転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



日本人女性初!前衛芸術家・草間彌生氏が「世界文化賞」(SANSPO)
『優れた芸術の世界的な創造者たちを顕彰する「高松宮殿下記念世界文化賞」(主催・財団法人日本美術協会)の第18回受賞者、5部門5氏が決まり、7日午前11時半(日本時間8日午前0時半)からロックフェラーセンターで発表された。絵画部門では前衛芸術家、草間彌生=やよい=氏(77)が日本人女性として初めて受賞。「長い道のりでしたが、これからが人生。精いっぱい続けていきます」とさらなる創作活動に意欲を見せた。授賞式は10月18日に東京・元赤坂の明治記念館で行われる』

先日、仮装ぴあにすと様が、来年2月のご自身のリサイタルに関して、
内容がどうなるかなんて全然わからない、というニュアンスから、
「私のステージなんて、草間彌生も真っ青のハプニングで」
と仰ったのだが、そのときから、どうも、『草間彌生』というのが、
思いがけず、様々に私の連想を呼ぶキーワードになり始めていた。
だから昨日の日記にも、そのことは少し、書いた。

そうしたら、今朝ほどYahoo!のニュースサイトで、
草間彌生氏が日本人女性として初めての「世界文化賞」を受賞、
という速報を見かけてびっくりしてしまった。
これはまた、凄いタイミングではないか。飽くまで私的に、だけれど。

私は絵画とか彫刻への関心が普段はあまりなく、知識も少なく、
その乏しい美術体験において、これまで、草間彌生というのは、
まず、外見的に「カラーひよこ」ならぬ「カラーかえる」、
みたいな印象の人だった(殴!!)。
そして、作品的には、とても体に悪そうな色目のキノコさんとか、
水玉模様で埋め尽くされた××とか、人食い熱帯植物みたいな花とかで、
どうも見るだに、こっちの具合が悪くなりそうなイメージが、あった。

それが昨日、仮装ぴあにすと様に伺ったお話からすると、
草間氏は、そうしたものを描かずにいられない、ご自身の原動力を、
obsession(強迫観念)である、と説明していらっしゃるそうなのだ。
水玉が増殖する様を、執拗に隅々まで描き込まずにいられない、
網でもキノコでも××でも、際限もなく徹底的に描ききらなければ、
気が休まらない・気が済まない。それをしないでいるのは苦しい。

そういう観点から読めば、記事にある、
『命がけで、毎日、朝から晩まで絵を描いていました』
という草間氏の渡米直後の時代に関する述懐は、
その強迫観念に突き動かされた創作活動がいかに苦しいものだったかを
端的に語っていると思う。
確かに、こうした芸術家は文字通り命を削って創作するのだ。

そこで私は、ちょっとポゴレリチを連想してしまったわけなのだ。
彼の、一音一音への異常なまでの執着は、
やはりひとつのobsessionなのではないだろうか、と。
少なくとも、客席で聴いている私にとって、どうも、それは、
草間作品に感じる「しんどさ」「こっちが具合が悪くなりそう」な気分、
というものに、一脈、通じているような気がする。
ポゴレリチ御本人の自覚の程度は全くわからないけれども、
昨年の来日公演など、それが高じて、ポゴレリチはとうとう、
ショパンもスクリャービンもラフマニノフも、
すべて、構成音のひとつひとつまで、いやというほど克明に裸にして、
ひとつ残らず空間に並べてしまったのではないか、と私には思われる。

ポゴレリチは、以前から、一曲を構成するのに、しばしば、
音を空間に停止させるような弾き方をしており、結果として、
旋律線はなだらかに横に繋がることがなく、さながら点描のように、
彼の出す音はどれも一瞬一瞬で硬く凍結している。
彼の演奏は、そうした「点」となった音の、巨大なモザイクであり、
それは草間彌生が画面を埋め尽くすように打ち続ける無限のドットと、
同じ種類の圧力をもって私に迫ってくるように思う。
どちらも、madでありcoolであり、揺るぎないエネルギーを秘めて、
見る者・聴く者を圧倒する。

ポゴレリチの昔の来日公演時の逸話に、記者会見の際、
質問に対して恐ろしく長い答えを延々、延々と英語で述べ続け、
終わると、通訳の間(必然的に、皆が困惑するほど長い通訳になるわけだ)、
ポゴレリチ本人はさながら静止画像のように、微動だにせず、
指先の角度さえ変えずにじっと待っていた、というのがあるのだが、
こういうところも、なんとなく、草間彌生の持っている雰囲気に、
似ているような気が、したりする(^_^;)。

一緒にするな!とお怒りの草間ファン・ポゴファンの方々、
いらっしゃいましたら、どうかお許し下さいませ~~~<m(__)m>。

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