転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



卒業式に出席する在校生がどうして5年生だけなのか
という疑問をきょうの日記にさきほど書いたが、
帰宅した娘に尋ねてみたところ、この件については先生から、
クラスの皆にお話がきちんとあったそうだ。曰く、

本校ではひとりひとりに卒業証書授与するから30分かかる。
その間、在校生の席でごそごそしたり騒いだりされると困るから、
出席できるのは5年生だけ、ということになっている


前にも書いたが、私自身は少なくとも2年生のとき、
既に全員で卒業式に出ていた記憶がある
(それ以降、3年生の記憶も4年生の記憶も勿論ある)。
卒業生は45名超×4クラスでも、ひとりひとり担任から呼名され、
どの子も順番に壇上に上がり、卒業証書を学校長から手渡されたし、
その間、音楽の先生がずっとエレクトーンで、
静かな曲の生演奏をなさっていたことも、私は覚えている。

練習時には、私語する児童もいたけれども、
キヲツケ~!
と先生の号令が響き渡って、すぐにシーンとなったものだ。
動くなっ!蜂が刺しても動くなっっっ!!
と男の先生が凄い台詞で指導なさっていたのを
この歳になっても私は忘れていないから、
それなりに強烈な記憶だったのだろうとは思う。

にしても、それで結局、卒業式はちゃんと出来た筈だ。
号令は極端だったが、練習時だって体罰なんか勿論なかったし、
がやがやになって駄目になったという話も聞いたことがなかった。
予行のとき、在校生の歌の声が小さいと幾度も注意されたから、
当日は、今まででいちばん良い歌にしようと、
子供心に頑張った覚えだってある。
つまりは、その程度の指導で、下級生から全員揃って、
卒業式が出来たのだ。

体育館にぎっしりと入った低学年から5年生までが、
一斉に拍手して卒業生を送り出すときの感動は大きかった。
1000人の拍手をもって見送り・見送られるような経験って、
人生でちょっと、無いのではないだろうか?

今の子供らに、本当にそれが出来ないとしたら、
単なる堕落か、能力の低下だとしか思えない(--#)。

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(ときに、あの、じーちゃんは、どうしているのか、
というお問い合わせ(!)のメールを時々頂戴し、
本当に有り難く思っております<m(__)m>。
が、実は、彼らしくなく、最近あんまり元気じゃありません。
煙草は美味いのですが、体力的に回復がもうひとつです。)

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じーちゃんの今の不満は、手術跡の胸がチカチカと痛むこと、
食事をするとモタれて苦しいこと、の二点で、
「今回の手術で、ワシは、体が弱ってしもうたわい」
と珍しくウシロ向きなことをよく言っている。

だからって我慢して寝ているだけでは、
事態は改善しないのではないかと思い、私はかねてから、
食事が取れないぶんは点滴で補うとか、
通院がしんどいなら往診を頼んで注射だけでもしてもらうとか、
また、痛み止めの内服は胃腸にこたえるなら座薬を使うとか、
あれこれ提案してみたのだが、じーちゃんは、
「面倒くさいことは、要らん」、
「ケツに入れる薬なんざ、気色が悪い。ワシはオカマではない」。

「ねー、もー、おとーさんには困っちゃいますよ。どうします?」
と私が姑に話を振ったらば、姑は目をきらきらさせて、
「ええ天気じゃね!あんたも、オヤツ、持って帰りんさい」

私「はい(^_^;)。ありがとうございます。頂きます」
姑「お客さんが来てかね」
私「3時になったらヘルパーさんが来られますよ。
 それよりもね、おとうちゃんがお腹痛いって言われてますよ?」
姑「どこのおとうちゃんが?」
私「うちの(^^ゞ」

う~ん。
相変わらず、ばーちゃんは天下泰平だ。

舅「ケアマネージャーが言うには、なんとかいう、
 栄養の入った飲み物を食事代わりにしたらええんと」
私「ああ、なるほど。あの、カロリーメイトの、もっと濃いような」
舅「ほうよほうよ。四国の病院のときも、貰うたよの。
 どういう名前じゃったか・・・・」
私「ええ、なんでしたっけね、なんとかいう名前・・・・」
舅「あれは、医療用なんで、医者を通して買うもんらしいが、
 それは手続きひとつで出来るらしい」

舅の介護度認定の件で、役所の人が来て提案してくれた話では、
医師に紹介状を貰い、書類を揃えて「訪問看護」を頼めば、
看護師さんが巡回して家に来てくれ、点滴もしてくれるそうだ。
これなら、じーちゃんだって、テレビ観ながら出来るから異存ないかも。
そしてその、名前が思い出せないが高栄養のドリンクを処方して貰って、
なんとか、カロリーを取って体に力をつけるのだ。
体重増やして、元気がつけば、また食事も出来るってば。

帰り際、私は姑に言った。
私「じゃ、帰りますね。おとうちゃんがしんどいって言われてますから、
 よく看てあげて下さいね?」
姑「ああ、ええよ♪」
舅「やれ、のう(^^ゞ」

玄関を出て6歩進んだとき、私は、その高栄養剤の名が、
エンシュア リキッドであったことを思い出した。
が、これを告げるために戻るのもナンだなと思い、そのまま帰った。

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明日、娘の通う小学校では卒業式が行われるのだが、
4年生である娘は式には出ないのだそうで、
通常通り登校はするが、「朝の会」だけですぐ下校になるらしい。
学校滞在時間、およそ30分(^_^;)。

週日とは思えない、早い時間から下校できるとあって、
娘は大喜びだが、私は「そんなんでいいのか(--#)」という、
ちょっと納得できない気分も、実は、ある。
今時の小学校では、「在校生」として卒業式に出席するのは、
5年生だけでいい、あとは帰れ、というのが普通なのだろうか。

昨日、ちょっと用事があって娘の学校に行ったとき見たら、
体育館は前半分しか椅子が並んでいなくて、がらんどうだった。
施設が狭くて、保護者席を取るとあとは5、6年生しか収容できない、
という問題でないことだけは、あきらかだ。

私が小学生だった頃は、何年生から出席していただろうか。
小学校2年生のときには、卒業式に在校生として出て、
歌など一緒に歌った記憶があるので(『仰げば尊し』の時代だった)、
少なくとも三十数年前の某公立小学校では、
5年生だけが「在校生」扱いだったということはないと思う。
ちなみに、各学年4クラスずつあり、各クラス45名以上は居たので、
当時のほうが、今より人数的には多かった。

ちょっとネットで検索してみたのだが、
各地の小学校の卒業式の式次第や記録などによると、
やはり、「在校生」として卒業式に出るのは、
5年だけ、あるいは4年生以上、等々と、
主として「高学年」に限っている、
という学校が、今は非常に多いようだ。

式に出ない低学年をどうするか、は学校によって違うが、
1~3年生は朝のうちに、6年生とのお別れの式をして帰る、
等の配慮がある学校はまだまだある意味「良心的」なほうで、
割り切っているところになると、4年以下は完全な休校日、
などという学校もあった(--#)。

(ちなみに1生から全員で卒業式に出席する、
という方針をとっているのは、分校とか複式学級などの、
特別に小規模で家庭的な雰囲気の学校が主流と見られる。)

どうして、この、6年生の大切な門出の日を、
できるだけ多くの在校生で見送ろうとしないのだろう?


娘の学校に限って考えてみても、
現に、体育館にはスペースが充分に余っており、
他学年児童も通常通り登校することになんの支障もないのに、
敢えて式に出席させず、帰宅させなければならない理由が、
私にはさっぱりわからない。
彼らが下校したほうが良い、その理由は一体何なのだろう?

だんだんと上級生になり、順番に送り出していく、
ということを、小さい学年のときから経験させるのは、
どう考えてもとても良いことだと私は思うのだが、
何か、間違っているだろうか。

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