、
知床峠観光記念のキャンデー、木彫り細工、
監獄ロック、という駄洒落のミニチュア鍵も買った。
これが駄洒落になるのは日本語ならでは。
それと、舅姑用にラベンダーお線香(笑)。

旅の後始末は、旅行中の衣類の洗濯だ。
広島が暑いのを良いことに、きょうは午前と午後、
二度、洗濯機をまわした。
午後は俄雨になってしまい、結局、外には干せなかったが(汗)。

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今回の旅行では、念願叶って網走~知床方面に行くことができたのだが、
これまで観光した札幌・小樽・函館とは、かなり違う印象を持った。
道東には、開拓時代を今も肌で感じられる部分があったし、
北方領土の問題も、日常生活の中に生きていることを感じた。

網走監獄の受刑者たちを使った強制労働、
あるいは後のタコ部屋労働などがなければ、
道東の幹線道路建設や河川工事は成らなかったし、
初期の入植者たちが苦難の中で切り開いた土地や道がなかったら、
観光客が峠まで登る道路も、今のようなかたちにはなっていなかった。
現在の私達はただ、「できあがり」だけを甘受しているわけだが、
開拓の歴史の陰に、大勢の人達の犠牲があったことを忘れてはいけない。

また、漁業が町や村を支えているオホーツクの海沿いでは、
国境がどこになるかが、すなわち領海を決定する死活問題であり、
漁船が拿捕される等の出来事も、日々の仕事の現場の話だから、
北方四島の返還は悲願そのものなのだ。
その切実さは、本州の者には普段なかなか思い及ばぬところだと、
このたび思った。

それと同時に、私はウトロの鄙びた静けさや、
地域の拠点とはいえ慎ましやかな網走の風情に、
なんともいえない愛着を感じたのも本当だ(笑)。
街っ子の主人や娘は恐らく共感しないだろうと思うのだが、
私は山奥の寒村の出だからか、ああした、人家もまばらな、
交通の便も良くない場所で、山や海の顔つきを眺めながら、
皆がささやかに暮らしを成り立たせている情景には、心安らぐものがあった。
勿論、そのような日常が、現実には美談で済まされないものであることも、
私自身が僻地の育ちであるだけに、よく知っている。
ヨソモノには務まらない面だってあるだろうとも思っている(^_^;。

しかしともあれ、日本全国、大きな街も小さな村も、
どこも皆、誰かの大事な故郷なのだよなと
当たり前のことをしみじみ感じた、この夏の旅だった(笑)。

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