転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



テレビ嫌いの私がいるのに、今朝も主人はテレビを観ていた。
だが今朝は、喧しいワイドショーではなく、
美術館がどうしたこうしたの番組だったので、一応良かった。
フランスのどこやら(←真面目に見ていない私)が映り、
きょうのテーマは、エミール・ガレだとナレーションが言った。

私「ガレ?気色悪い作品の人?」
夫「え。違うと思うが。誰を想定しとるのかは知らんが(^^ゞ」
私「えっと~、おどろおどろしい色で絵描いて、はよ死んだ人」
夫「まさかと思うが、エゴン・シーレか、それは」
私「ああ!」(私の話ですぐわかる主人は天才)
夫「ガレは絵よりガラス工芸とかインテリアの人よ」

果たして、画面には「ひとよ茸」という有名なランプが映った。
夫「ほら、きのこさん」
私「………(^_^;)」

ガレは、殊更に新しいモチーフを探し求めることをせず、
むしろ、庭の一画、キッチンの片隅などにある、
ごく日常的な植物や野菜などの姿から、インスピレーションを得、
幾多の傑作を生み出したという。
このランプにしても、キノコの姿そのものに灯りをともす、
という発想から生まれた、ガレならではの感覚が光る作品、
……だということだ。

まったく。
世界で一級の芸術家はやはり、目のつけどころが違う。
朽ちた木の中に一夜にしてこのようなキノコが生え、
それに目をとめたガレは、
「ランプだ……!」
と思ったのだ。なんという感性、なんという表現力。

我が家の庭にある朝、突然キノコが出ているのを見たとき、
舅は、なんて言ったと思います?
舅「なんじゃ、これは!!!一晩で出やがった!!!」
私「ホントですね、昨日はなかったですね~」
舅「どういう名前かの~。糞茸、いうんかの?」

いいません(--#)

Trackback ( 0 )




QUEEN 華麗なる復活 19年ぶりライブ ファン1万5000人熱狂(スポーツ報知)

昔、ヒルビリーバップスのボーカル宮城宗典が自殺したとき、
新しいボーカリストを迎えての新生ヒルビリーを、
私は全然、受け入れられなかったものだったのだが
(という例え話は唐突過ぎますか(^^ゞ。深く追求しないでね)、
どういうものか、ふれで先生不在でもQUEENはQUEENだ、
という気が、今の私には、している。
このライブを聴いてもいないのに。

ポール・ロジャースには思う存分、
彼独自の世界を繰り広げて欲しいと思うし、
ふれで先生の模倣をして頂きたいなどとは全然、考えていない。
もはやフレディの居ないQUEENは、新しいものであって良いと思う。

でも、誰が歌おうと、QUEENがどうなろうと、
究極的に「フレディ抜きで」という感じが、私はしない。
ふれで先生の手を離れても、たとえ何年経とうとも、
私はQUEENにはいつだって、彼の魂を感じることが出来る、
という気がしている。

Trackback ( 0 )




以前も書いたが、私はテレビが本当に嫌いだ。
特に民放は音がけたたましく甲高いのが多いし、
外国語放送でもないのに余計な字幕が多くて目が疲れるし、
もう、テレビの発散するものすべてが、私の神経を逆なでする。

まだしも神経に障ることが少ないのは、
NHKのニュースとか、教育テレビとかだが、
これらは観なくても困らないものがかなり多いから、
結局のところ、私はテレビを今すぐ捨てても、全然構わない。

「今のままなら、十年後にはテレビは無くなる」
と確かホリエモン氏が言っていたと思うが、
私はこの点でだけ、彼を大変好ましく思っている。
フジでもどこでもいい、とにかくやかましいだけのテレビ局など、
ひとつでも多く、早く葬り去って貰いたいものだ。

ついでにネットとテレビが合体するなんてのは大反対だ。
私がここまでネットを活用できるようになったのは、
音よりも、文字や画像がメインとなる媒体だったからだ。
今でも私のパソコンは音が一切、出ないようにしてある。
頼みもしないのにMIDIが鳴り出すサイトに閉口して以来、
こっちから遮断することにしたのだ。
私は、自分で選んだ音楽だけが聴きたいのであって、
あとのすべては耐え難い雑音だ。

私がこういう偏屈なことをわざわざ改めて書くのは、
今、まさに家族の観ているテレビで、ひどく迷惑しているからなのだ。
連休で、主人も娘も家に居るので、とにかく一日中、
テレビががんがん鳴っている。
彼らは私とは異人種で、テレビが大好きだ。
テレビの音がするだけで、明るい気分になれるらしい。
私は彼らの楽しい休日のために、ひたすら、黙って耐えている。
家が狭いから逃げようがないし、耳栓するのも嫌味だし。

前に、何かの性格診断みたいな記事を読んでいたら、
「朝起きてすぐテレビをつけるのは、抗ストレス度の低い人」
という項目があった。
ストレスに弱い人は、静寂の中で自分の心と向き合うことが出来ず、
テレビの音で、その緊張感を紛らわせて貰わなくてはならないのだ、
というのがその説明だった。

だが私に言わせると逆だ。
私こそ、ストレスに弱く、物事の許容範囲が狭く、気難しい人間だ。
だから、ちょっとした雑音にさえ耐えられず、神経質に苛立つのだ。
狭い狭い自分というものの中でしか、調和を保てない人間だから、
それを乱すテレビ(及び騒音)を許せないと感じるのではないか。

「我が家では食事時にテレビは観ません」
などと得々として語る人がときどき居るが、
私の感覚ではそんなこと、自慢するに足るような立派な話ではない。
むしろ、ちょっとテレビが鳴っていることさえ我慢できない、
神経質な一家です、と告白しているように聞こえるくらいだ。

ちなみに、十分に想像し得る話だが、この世の中には私と逆で、
テレビがないと生きられない、というほど、
テレビをこよなく愛している特異な人種が存在する
(「特異」は私か(^^ゞ)。
絶え間なく音がしているところで精神の平静を保てるなんて、
私からすれば羨ましいくらいの逞しさだとと思うが、
御本人の悩みはそれなりにあるらしい。

テレビを観ない生活をするには(教えて!goo)

『毎日起きてから家にいるときは寝るまでテレビを観ています』
と、この相談者は言う。
とにかく四六時中、観たい番組があるのだという。
だがそれはさすがに、テレビに支配された生活ではないかと感じ、
どうしたらテレビを観ないでいられるようになるかと考えている、
というのが、この人の、切実なる相談の内容だ。

だが私は、この人に言うべき言葉を持たない。
だって、食物の好き嫌いに等しいくらい、
この人と私とでは、音に対する感覚が違うと思うからだ。

『テレビをほとんど観ないという人がいますが、
それはどういう理由からですか?』
私の答え:テレビの出す音がうるさくてうるさくて耐え難いから。

『テレビを観ないなら
他にどのような過ごし方をしているのか教えて欲しいです』
私の答え:家族の留守にはテレビを消して、静かな静かな部屋で、
ひとり、限りなく和んでいる。収縮期血圧が軽く20は下がっていそう。
その他、本を読んでもいいし、パソコンで遊んでもいいし、
語学をやってもいいし、昼寝してもいい(爆)。
テレビに邪魔されなければ、私にとっては、
あらゆる用事がすべて私の思い通りのペースではかどる。

あああああ。
これから春休みだ。この騒音公害に、半月は耐えなければならない。
デリケートな私(爆)には、精神修行月間となるであろう。

Trackback ( 0 )




舅が近所の内科医院に頼んで紹介状を書いて貰ったので、
介護保険を使って訪問看護を受けられるよう、
金曜日からケアマネージャーさんが手配を始めて下さった。

これで家のベッドでテレビを観ながら点滴が受けられるし、
食事が日に二回でも、きっと輸液で補いがつくだろう。
ケアマネさんの話によると、その内科の先生も、
「医療機関が連休で、その間、家で寝ているのは辛かろうから、
この日曜日からでも訪問看護の巡回に行って貰おう」
ということで、すぐ担当看護師さんと面会し、
迅速に打ち合わせと手続きをして下さったそうだ。

ああ、良かった良かった。皆様、ありがとうございました!
と私は胸を撫で下ろし、私の報告を聞いた主人が、
さきほど、さっそく舅に電話をして様子を尋ねてみた。
「どや。訪問看護、きょうから来て貰うんか」

ところが。
舅は、まだ訪問看護を受け入れていなかった。
なぜならば。
休日に訪問看護を頼むと、一回3000円なんだそうだ。
平日なら、800円なのに!

うぅぅぅむ。
結構な額の休日出勤手当が付くものなのね、とも言えるし、
『数千円払うくらいなら、とりあえずシンドいの我慢したほうがマシ』
という舅の根性もたいしたもんだ、とも言える(爆)。

ていうか、実のところ、私が騒ぐほどには、舅に切迫感はないのだ。
「別にそんな、急ぐもんじゃなし」
と電話でも言っていたらしい(^^ゞ。

Trackback ( 0 )




最近ときどき目について、気になっているのが、これ。

サマータイム推進議連、今国会への法案提出を確認(読売新聞)

『4月の第1日曜日に時計の針を1時間進め、
10月の最終日曜日には1時間戻す』のが「サマータイム」だそうだが、
これって真面目に検討するほど価値のある話なのだろうか?

『サマータイムは、照明や冷房用エネルギーの節約効果があり、
余暇の充実にもつながる』
と言われると、良いことずくめなのか?と思わないでもないが、
そんな素晴らしい考え方が、
『日本でも1948年に導入されたが、4年で廃止された』
というのは、一体、どういうことなのか。

北米や西欧北欧など緯度の高いところでは、確かに、
夏場は極端に日が長いから、時間の概念が変わるのもわかるが、
日本でそこまで人為的な操作をする意味があるのか、
と、1952年時点ではまだ生まれていなかった私には、
経験が全然ないだけに、とても疑問だ。

っていうか、もっと早急に検討せねばならない法案のほうが、
今は多いのでは?などと思ったり。

Trackback ( 0 )




下の記事の続報。

4品は多すぎ? 「おかずの品数」めぐり妻殺す(ZAKZAK)

『調べでは、男は16日夜、妻(72)と一緒に夕食を取っていたところ、
食卓に3品並んでいたおかずのほかに、
さらに節子さんがおかずを作ろうとした。
男は気を利かせたつもりで、「もう作らなくていいよ」と言ったらしいが、
節子さんが「いや作る」と反発したことから、口論に発展したという』

『普段からケンカが絶えなかったという夫婦だけに、
積もり積もった鬱憤もあったのか、ブチンと切れてしまった男は、
台所で4品目のおかずを作っていた妻の首を、
タオルで絞めて殺害してしまった』

どっちもモウロクしていた、と言うしかないのかな(特に夫)。

Trackback ( 0 )




おかず品数で口論、妻殺害 札幌の80歳男を逮捕(共同通信)

三度読んでも、自分の理解度に自信が持てないのだが、
『青鬼容疑者は「妻に食事のおかずの品数が多すぎる
と文句を言ったことから口論となり、かっとなって殺した」
と容疑を認めているという』
このタイトルからこんな顛末を想像します、普通?

「多すぎる」というのが、夫の苦情だった、と!?
「少なすぎる」と文句を言った、のではないの!?

妻は一体、何百種類のおかずを並べたのだろうか。
こういう理由で殺人事件が起こり得るものであるなら、
私などは、まず絶対に殺されることはないと思うが(爆)。

Trackback ( 0 )




卒業式に出席する在校生がどうして5年生だけなのか
という疑問をきょうの日記にさきほど書いたが、
帰宅した娘に尋ねてみたところ、この件については先生から、
クラスの皆にお話がきちんとあったそうだ。曰く、

本校ではひとりひとりに卒業証書授与するから30分かかる。
その間、在校生の席でごそごそしたり騒いだりされると困るから、
出席できるのは5年生だけ、ということになっている


前にも書いたが、私自身は少なくとも2年生のとき、
既に全員で卒業式に出ていた記憶がある
(それ以降、3年生の記憶も4年生の記憶も勿論ある)。
卒業生は45名超×4クラスでも、ひとりひとり担任から呼名され、
どの子も順番に壇上に上がり、卒業証書を学校長から手渡されたし、
その間、音楽の先生がずっとエレクトーンで、
静かな曲の生演奏をなさっていたことも、私は覚えている。

練習時には、私語する児童もいたけれども、
キヲツケ~!
と先生の号令が響き渡って、すぐにシーンとなったものだ。
動くなっ!蜂が刺しても動くなっっっ!!
と男の先生が凄い台詞で指導なさっていたのを
この歳になっても私は忘れていないから、
それなりに強烈な記憶だったのだろうとは思う。

にしても、それで結局、卒業式はちゃんと出来た筈だ。
号令は極端だったが、練習時だって体罰なんか勿論なかったし、
がやがやになって駄目になったという話も聞いたことがなかった。
予行のとき、在校生の歌の声が小さいと幾度も注意されたから、
当日は、今まででいちばん良い歌にしようと、
子供心に頑張った覚えだってある。
つまりは、その程度の指導で、下級生から全員揃って、
卒業式が出来たのだ。

体育館にぎっしりと入った低学年から5年生までが、
一斉に拍手して卒業生を送り出すときの感動は大きかった。
1000人の拍手をもって見送り・見送られるような経験って、
人生でちょっと、無いのではないだろうか?

今の子供らに、本当にそれが出来ないとしたら、
単なる堕落か、能力の低下だとしか思えない(--#)。

Trackback ( 0 )




(ときに、あの、じーちゃんは、どうしているのか、
というお問い合わせ(!)のメールを時々頂戴し、
本当に有り難く思っております<m(__)m>。
が、実は、彼らしくなく、最近あんまり元気じゃありません。
煙草は美味いのですが、体力的に回復がもうひとつです。)

*****************

じーちゃんの今の不満は、手術跡の胸がチカチカと痛むこと、
食事をするとモタれて苦しいこと、の二点で、
「今回の手術で、ワシは、体が弱ってしもうたわい」
と珍しくウシロ向きなことをよく言っている。

だからって我慢して寝ているだけでは、
事態は改善しないのではないかと思い、私はかねてから、
食事が取れないぶんは点滴で補うとか、
通院がしんどいなら往診を頼んで注射だけでもしてもらうとか、
また、痛み止めの内服は胃腸にこたえるなら座薬を使うとか、
あれこれ提案してみたのだが、じーちゃんは、
「面倒くさいことは、要らん」、
「ケツに入れる薬なんざ、気色が悪い。ワシはオカマではない」。

「ねー、もー、おとーさんには困っちゃいますよ。どうします?」
と私が姑に話を振ったらば、姑は目をきらきらさせて、
「ええ天気じゃね!あんたも、オヤツ、持って帰りんさい」

私「はい(^_^;)。ありがとうございます。頂きます」
姑「お客さんが来てかね」
私「3時になったらヘルパーさんが来られますよ。
 それよりもね、おとうちゃんがお腹痛いって言われてますよ?」
姑「どこのおとうちゃんが?」
私「うちの(^^ゞ」

う~ん。
相変わらず、ばーちゃんは天下泰平だ。

舅「ケアマネージャーが言うには、なんとかいう、
 栄養の入った飲み物を食事代わりにしたらええんと」
私「ああ、なるほど。あの、カロリーメイトの、もっと濃いような」
舅「ほうよほうよ。四国の病院のときも、貰うたよの。
 どういう名前じゃったか・・・・」
私「ええ、なんでしたっけね、なんとかいう名前・・・・」
舅「あれは、医療用なんで、医者を通して買うもんらしいが、
 それは手続きひとつで出来るらしい」

舅の介護度認定の件で、役所の人が来て提案してくれた話では、
医師に紹介状を貰い、書類を揃えて「訪問看護」を頼めば、
看護師さんが巡回して家に来てくれ、点滴もしてくれるそうだ。
これなら、じーちゃんだって、テレビ観ながら出来るから異存ないかも。
そしてその、名前が思い出せないが高栄養のドリンクを処方して貰って、
なんとか、カロリーを取って体に力をつけるのだ。
体重増やして、元気がつけば、また食事も出来るってば。

帰り際、私は姑に言った。
私「じゃ、帰りますね。おとうちゃんがしんどいって言われてますから、
 よく看てあげて下さいね?」
姑「ああ、ええよ♪」
舅「やれ、のう(^^ゞ」

玄関を出て6歩進んだとき、私は、その高栄養剤の名が、
エンシュア リキッドであったことを思い出した。
が、これを告げるために戻るのもナンだなと思い、そのまま帰った。

Trackback ( 0 )




明日、娘の通う小学校では卒業式が行われるのだが、
4年生である娘は式には出ないのだそうで、
通常通り登校はするが、「朝の会」だけですぐ下校になるらしい。
学校滞在時間、およそ30分(^_^;)。

週日とは思えない、早い時間から下校できるとあって、
娘は大喜びだが、私は「そんなんでいいのか(--#)」という、
ちょっと納得できない気分も、実は、ある。
今時の小学校では、「在校生」として卒業式に出席するのは、
5年生だけでいい、あとは帰れ、というのが普通なのだろうか。

昨日、ちょっと用事があって娘の学校に行ったとき見たら、
体育館は前半分しか椅子が並んでいなくて、がらんどうだった。
施設が狭くて、保護者席を取るとあとは5、6年生しか収容できない、
という問題でないことだけは、あきらかだ。

私が小学生だった頃は、何年生から出席していただろうか。
小学校2年生のときには、卒業式に在校生として出て、
歌など一緒に歌った記憶があるので(『仰げば尊し』の時代だった)、
少なくとも三十数年前の某公立小学校では、
5年生だけが「在校生」扱いだったということはないと思う。
ちなみに、各学年4クラスずつあり、各クラス45名以上は居たので、
当時のほうが、今より人数的には多かった。

ちょっとネットで検索してみたのだが、
各地の小学校の卒業式の式次第や記録などによると、
やはり、「在校生」として卒業式に出るのは、
5年だけ、あるいは4年生以上、等々と、
主として「高学年」に限っている、
という学校が、今は非常に多いようだ。

式に出ない低学年をどうするか、は学校によって違うが、
1~3年生は朝のうちに、6年生とのお別れの式をして帰る、
等の配慮がある学校はまだまだある意味「良心的」なほうで、
割り切っているところになると、4年以下は完全な休校日、
などという学校もあった(--#)。

(ちなみに1生から全員で卒業式に出席する、
という方針をとっているのは、分校とか複式学級などの、
特別に小規模で家庭的な雰囲気の学校が主流と見られる。)

どうして、この、6年生の大切な門出の日を、
できるだけ多くの在校生で見送ろうとしないのだろう?


娘の学校に限って考えてみても、
現に、体育館にはスペースが充分に余っており、
他学年児童も通常通り登校することになんの支障もないのに、
敢えて式に出席させず、帰宅させなければならない理由が、
私にはさっぱりわからない。
彼らが下校したほうが良い、その理由は一体何なのだろう?

だんだんと上級生になり、順番に送り出していく、
ということを、小さい学年のときから経験させるのは、
どう考えてもとても良いことだと私は思うのだが、
何か、間違っているだろうか。

Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »