転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



実家の村では、昨日の前夜祭に引き続き、
きょうの午後1時半から本祭があった。

うちの村は、山あいの道路を北のほうへと上って、
途中から、川沿いの、車一台通るのがやっとという細い道を、
奥へ奥へと進んだ場所にある、小さな集落なのだが、
氏神の八幡様は、こんな山奥にこれほど大きな神社があったかと、
ちょっと驚くような、立派な構えの社殿だ。

普段だと、日中など「猫の子一匹いない」という静けさで、
みんな生きているのか死んでいるのか(爆)と心配になるほど、
人の気配のしない村なのだが、毎年、祭りの時期だけは、
どこからともなく子連れの若い人たちがたくさん集まってきて、
境内や石段が身動きもならないほどの賑わいになる。

この季節には、周囲は見渡す限り、稲刈りの終わった田んぼで、
その、田んぼと田んぼの間にある道に、
御輿や俵をおいて待機する人たちやハッピを着た子供達がいて、
あちこちから御輿歌を歌う人の声が響いて来る。
この日ばかりは、よその人でも、うちの村に一歩入っただけで、
「ああ。きょうは祭りじゃね!」
とすぐわかるくらい、村全部が祭り一色だ。
そして祭典の時刻が近づくと、次々と煙火が上がるのだ。

そういえば、昔々、広島カープが強かった頃、
祭りのこの時期に、カープが日本シリーズを戦っていたりして、
俵もみのお父さんたちが、皆イヤホンをしていたことがあった。
祭りはせにゃならんと思いつつ、頭の半分はカープだったのだ。
『近年はそんとな(=そのような)こともないけ、
みんな、祭りに専念できて結構じゃね』
と叔母が言った。

私は、きょうは昨日ほどコキ使われることはなく、
露店を冷やかしたり、餅まきを見物したりして、
寒かったがそれなりに楽しませて貰った。
子供の頃は、お祭りのお店が本当に楽しみだった。
ゲームや携帯がなかったなどの次元の話ではなくて、
村には玩具屋さんも本屋さんも無く、百貨店なるものにも
年に一度行くかどうかという生活をしていたからだ。

2月に亡くなった伯母が、そういや祭りが好きだったよなあ、
と懐かしく思い出したりした。
伯母ちゃんは、さすがに、元・この家の長女だった人なので、
祭りに里帰りしてやって来ると、とてもテキパキと、
家の中のことを指示して、花を生けたり、提灯を下げたりして、
手際よく働いていたものだった。
そして、2日の夕方頃から、夜店を見に行き、
開店するとすぐ、あちこちの店の覗いて買い物したりしていた。
伯母の好きだった鯛焼きを、きょうは私も買って、食べた。

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