転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



9/11テロによってニューヨーク世界貿易センタービルが倒壊してから、
きょうで丸五年を迎えた。
Ground Zeroと呼ばれている跡地に、深い傷跡の記憶は残しながらも、
現在は新・貿易センタービル群の建設が進んでいるそうだ。

かつて、世界貿易センターはアメリカン・ドリームの象徴だったと思う。
アメリカン・ドリームとは何か、は厳密には難しい問題かもしれないが、
イメージとして、資本主義の世界で勝ち組になることがそれであり、
そうした成功者の集まる場所が、世界貿易センターだったと思うのだ。

80年代の終わり、日本ではまだバブルが崩壊していなかった頃に、
『お金を貯めて仕事をやめて、アメリカに留学しよう』、
と当時のOLさんなら一度は考えたようなことを、私もまた、夢見ていた。
独身で一人暮らしだったから、薄給とはいえ月給は全額自分のもので
89年の夏に、まず手始めとして、有り金はたいてNYに行くことにした。
自分がアメリカでの生活に耐えられるものかどうかを試すためにも、
とりあえず、ニューヨーク大学夏期講座に参加してみることにしたのだ。

出発の一月前に、友人に誘われて観た映画が、『ワーキング・ガール』で、
NYの証券会社で働く主人公のOLが、チャンスをつかんで出世し、
恋も仕事も成功するという現代版シンデレラストーリーだった。
カネなしコネなし、学歴もない恋人も居ない、でもバイタリティだけはある、
というヒロインの姿が、まるで自分のことのように思え(←アイタタ)、
『よしっっ!!頑張るぞ!!!』
と思いっきり元気を貰った映画だった。

それで、青雲の志を抱いてマンハッタンに向かい、
一ヶ月以上滞在して、身につけたのは結局、英語ではなく、
道ばたで両手を使う作業をするときは、カバンを盗まれないよう股に挟む
という条件反射だけだったことは、以前書いた通りなのだが(爆)、
サクセス・ストーリーとは縁遠かったにせよ、私にとっては、
ほとんど独力で、約40日間をNYで過ごしたことは、
自分を鍛えるための大きなステップになったし、たくさんの思い出も残り、
やはり得難い体験だったと今も思っている。

その、おのぼりさんの私が、NYでいつも目印にしていたのが、
世界貿易センタービルだった。
NY大学のHayden Hallという古びた寮で同室になった、
ミラノからの留学生だった女の子が、初めの頃、私に言ったのだ。

「ヨシコ、NYは怖いところだけれど、気をつけて歩けば大丈夫。
散歩するときでも、あまりキョロキョロしないで、
用事のあるフリをして、さっさと歩くのよ。
上を見て、WTC(=世界貿易センター)のツインタワーのある方角が、
いつでも南よ。これさえわかっていれば方角を間違うことはないのよ」

英語のわからない私に向かって、小学校の先生みたいに丁寧な英語で
こんこんと言い聞かせてくれた彼女は、映像専攻で17歳だったが(爆)、
私はそれで、とにもかくにも世界貿易センタービルのツインタワーが南、
ということだけは、頭にたたき込んだ(その程度に地理にウトかった)。
寮もマンハッタンでは南端に近いところにあったから、
WTCさえ目印にすれば、どこへ出かけていても、
必ず大学寮まで帰って来られるのだ、と。

あの一夏、私は世界貿易センタービルとともに過ごしたようなものだった。
文字通り、見上げればいつもそこにあって、私の拠り所になってくれた。
ツインタワーを目指して歩けば、迷うことはなかった。
そしてそれは、私がアメリカに来たことの目標を、
おぼろげにだが、しかし端的に象徴している建物でもあった。
どうすればいいのかわからないが、あそこに近づく人間になりたい、
というのが、そのときの私の、遙かな夢であったから。

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