転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



6月に姑が亡くなって、もう半年近く経つのだな、
と思いながら、きょうは喪中葉書の印刷をした。
『しきたり』の本などによると、喪中葉書は、
礼儀として、11月後半から12月前半、
世の中の方々がお年賀状の準備を始められる前に
到着するように発送するのが良い、ということだ。

しかし喪中葉書というのは、出しても案外忘れられるというか(汗)
出したにも関わらず、やっぱりお年賀状を頂戴してしまう、
ということが、結構、あるように思う。
少なくとも、あまり早く出すのは考えものだ。
早めに出して即座に忘れられては、なんにもならない。

受け取る側になった場合の、自分自身への反省も込めて言うのだが、
多分、喪中葉書を受け取ったときには「そうか、今年は・・・」と、
先方の事情に一瞬(!)考えが及ぶのだけれども、
それから日にちが経って、いざ、年末が近づき、
凄い勢いで年賀状を印刷する、という段階になると、
結局、個別の事情を忘れて去年の住所録で一気に刷ってしまい、
例年通り送ってしまう、ということが多いのではないだろうか。
転勤のたびに転居通知なども出していたが、これなど、
もう、喪中以上の高確率で「なかったこと」にされた記憶がある。

そういう事態が充分予想できるので、
今年は、寒中見舞い葉書も用意しておかねばならないと思っている。
娘などは、年賀状にイラストを描くのを楽しみにしており、
お仲間も似たような趣味を持つ面々なので、今からもう、
「来年用は、お互い、寒中見舞いってことで、ヨロシク!」
と学校で言ってまわっているとのことだ。

ということで、こちらをご覧下さっている皆様には、
この場をお借りしまして、予め、申し上げたいと思います。
かような状況ですので、年末年始のご挨拶を失礼させて頂きます。
本年中のご厚情にお礼を申し上げますとともに、
明年もまた、変わらぬご指導とご交誼をお願い申し上げます。


・・・ってことなので、今年は、12月29日や30日になってから、
パソ太が反抗期だの、CD-ROMドライブがかどわかされただの
一家で大騒動をする事態には、ならない。
と思いたい。

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ポール・スタンレーは右耳が聞こえない、
という話は以前から知っていた。
多分、そのためではないかと思うが、インタビューなどの際には、
大抵、メンバーの誰かが、彼の左耳の側にいる。
特に、ジーンとポールの二人が並んで取材を受けるときは、
向かって右がジーン、左がポール、という配置がほとんどだ。
屋外での騒々しい場所でのインタビューのとき、
記者の質問をジーンがさりげなくポールに教えている映像も
以前、見たことがあった。

とは言え、普通の環境では取材その他に何の問題もないし、
それどころかポールは大変に雄弁で隙のないフロントマンだ。
記者の質問に絶妙な切り返しで答え、会場を湧かせ、
回転の速さもテンポの良さも、メンバー随一だ。
説明されなければ、誰も全く何も気がつかないだろう。
右側が聞こえないのは先天的なことなので、彼自身は、
音楽を聴く際にも作る際にも、特に不自由はないのだそうだ。
骨伝導を使えば右耳でも聞くことは不可能ではないが、
幼い頃から音はそのような聞こえ方をしていないので、
両耳で音楽を聴くとかえって混乱する、とも語っていた。

4年くらい前に出たKISSの公式バイオグラフィにも
こうした、彼の耳の事情については書かれていたし、
もっと以前から、ほかの場所でも活字になっていたことなので、
私はそれ以上、殊更注目したことはなかったのだが、
それが、先天性小耳症のためだったというのを、
私はごく最近になって、ネットの記事を読んでいて知った。
それで、まったく今更なのだが、
彼がAboutFaceの活動に力を入れる理由が、初めて理解できた。

AboutFaceは、顔面等、外見に疾患・外傷のある人、および、
その家族を支援し、情報・教育・カウンセリングなどを提供する、
トロントに本部を置く、北米の団体だ。
ポールは以前から、そこのスポークスマンとして活動をしている。
私は、実に失礼なことながら、最初は、彼のこの活動を、
一定の地位を得た欧米人がよくやる慈善事業、
のようなイメージで捉えていた。
特にアメリカの富豪はフィランソロピーをやりたがる、
という、先入観というか偏見に近いものが、私には、あった。
今にして思えば、本当に無理解で、申し訳ないことだった。

そのポール・スタンレーが、AboutFaceについて語る、
30分のインタビュー番組が、12月28日にCelebrity Soapbox
(ichannel)で配信されるそうだ。

Paul Stanley@Celebrity Soapbox(YouTube)

好奇の目で見られることが、小さい子や若い人にとって
どれほど過酷でつらいことであるか、
こうした現実を変えていくために最も良い方法は、
世の中を「啓発する」ことだとポールは語っている。
そして、自分に何か貢献できることがあるというのは
自分自身をも癒やすことに繋がっている、と。

そう考えてみると、99年に『オペラ座の怪人』で
ファントム役を演じたことは、ポールにとっては、
単にミュージカルへの挑戦という以上に大きな意味があったのだ。
ファントムは、そのあまりに特異な顔貌ゆえに人生を見失い、
それでもクリスティーヌの愛を得ようと苦悩した人物だったからだ。
そこには、少年時代に耳のことで悩んだ彼自身の思いが、
かたちは違っても、確実に投影されていただろうと思うのだ。

************

・・・という、イイ話のあとにアレなのだが、
Celebrity Soapbox関係の映像を検索している途中で、
NHK『英語でしゃべらナイト』の取材を受けて田村英里子と遊ぶ、
ジーン・シモンズ&ポール・スタンレー(2006年)を見つけた。
まったく、こんな日本語を、誰が教えたのだ(苦笑)。
KISS GENE and PAUL(YouTube)

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エリザベト音楽大学セシリアホールで、
エリザベト音大創立記念 横山幸雄氏ピアノリサイタルを聴いた。

横山幸雄オフィシャルサイト

前半が、ベートーヴェンのテンペスト、
ドビュッシーの「ヴィーノの門」「ラヴィーヌ将軍」
「オンディーヌ」「花火」、それに「喜びの島」、
後半が、ショパンの「24の前奏曲」全曲。

先日来のいろいろなことにより、きょうは私の心が閉じていたので、
せっかくの演奏会に浸りきることは出来なかった気がするのだが、
横山氏の、スケールの大きな、かつ気品に満ちた演奏は、
やはり素晴らしかった。
気力体力の充実した、男性演奏家らしい演奏で、
音楽に生命力が溢れていた。
名前を知るようになって久しいし、既に大学教授の地位もあり、
トップアーティストとして認識していたが、
このかたはまだ、三十代の、若い演奏家でもあったのだ。

どの曲も流れるような勢いがあり、
速さに少しも無理がないどころか、余裕さえあった。
実際には、私が体感していた以上の
速いテンポで弾かれていたかもしれない。
24の前奏曲など、完全に一曲として構成されていて、
曲と曲との繋がりや間合いまで計算しつくされた演奏だった。
こういうことは、体力に不安のある演奏家では絶対に無理だ。

アンコールは三曲あって、
ショパンの「子守歌」、ラヴェルの「水の精」、
それにブラームスの「間奏曲 作品118-2」。
前奏曲からの流れでショパンの変奏曲につながり、
同じ「オンディーヌ」をドビュッシーとラヴェルで聞き比べ、
おしまいに過ぎ来し方を省みるようなブラームスでお別れした、
という感じの構成だった。

大変な力量に圧倒された演奏会だったが、
最後に、なんだか慰めて貰ったような気分になった。
ブラームスは、孤独な音楽だったが、
それだけに、静かで、染みわたるようだった。
一対一で、お話を聞かせて頂いているような感覚さえあった。
きょうの私には、こういう時間が必要だったのだなと思った。
自分勝手な感慨だが、横山氏には心からお礼を申し上げたい。

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YouTubeのOfficial KISS Onlineをチェックしていたら、
来る11月25日の公演を、Facebookを通じてライブ配信する、
という、告知映像がUPされていた。

70年代に彼らを知った頃には、こんな時代が来るなんて、
全然、想像もつかない暮らしを、中学生だった私はしていたし、
それに、そもそも彼らが30年後も変わらないなんて(爆)
当時は、全然、考えもしなかった。

で、メイクすると人格の変わるポール・スタンレーが
『俺たちのライブが てめぇらのコンピュータを襲うぜYeah』
的なノリで喋っているのは良いのだが、
をい、肝心なことが、わからんぞ。

それ 何時なんだよ



追記:不親切な案内ゆえ、自分で調べた。
25日の会場のステイプル・センターはロサンゼルス、
開演は現地19時30分?
アメリカ西海岸の25日夜7時半って、日本では何日何時?

追記2:再び、自分で調べた。
『ロサンゼルスの2009年11月25日19時30分は
日本時間で2009年11月26日12時30分』だそうだ
(サマータイムでない場合の計算式による)。


追記3(11月26日):無事に観た。いや~凄かった。
シヌかと思った。これをナマで観たら大変だ。
あまりに凝視し続けていたので、
パソコンが途中でスタンバイに入りかけて、焦った。

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(この記事は、のちほど、ポゴ氏ブログのほうに移動させる予定です)

Pogorelić osvojio još jednu slavnu pozornicu(Jutarnji list)

上記は、10月23日付けのクロアチアの新聞記事に、
22日のポゴレリチのミラノ公演について書かれている。
写真が三枚見られる。

当日は200ユーロの席を含む全席ソールドアウトになったため、
最後には、普段販売しない場所まで開放され、
この記事の筆者は幸運にも、ポゴレリチの手指を
非常によく観察できる場所に入れたとのことだ。
それで彼の特別なテクニックについて目を見張った、
という記述をしているようなのだが、
筆に力が入ると機械翻訳では手に負えなくなるのが常で、
例によって肝心な箇所ほど解読不明だった。

ともあれ、この日は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ののち、
アンコールでバラキレフの『イスラメイ』を弾いたのだそうで、
スタンディング・オベーションが延々と続き、
・・・と、全体として、かなり景気の良さそうな話だ。
ポゴレリチが好調なのだとすれば、来年の来日公演も、
(一応、実現すると仮定して)期待しても良いかなと思った。

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音羽会から、来年1月に東京で行われる新年会の案内が来た。
毎年、欠礼の葉書を送るだけで、ずっと行っていなかったのだが、
今回は、なんとかして行ってみようかな、と思った。
国立劇場で、旦那(菊五郎)さんの大凧宙乗りもあるし。

通し狂言:旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)
尾上菊五郎大凧宙乗りにて黄金の鯱盗り相勤め申し候



どんな芝居でも演奏会でも、すべて一期一会であるのは、
以前から、いろいろな機会に強く感じて来たことだが、
観たいと思う公演が、ごく当たり前に行われていて、
かつ、自分の側にも支障がなく、行こうと思えば見に行ける、
という、二つの条件が揃っているのは、
実は、ちょっとあり得ないほど幸運なことなのだと、
最近、改めて思うようになった。


先立つものがない不幸をお許し下さい、
・・・という問題は、依然として、あるが。

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大浦みずき TRIBUTE(YouTube)

こういう人の舞台を、生で観ていた自分が、
今になってみると信じられないくらいだ。
こんな物凄いものを、毎回必ず見せて貰っていながら、
当時は、それが「当たり前」だったなんて。

勿論「なつめさんは凄い!」ということは、よく知っていた。
彼女でなければ実現できない場面が、いつもたくさんあった。
他組ファンに対しても、彼女のことはとても自慢だった。
しかし花組ファンや大浦ファンにしてみれば、
あの頃は、「このくらいのこと」は「当然」だったのだ。
日比谷に行けば、大劇場に行けば、必ず観ることが出来たのだから。
花組公演期間中は、ほぼ毎日、昼夜二回、まるで映画上映みたいに、
こんな公演が、いつだって間違いなく上演されていたのだ。

なーちゃんの舞台が、
「どうした!?いつもよりもっとイイ!?」
ということはあっても、
「きょうの、なーちゃんは、冴えなかった」
などということは、一度も無かった。
私の知る限り、ただの一度もだ。

それが舞台人としてどれだけ希有なことか、
若かった私には、まだまだわかっていなかった。
こんなものを、宝塚観劇歴の最初から毎日見せられたら、
こちらの基準だって狂うというものだ。


今年は、あの清志郎がいなくなるという信じられないことが起こり、
そして、今また、なーちゃんも送ってしまった。
「生きているというのは、人の死を見ることだ」
と言ったヤン・ウェンリー(@銀河英雄伝説)は本当に正しい。
自分が四十歳を超えたあたりから、それが実感できるようになった。
これを見なくなるのは、こちらの道楽人生が終わるときだけだ。

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今朝がた、なーちゃんが夢に出てきた。

設定は、退団後の、女優のなーちゃんで、髪も短くないのだが、
カジュアルな、白っぽいパーカみたいなものを羽織ってらして、
なんだか、宝塚の頃の、出待ちで見たなーちゃんみたいでもあった。
とても、軽やかな印象だった。

私の夢の中で、なーちゃんは、都会の、
ビルの前みたいなところに、なぜだか一人で立ってらして、
感じとしては、迎えの車を待っている、という雰囲気だった。
だからそんなに時間はなさそうだった。
でも、私が「あ、なつめさんだ!」と思って近づいていくと、
ニコっと微笑んで下さった。

近くで見た、なーちゃんは、透き通るように肌が白くて、
『昔と変わってないなあ』
と夢の中の私は見とれていた。
とてもほっそりしていて、儚げな感じも以前と同じだった。
自己紹介もしていないのに、ファンだとわかって下さって、私が
「お会いできて良かったです」
と言ったら、
「ありがとう。次の公演がなくて、御免なさいね」
と、あのちょっとハスキーな、低い、温かい声で仰った。

私は、了解していた。
なーちゃんは、もう行ってしまうのだ、と。
そして、そこに行ったら、二度と帰って来ない。
だから、次の公演は、どんなに待っても実現しない。
夢の中で、私は、これから、なーちゃんが天国に行ってしまう、
と理解しているのだが、そのことは、どうしてか、
なーちゃんが宝塚歌劇団を退団してしまう、
ということと、とても似た意味を持っているのだった。

だから私は、残念で仕方がなかったけれど、泣いていなかった。

「みんな同じとこに、行きます」
と私は言った。全然言葉足らずで、変な言い方だった。
なーちゃんがこれから行く場所に、先に行った人もいるし、
ずっと後になってから行く人もいるし、勿論、私も行くし、
ひとりの例外もなく同じなんだと心底思って、そう言った。

ただ、『順番が違う』ところが、たまらないと思った。
でも、それは、目の前のなーちゃんには、言えなかった。

「いいのよ」
となーちゃんはまたとても良い笑顔で言って下さった。
何がどう『いい』のだか、話として必ずしもかみあっていないのに、
夢の中の私は、なーちゃんの気持ちがわかっていると、
(おこがましくも)納得していた。

なーちゃんには、なんの葛藤もないみたいだった。
ちょっと寂しそうだったけど、なーちゃんは、とても綺麗だった。

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女優の大浦みずきさんが死去(共同通信)
『元宝塚歌劇団花組のトップスターで女優の大浦みずき(本名阪田なつめ)さんが14日午前7時、肺がんのため東京都内の病院で死去した。53歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行う。お別れの会は12月2日午後2時から東京都新宿区南元町19、千日谷会堂で。喪主は姉内藤啓子さん。1974年に宝塚歌劇団に入団。ダンスが得意で、88年から花組男役トップスターとなり「会議は踊る」「ベルサイユのばら」などに出演。』

前に書いた『宝塚に熱中していたために、一時期、
RCサクセションのライブに行かなかった
』というのは、
まさにこの、なーちゃん(大浦みずき)率いる花組に
惚れ込んでいたときのことだった。

なーちゃんは、私の知る限り、最高の男役だった。
この人に出会わなかったら、私は宝塚を、
これほど真剣に観るようには、なっていなかったと思う。
彼女の、美しかった舞台姿、奇跡のような場面の数々を
私は生涯、忘れない。

なーちゃんは、きっと、ふわりと、天に昇っただろう。
彼女の、繊細で軽やかなダンスに本当に相応しかったのは、
もしかしたら雲の上の舞台だったかもしれない。
私も、いつかそれを観ることが出来るのを、
今は、これからの楽しみとして、待っていたいと思う。

なーちゃん、またお目にかかりましょう。
握手して貰ったときの、なーちゃんの細い指の感触、
素顔の、可愛らしい微笑み、今も目の前に蘇ってきます。


大浦みずきさん死去=元宝塚トップスター、ダンスの名手(時事通信)
来年復帰のはずが…元宝塚トップ大浦みずきさん逝く(スポニチ)

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午後から、英検1級二次試験があった。
二次受験者は、どうも7名しかいなかったようだった。
もし、私が細かいことをここに書いたなら
(そしてあの場にいらした方々のうち、どなたかが、
ここを読んで下さっていたなら)、
私を特定することさえ可能かもしれない、
という人数の少なさだった。
市内の試験会場は、ほかにもあったのだろうか?

勿論、10月に広島市内の会場で一緒に一次を受けた人たちが、
全員、二次受験希望地を広島にしていたわけではないだろうし、
事情で今回放棄し、次回に出願する人もいたかもしれないし、
更にインフルエンザ流行中の今は、体調不良の場合は
申し出により、受験延期のできる措置も取られているので、
通常より、受験者が少なかったとしても不思議はないと思う。
だがそれにしても、二十人くらいは居るかと勝手に思っていたので、
全員でお友達になれそうな『こじんまり』感に戸惑ってしまった。
次回2月に行って、何人かと再会することになったらどぼじよう(汗)。

************

今回の私は、とにかく「喋りきる」ことだけが目標だった。
使えそうな表現を暗記してストックしておく暇がなかったし、
スピーチの構成に凝るほどの英語力など、もともとなかった。
唯一できそうなことは、最初に「結論」を言ったら、あとは、
沈黙しないで、流れの良い英語で「理由」を話すこと、
良い言葉が出て来なくても、途切れさせず使える言葉でつないで、
時間いっぱい使って喋るだけ喋ること、だった。

そして、それは、達成できた。
私は、スピーチも質疑応答も、とにかく喋り続けた。

自分でも何を言っているか、かなりの部分、不明だった(爆)。

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